人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第21回 「放勲欽明 文思安安」(書経)

2022年01月27日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第21回目

 「放勲欽明、文思安安」(書経)
(ほうくんきんめい,ぶんしあんあん)

 

四書五経という昔のリーダーが修めていた書物の中で、書経という本にでてくる言葉です。

これが、東洋のリーダーが大切にしていた在り方であり、武士道に通じるものかと感じます。

言葉などで語るよりも、まずは醸し出す雰囲気や実績で語っていく。

まさに、存在そのものが説得力であり、威厳もある。でも、教養があり思いやりがある。

そんなリーダーにみんなが憧れて、ついていくのでしょうね。自分自身もそこを目指したいですし、

何はともあれ、このような混沌とした時代だからこそ、足元を固めて実績をあげながら、

今できることをしていきたいと自戒の念も含めて、今回の言葉にしました。

 

・放勲(ほうくん)

勲は、放つもの、文武両道に秀でていて、体験を検証し向上する体得する、

言葉にならないことを身体で語る。存在感が説得力

 

・欽明(きんめい)

業績を上げるための創意工夫をし、施行をめぐらせる頭脳を活用する。

思考と実行を繰り返し、仕事とは自分を鍛えるものとして捉えている。

自らが実績を上げるだけでなく、多くの人に業績をあげてもらうことこそ、

リーダーの仕事であると言っている。

 

・文思(ぶんし)

文とは当時刺青を現していた。それは、現代でいうと教養、学問を示している。

やはり、実績をあげるだけなく、人としての教養があるからこそ、

人としてのバランスもある。だからこそ、相手の心の文を読んだとても繊細な行いができる。

 

・安安(あんあん)

いつも思いやりがほとばしる。これは、向上心を表している。

昇り続けることが大切。常に昇りつづけること。

子供にとって向上する人は魅力がある。

常に学び続け向上すること。

 

これらのバランスがとれ、心身ともに調和がとれている人が組織や家庭にいるだけで、

自ずと整っていくのでしょう。そんな在り方を目指したいものです。

 

参考文献 『清く美しい流れ』(田口佳史著 PHP研究所)

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第20回 「おお、そうか!」(白隠禅師)

2022年01月20日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第20回

おお、そうか!」(白隠禅師)

 

ここ数回ブログでご紹介している、バカボンのパパの「これでいいのだ!」や、

「わらしべ長者」のお話から共通するのは、「受け入れる」ということのすごさです。

今回ご紹介するのは、まさにこんな日本人がいたんだと、本当にすごいお坊さんのお話です。 

 

「駿河には、すぎたるものが二つあり。一に富士山、二に原の白隠」 

 

と称された、江戸時代の名僧です。白隠禅師は、禅のお坊さんで、

臨済宗の中興の祖とも言われた方で、私も大好きなお坊さんの一人です。 

 

『白隠禅師の住んでいた駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)という村にいたある娘が、

若者と恋に落ちて子供を産みました。娘の父親は、誰の子かと問い詰めましたが、

娘は頑として相手の男の名は口にしません。

しかし、とうとう耐え切れずに、白隠禅師の子だと嘘をついてしまいました。

父親が日頃から敬愛している白隠の子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。

もちろん白隠禅師にとっては、身に覚えのないことです。 

 

娘の父親が 白隠禅師の住む松陰寺に駆け込むや、

「この生臭坊主!よくも娘を傷ものにしたな。お前の子だ、受けとれ」と

怒鳴りながら、赤ん坊を突き出しました。

白隠禅師は、何の言い訳もせず、「おお、そうか」と赤子を受け取りました。

この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。

それまで、高僧、傑僧として尊敬されていた白隠禅師は、

一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、

弟子たちはもちろん信者もひとり残らず離れていきました。 

 

にもかかわらず、白隠禅師は悠然ともらい乳して村中を歩き続けました。

そんな赤子を親身になって育てる白隠禅師の姿に、当の娘の方がこらえきれなくなり、

ついに父親に本当のことを白状しました。 

 

驚いた父親は、さっそく白隠禅師に非礼を詫び、

赤子を返して欲しいと恐る恐る申し出ました。

このときも白隠禅師は、「おお、そうか」と言っただけで、

泰然として赤子を返したといいます。』

これが、「受け入れる」ことのすごさです。

その後、白隠禅師の評判は瞬く間に広がり、信者や弟子もそれまで以上に増えたというお話です。

もちろん、そんな評判を気にして行動したわけではないでしょうから、

そんな評判をきいても、きっと白隠禅師は、「おお、そうか」と答えたかもしれませんね。

 

いかがでしたか? 

 

私たち凡人は、そこまでできないですし、

文句のひとつやふたつはつい言いたくなりますし、言い訳などしたくなりますよね。

白隠禅師は、何が起きても態度を変えずに、言ったのは、「おお、そうか」だけ。

それだけ、肚がおさまって、目の前の赤子をなんとかしなくてはと、

そのことだけの対応をして、自分のことをどう思われるだろう、

あいつだけは許せない、 と余計なことを言いたくなったりは一切せずに、

淡々と目の前のことに対応していく。 それが本当にすごい人ですよね。 

もし、私たちがそのぐらいの心境で起こっている出来事を受け入れることができたら、

奇跡は簡単に起こるんだと思います。


この話を教えてくださったのは、前田知則(まえだとものり)さんです。

前田さんは、今から20年前くらいに一世を風靡した

『動物占い』というコンテンツを世に出した方でも有名で、

累計600万部という異例の発売部数にもなりました。

その後、「心のデトックス(現在リメンバランスという名称に統合)」というコンテンツを体系化して、

現在は「リメンバランスワークショップ」と、

「リアリティ・エンジニアリング」の講師をされています。 

前田さんには、この10年にわたって、心のデトックスと瞑想、

リアリティ・エンジニアリングを中心に、人生の在り方を教えて頂いています。


参考文献 小冊子楽に楽しく生きるコツ 心のデトックス 浄化のサイクル編 vol 1 

監修:前田知則 編集:らくらくライブネット編集部より)   

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第19回 「わらしべ長者」

2022年01月13日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第19回

「わらしべ長者」

 

今回は、日本の昔話からの教訓を どのように仕事や生活で活かしたらいいかを

一緒に考えてみたいと思います。

みなさんは、「わらしべ長者」というお話を どこかで聞いたことや読んだことがあると思いますが、

覚えていらっしゃいますか?

本当に昔話は、深いですよね。昔話のおさらいも含めて、まずはご紹介いたします。


『むかしむかし、あるところに一人ぼっちの貧乏な若者がいました。

若者は貧乏に耐えかねて、観音様にお願いしに行きました。「どうかお金持ちになれますように」

お願いを続けたところ、観音様からお告げがありました。


「この寺を出たら、おまえがその手で最初につかんだものを大切にしなさい」

若者は門から出るとすぐに転んでしまいました。その時、一本のわらをつかみました。

わら一本では何の役にも立たないと思いましたが、若者はわらを持って歩きはじめました。

若者が歩いていると、一匹のアブが飛んできて、彼の顔の周りをぶんぶん飛び回りました。

若者はそのアブを捕まえて、わらの先に結び付けて遊んでいました。

すると、そのアブをみた子供が欲しいと言いました。

若者は、わらに結んだアブを子供にあげました。そのお返しにと、

子供のお母さんはみかんを三つくれました。若者は、わらがみかんになったと喜びました。

 

若者が歩き続けていると、苦しんでいる女性に会いました。「暑さでのどが渇いています」

水を持っていなかったので、若者はその女性に水の代わりにみかんをあげました。

女の人は、みかんを食べると元気になりました。そして、みかんのお礼に美しい布を若者にくれました。

若者は三つのみかんが美しい布になったと喜びました。

 

若者がまた歩いていると、道端で男の人が倒れた馬を相手に困っていました。

馬と布を交換するのに市場へ行く途中でしたが、馬が病気になってしまい、一歩も進めなくなってしまったのです」 

若者は、持っていた布を差し出して、病気の馬と交換してあげました。

すると、男の人は大喜びで村へ帰っていきました。若者は一晩中一生懸命、馬の看病をしました。

すると、馬は元気になりました。若者は美しい布が馬になったと喜びました。

 

若者はその馬に乗って旅をつづけました。すると、旅の準備をしている家がありました。

そこの主人は若者の馬を見て「私はこれから旅に出るつもりで、馬が必要なのです。

私の家や田んぼをその馬と交換してもらえませんか」と言いました。

若者は快諾し、家を得ました。若者は馬が家と田んぼになったと喜びました。

若者は、立派な家と田んぼをもらい、大金持ちとなりました。

そして若者はわら一本から大金持ちになったので、「わらしべ長者」と呼ばれるようになりました。おしまい。』

 

というお話です。いかがでしたか?

 

注) お話の内容は何パターンかあったりします。(お嫁さんをもらう など・・・)


参考文献で紹介している、『人生に奇跡を起こす わらしべ長者の魔法』の中にも、

わらしべ長者の人たちの特徴がいくつかまとめられていたので、ご紹介します。

 

★どんな人も色眼鏡でみないでフラット(素直)な心で、決めつけず話をする

★信頼の貯金を積み立てて、必要とされ続けている

★好奇心旺盛で人懐っこい

★オープンマインドで雑談力と状況判断力に優れている

★相手の様子を洞察して、「この人は何を求めているのか?」のニーズをとらえるのが速い

★一を聞いて十を知る人

★スピーディーに考え、一瞬で相手の役に立つ情報が提供できる

などがありました。


私自身がこの教訓から得られる一番大事な事としては、

「いかなる状況に置かれても、 目の前の状況すべてを受け入れて、

相手のニーズに応じて、自分自身ができる 最善のことをしていくこと。」

だと感じました。

これって実はあたりまえの事?!だと思うのですが

それがなかなか 受け入れることさえ出来なかったりするものだなぁと

この文章を書きながら私自身思うところです。苦笑 このお話を胸に生きていきたいものです。

 

参考文献 『人生に奇跡を起こす わらしべ長者の魔法』

(東京ニュース通信社 元谷拓著より) 

 

    

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第18回 「バカボン」(野口法蔵著「これでいいのだ」より)

2022年01月06日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第18回

「バカボン」

 

バカボンとは、サンスクリット語でブッタのことで、天才を意味します。

自分の意識を自由自在にできる感覚を持っている人。

すべてに「これでいいのだ」を出せる人

すでにあなたは天才バカボンです。

 

我々が小さいときには、「天才バカボン」という漫画は誰もが知っている漫画でした。

その天才バカボンには次のような秘話があるそうです。

『バカボンのパパは、早稲田のとなりのバカダ大学の秀才だった。

同期のママと結婚して子供ができ、うれしかったパパは病院からかけつけると、

生まれた子供が ぜっぺきのダウン症の子供だった。ショックのパパはふらふらと道に出て、

車にはねられてしまう。強く頭をうったパパは 起き上がったときに一言。

 

「これでいいのだ」

 

「わしはバカボンのパパになるのだ」 とさけんだ。以降、名前もなくなり バカボンのパパになり、

いつでも これでいいのだ といって歩くようになったという。これでいいのだ 以外には、

「タリラリラリララーン」というだけ、この言葉は 実はチベットのマントラなのだ。

 

緑ターラの真言で、明治時代に日本へ入って 能楽に取り入れられた。

まったくパパはすごいのだ。』

 

一人ひとりには、みんな違った才能や天才性を持っています。

それに出会うには、すべてのことを受け入れて、これでいいのだ と言えればいいのかもしれません。

受け入れようとすると、いろんな言葉や抵抗が出てくると思います。

それもすべて受け入れていくと、これでいいのだ となるのです。

 

東洋思想の深さや好きなところは、このように まったくもって理にかなっているところです。

だから、宇宙の真理は、シンプルで深くて、愛があるように思います。

 

寝る前に この言葉を言ってくださいね。

 

「今日もこれでいいのだ!」

 

 

参考文献 『これでいいのだ』)七つ森書館 野口法蔵著より)

 

   

 

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第17回 「足るを知る者は富む」(田口佳史著「老子の無言」より)

2022年01月01日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

あけましておめでとうございます。新春のお慶びを申し上げます。

どうぞ、本年もよろしく御願い致します。

今年最初の言葉は、こちらからになります。

第17回

 

「足(た)るを知る者は富む」(田口佳史著「老子の無言」より)

 

老子の名言のひとつであります。

 

どんな状況でも、人間これでいいと満足することは少ないかもしれません。

だからこそ、いまある現状をすべて受け入れて、

そこに 感謝の気持ちがわいてくる感覚を 大切にしたいものです。

このような感覚を大切にしている人には、さらに満たされていくということをこの言葉は伝えています。

まさに、真理はこのようなものなんですね。

 

だからこそ、まずは自らの心を満たしていくことが大切で、

そうすると 周囲にも そのエネルギーを与えることができるようにもなります。

今我々が生きているのも、先人の方々の見えない努力やご尽力により成り立っています。

足りない足りないとなげくよりも、いまあるものの有難みを感じる心をつこと。

最近、我々現代人は その心を 忘れかけているかもしれません。

どうぞ、みんなで力をあわせてより良い社会を一緒に作っていければと思います。

 

参考文献 『老子の無言』田口佳史著より)

 

茅ヶ崎海岸からの初日の出 (2022 元旦)

 

 

    

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