人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第127回『蝸牛角上の争い』(荘子)

2024年02月26日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第127回

『蝸牛角上の争い』(荘子)
(かぎゅうかくじょうのあらそい)


むかし、魏という国の恵王という王様が斉という国を攻撃したとき

ある賢者が願い出て、こう語りかけたそうです。

「王は かたつむりというものをご存じでしょうか?」

「知っておる」

「そのかたつむりの左の角には触氏という者の国があり、

右の角には蛮氏という者の国があって、

絶えず領土争いを繰り返しておりました。

あるときなどは、激戦で双方に数万の死者を出すに及んで、

ようやく兵を引いたと聞いております。

この地上の争いも、みなこのたぐいではないでしょうか?」


ある意味では、昔から今もこの状況は変わっていないとすると、

人間の本性はなかなか変わらないものですね。。。

その状況を少しでも、変えていく小さな偉大な一歩は

まずは自分が、平和な一日を過ごし、

平和を祈ることからはじまるかもしれませんね。


参考資料
『中国古典一日一言』 守屋洋著 PHP文庫

 

 

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第126回 『シャボン玉飛んだ』(野口雨情)

2024年02月19日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第126回

『シャボン玉飛んだ』(野口雨情)


昭和を代表する日本の指導者でおられた安岡正篤先生のお言葉を、

わかりやすく語りかけてくるような感覚で、あたたかい文章にしてくださった神渡良平さんが書かれた

私の大好きな本にある、とても心に沁みるお話をひとつご紹介させて頂きます。



みなさん一度は聞いたことがあると思う歌ですが、

『シャボン玉』という歌の意味や背景やお聞きになったことがありますか?


『シャボン玉』


シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで  こわれて消えた


シャボン玉飛んだ 飛ばずに消えた

生まれてすぐに  こわれて消えた


風、風、吹くな  シャボン玉飛ばそ



私も最初は、シャボン玉を飛ばして遊んでいる

幸せな子供たちの情景を歌った歌だとばかり思っていました。

ところがそうではありませんでした

実は、1人の父親が、

「お父さんは諦めないぞ。お前の代わりに良い仕事をさせてもらうからな。

どうか天国からお父さんを支え、励ましてくれ」とうたった決意の歌だったのです。

実はその決意には、こんな背景がありました。

この歌の作者は、野口雨情(うじょう)さんという方です。


明治15年(1882年)に茨城県で生まれ、

少年時代から文学的素養にとんだ方だったようで、

早くから詩人として世の中に登場したいと思っていました。

仲間の詩人たちは、新分野雑誌に原稿を書き、ラジオに登場するなど、

どんどん頭角を現していきましたが、彼ばかりは鳴かず飛ばずの状態が続きました。

とうとう諦め、樺太に渡って商売を始めたそうですが、

その商売が行き詰まり、夜逃げして北海道に逃げて帰ってきて、

小樽で小さな新聞社に入ることになります。

ただ、そこでもいろいろと思うようにいかずに思い悩んでいました

そんな時に、はじめてのお子さんを授かりました。女の子でした。

しかし、その子が高熱を発し、一週間持たずに、天国へ召されていってしまったのです。

野口雨情は、失意にどん底に突き落とされ、新聞社をやめ、

札幌に出て新しい職場を得たものの、長続きせず、また辞めてしまいました。

そのうちに、酒に酔っぱらうようになり、くだを巻くようになってしまいました。

そんなある日、夢の中にお嬢さんが現れたのでした。

目に涙を一杯浮かべて泣いていました。その涙の顔をみた瞬間、

野口雨情は我にかえりました。

(このままの姿では、死んでもあの子に顔を合わせることができない。

呑んだくれの自分の今の姿を娘に見せられない。この状態から立ち直ろうと心に誓いました。)

そこから、心機一転し、童謡の作詞家として素晴らしい詩を書くようになっていきました。

そして、北原白秋と並び称されるような童謡の作詞家に成長していきました。

(昭和20年、1945年に永眠し、行年63歳)



今回はシャボン玉の唄が生まれた背景に触れさせて頂きました。

このブログでも毎回沢山の言葉を紹介してきましたが

その時代背景や作者の人生や想いに触れることで

より言葉の理解に深みが出るような気がしています。

これからもそのような視点でご紹介していけたらと思っています。

 

参考資料
『安岡正篤 珠玉の言葉』 神渡良平著 講談社+α新書

 

 




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第125回『天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』 (西郷南洲遺訓)

2024年02月12日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第125回

『天を相手にして、己を尽くし、人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』
(西郷南洲遺訓)



西郷南洲(隆盛)の名言とされる言葉ですね。

「人を相手にせず、天を相手にせよ」から始まる言葉ですが、

西郷南洲らしい重みのある言葉です。


何度も島流しにあい、そこで自分自身とひたすら向き合い続けた人生の中で、

新政府を樹立しても、そこには信じていた仲間達の欲にまみれた姿があり、

絶望し郷里に戻っていった西郷南洲はどんな気持ちだったかと思うと、

心が張り裂けそうです。


特に最後の、「我が誠の足らざるを尋ぬべし」という言葉は、

自分自身が誠を尽くすだけだという心を忘れずに、

一生涯を貫き通した在り方にとても感銘いたします。

頑固で不器用な生き方ですが、正直で誠実さを感じます。

そんな人に私もなりたい。少しでも近づけるよう精進致します。



参考資料
『リーダーの指針 東洋思考』 田口佳史著 かんき出版

 

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第124回『四摂事』(仏教)

2024年02月05日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第124回

『四摂事』(仏教)


仏教において、立派な人間になるための、大切な行動基準を、

四摂事(ししょうじ)という言葉で表しています。


1、布施(ふせ)

貧しい人にはお金を、飢えている人には食べ物を、

学問のない人には知識を、
手に職のないひとには技術を施してさしあげること。

施すものを何も持っていない時には、やさしい目や顔で、

思いやりの心だけでも施してあげることなどからでも、

できることをすることが大事だと説いています。


2、愛語(あいご)

歯の浮くようなお世辞を言うのではなく、

まごころのこもった言葉を話すことが大事だと説いています。

真心から出た言葉には、人を感動させる力があります。


3、利行(りぎょう)

すべての行為が、世の中の大衆の利益につながるような行いをすることが大事だと説いています。

決して、自分や自分の身内だけの利益だけを考えてはいけないと言っています。

不特定多数である大衆みんなが喜ぶようなことをする気持ちでやることが大切です。



4、同時(どうじ)

相手と同じ目の高さになって、ものを見たり考えたりすことが大事だと説いています。

つい自分が優位な立場にいるときなど、相手の目線を忘れて、自分中心になりがちです。

だからこそ、相手の身になって、立場になって考えることだと言っています。



以上の四つですが、本当に大切な事ばかりですね。

私も人生で本当に大変な時に、金銭的な面だけでなく、人をご紹介して下さる方がいらしたり、

優しい笑顔や、あたたかい言葉をかけてくださる沢山の方々に助けて頂きました。

常にそれらのことを忘れずに、これからも今自分が出来ることを微力ながらしていきます


参考資料
『ポケット般若心経』 大栗道榮著 中経文庫

 

 


MOA美術館 阿弥陀如来坐像

 

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