人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第54回「お彼岸(ひがん)」(仏教)

2022年09月24日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第54回

「お彼岸(ひがん)」(仏教)


ちょうど、秋彼岸の時期なので、彼岸とは何かを書いてみたいと思います。


令和4年(2022年)の秋彼岸日程は、9月20日(火)~26日(月)までの7日間です。

秋彼岸の初日を「彼岸入り(ひがんいり)、真ん中の日を「中日(ちゅうにち)」、

最終日を「彼岸明け(ひがんあけ)」と呼びます。

秋彼岸は、国民の祝日である「秋分の日」を中心とした前後3日間(合計7日間)が

お彼岸として指定されています。

お彼岸の語源は、サンスクリット語の「paramita(パーラミタ)」で、

日本における音写語は、「波羅蜜多(はらみた)」です。

至彼岸(とうひがん)、「彼岸に至る」という意味を持ちます。

日本の仏教では、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」という概念があります。

仏教においては以下の意味合いがあります。

此岸は、こちらの岸で欲や煩悩にまみれた世界(この世)を表すと言われ、

彼岸は、仏の住む浄土の世界(悟りの世界)で、この間に流れる川のことを

三途の川(さんずのかわ)とも呼ばれています。

春秋のお彼岸の時期は、昼夜がほぼ同じ長さになる期間でもあることから、

1年の中でこの世と浄土の距離が最も近くなり、思いが通じやすくなる時とも言われています。

春秋のお彼岸の時期に「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる仏教修行を行うことで、

煩悩に満ちた現世(此岸)を脱して悟りの境地(彼岸)に至れることができる

という思想が生れました。

ですので、この期間にお墓参りや、自分自身の日頃の生活を振り返り、

見つめなおす期間ともされています。


六波羅蜜の6つの実践とは

1, 布施(ふせ) ・・・施しをすること

2, 持戒(じかい)・・・規律を守ること

3, 忍辱(にんにく)・・・正しい心を持つこと

4, 精進(しょうじん)・・・目の前のことをしっかりおこなうこと

5, 禅定(ぜんじょう)・・・常に平静の心を持ち続けること

6, 智慧(ちえ)・・・宇宙の道理に従うこと


お彼岸の期間に 半年間の自分自身を振り返りながら、

ご先祖様との対話をする機会を日本人はお彼岸という風習として

生活に取り入れていったんでしょうね。

先日、妻と一緒にお墓参りに行き、お墓の掃除をして、汗びっしょりとなり、

その後に銭湯に行き、おでんを一緒に食べながらいろいろと振り返りをしました。

とてもいい機会になりました。

この春秋お彼岸の機会だけではなく、日々お彼岸だと思い、

この世をあの世として極楽浄土にしていく在り方をしていたのが、

達人などと呼ばれる方々だと思いますので、

そこに意識をおいて、少しでも日々の生活を通じて精進していきたいと思います。


参考文献
『ポケット般若心経』 大栗道榮著 中経の文庫(KADOKAWA)

 

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第53回 「太上は下之有るを知るのみ」(老子)

2022年09月18日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第53回

「太上は下之有るを知るのみ」(老子)

(たいじょうはしもこれあるをしるのみ)


本当に優秀なリーダーは、

組織内の下の人たちに自分の働きや実績を見せつけることはなく、

見えないところでやりやすい環境を整えていくことで、

縁の下の力持ちに徹すれば
いい 。

そして、ひとりひとりが「自分がここにいるから」とい


当事者の意識がめばえてきて、それぞれの役割をみんなでやっている感覚になると、

体感をもって楽しくできそうですよね。


お互いが「自分がこんなにやっているのに、なんでわかってくれないの?」という環境や

「自分は何も役に立ててない」と思うような人がいると、もったいないですよね。

今こそ、混沌としていろいろな面で先行きが見えない世の中になっています。

だからこそ
、東洋思想の本質や原理原則に立ち返って、そこから世の中を見渡すと、

シンプルなヒン
トや答えが見つかるような気がしています。

皆さまと一緒にそのあたりを探っていければと思います。


参考文献
『老子 荘子』 新釈漢文大系 明治書院

 

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第52回 「杞憂」(列子)

2022年09月11日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第52回

「杞憂(きゆう)」(列子)


むかし、杞という国のある男が、今に天と地がくずれてきたら

どうしようかと、心配で
夜もおちおち眠れなかった。

見かねたある男が、


「天は気が積もって出来ているのだから、そんな心配はないさ」

となだめたが、それでも心配でならなかった。

「でも、日や月や星が落ちてこないかね」

「いや、日や月や星もみな気で出来ている。

たとえ落ちてきてもぶつかっても、
けがなどするわけないよ」

そう言われ、男は初めて安堵の胸をなでおろしたという話がある。

この話から、「杞憂(きゆう)」という言葉が生まれたそうです。


現代も、ある意味では状況は変わっておらず、

このように ほとんどが 取り越し苦労や

消極的な気持ちから生まれる心配事がほとんどだとも言われる。

ある、宗教者の方が言うには、

「ものごとの8割、9割は取り越し苦労だ」という説もあるくらいです。

特に我々日本人は、妄想が強い民族だとも言われているので、

何か騒ぎがあると、勝手に妄想が先走り、

いろんなものを買い込んだり、疑心暗鬼になりがちである。

まずは、その気持ちや状況を受け入れて、そこから事実をしっかり確認して、

状況に対応していくくらいの気持ちの余裕を持ちたいものですね。



参考文献
『中国古典一日一言』 守屋洋 PHP研究所

 

 


中秋の名月

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第51回「一隅を照らす これすなわち国宝なり」(仏教)

2022年09月03日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第51回

「一隅を照らす これすなわち国宝なり」(仏教)


この言葉は、天台宗を開いた伝教大師最澄(767年~822年)が著した

「山家学生式」の冒頭部分に記されています。


一隅(いちぐう)を照(て)らすとは、

「それぞれの置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、

何物にも代え難い 尊い国の宝である」という意味になります。

自分自身がどんな立場でも、どんな状況でも 今できることを誠実にしていくことで、

結果的に全体を良くすることにつながる ということだと感じます。

ということは、周りの人に対しても、そのような視点で長い目でみることで、

すべてを長い目で見守りながら 活かしていくということで、

国の宝としてみることができるように思います。

そうやって、お互いに支え合いながら、お互いを活かしあうことができれば、

よりよい社会や、会社、家庭になっていくのかと感じます。


私自身も、ただの無名な市井(しせい)の人間ですが、志や想いは強くあります。

微力ながらも、自分の持ち場で最善を尽くそう、そして機会があるたびに発信していこうと、

ささやかながらも、表現していこうと、無知を承知でやっております。

これからも、一隅を照らしながら 社会を照らしていけるように精進していきます。


参考文献

『一隅を照らす生き方』神渡良平著 PHP研究所

 

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