人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第33回「徳とは何か?」(大学)

2022年04月21日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第33回

「徳とは何か?」(大学)

 

徳というものは、日本人においては非常に大切なものとして位置づけされています。

 

江戸時代までは幼少教育のテキストとして使われ、

リーダーたる人の心構えを説いた書物として『大学(だいがく)』というものがあります。

そこでは、リーダーが学ぶべきことは、

「徳を身につけること」だとされています。

 

その中で、有名な一節として下記のものがあります。

 

「大学之道、在明明徳」(大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするにあり)

 

東洋リーダーシップ論の第一人者の田口佳史先生は、

徳についての概念として、次のように表現しています。

 

「徳とは、自己の最善を他者に尽くしきること」である。

 

そうすることで、相手からは自然と感謝され、いい人間関係が構築される。

一番、人として大切な在り方の基盤になることだと思います。

 

田口先生によると、かつて日本では徳という字に「いきおい」とルビをふることもあったそうです。

つまり、自己の最善を尽くして積んだ徳は、その人に勢いを与える。

他者に尽くしてきたからこそ、自分が困っている時に協力や後押しがもらえる。

不思議なことに、ラテン語のvirtu(英語のvirtue)も「徳」を意味するとともに、

「生きる力」や「勢い」という意味があるそうです。

 

私も沢山の創業者や起業家の方々にお会いしてお話を聞いてきましたが、

成功され人間的にも素晴らしい方々は、「しばしば幸運に恵まれて他者からの後押しを受けた」、

「たまたま人に紹介されて」、「偶然にも助けてもらって」、「ひょんなことから」

などという表現をされる方々多かったように感じます。

これは、決して偶然ではなく、日頃からその方々が徳を積んできたからのことであり、

その賜物だと思います。

 

事業というものが、最終的に「徳業」というものとして、

徳を基盤とした事業というものが社会で求められるように感じます。

私も、少しでもそのような状態に近づけるように 徳を積み、

これからも日々精進していければと思っております。

 

参考 (『リーダーシップの旅』 野田智義 金井壽宏著 光文社新書)

 

*写真は、JR辻堂駅近くにある、二宮尊徳さんの像です。

二宮尊徳さんは、いつも大学をむさぼるように読んでいたそうで、

歩きながら読んでいた本は、「大学」だといわれています。

 

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第32回 「利は義の和なり」 (山田方谷)

2022年04月14日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言 

32

利は義の和なり」(山田方谷)

 

これは、今から約200年以上前に

山田 方谷(やまだ ほうこく)という方が、自著「理財論」の中で唱えていた言葉です。

 

1805年、備中松山藩西方村(現在の岡山県高梁(たかはし)市)に生まれ、

29歳で江戸に遊学し、佐藤一斎(いっさい)の門下に入り、32歳で故郷に戻ると、

藩校「有終館」の学頭に就任。その後、藩の財政改革を手掛け、

それまで10万両あった借金を、わずか8年で10万両の蓄財に替えた人物です。

(*今のお金に換算すると10万両は、約100億円とも言われています)

 

ここでいう「義」とは、国の事を考え、政令を整備し、人々を正しく導くことを指しています。

その結果、得られる利益をどのように人や社会の問題解決や幸せのために活かしていくのかを考えるのが、

リーダーだということを唱えています。まさに、山田方谷のような政治家がいれば、

日本の財政再建や産業の振興、も同時に得られるようにも感じます。

 

山田方谷の自著「理財論」には、その本質が書かれています。

何のための利益なのか、その利益をどのように活かしていけばいいかを

再度考えるきっかけにしていければと思い、ご紹介させていただきました。

 

参考 リーダーの指針 東洋思考田口佳史著 かんき出版より

 

 

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第31回 「啐啄同時」(禅)

2022年04月07日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第31回

啐啄同時(そったくどうじ)」(禅)

 

「啐」(そつ)は、卵の内側から雛(ひな)がくちばしでつつくこと。

「啄」(たく)は、卵の外側から親鳥が殻を割ること。

 

このタイミングがあわなければ、雛は孵(かえ)りません。

元々は、仏法を伝える際の師弟関係の力量をあらわした言葉だそうです。


ピタッと、その瞬間響き合う。それが、一瞬たりとも早すぎず、遅すぎずに共鳴する。


まさに、阿吽の呼吸。意識で通じ合っているんですね。

 

参考 (『心がまるくなる禅語』リベラル社より)

 

 

 

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