人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第101回「逆耳払心」(菜根譚)

2023年08月28日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第101回 

「逆耳払心(ぎゃくじふっしん)」(菜根譚)


これは、菜根譚(さいこんたん)の中からの言葉になります。

「耳中(じちゅう)、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事ありて、

わずかにこれ徳を勧め行いを修るの砥石(しせき)なり」から来ています。


忠告や諫言(かんげん)など、払いのけたくなるような耳の痛い話であっても、

しっかり耳を傾けることが人間としての器量を磨いていくという意味になります。

逆境の状況や、辛い状況なときこそ、素直に事実を認めて、

すべてを受け入れることが大切になります。

ただ、つい自らを正当化したくなったり、人のせいにしたくなったり、

その事実と向き合いたくない感情がでてしまうのが、我々人間の性(さが)でもあります。

だからこそ、率直にフィードバックをしてくれる人ほど、本当に有難いものです。

今回は、耳の痛い話ほど、しっかり受け入れることが大事だという言葉になります。

しっかりこの言葉を噛みしめていきたいと思います。



参考文献
『2023年致知7月号より』

 

 

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第100回「天遊庵」

2023年08月21日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第100回

「天遊庵」


おかげさまで、今回のブログで100回目になります。

このブログを書き始めて、約2年になりますが、多くの方々に励まされ、

自分自身が一番知りたいと思うことを、書き連ねているだけで、

どこまで皆様にお役に立てているかはわかりませんが、

いつも本当にありがとうございます。


今回は、この節目である100回目に、少し自分自身の志や、

描いている想いや、ビジョンなども書いてみたいと思います。

現在53歳ですが、なんとなく60歳以降は、

東洋思想をベースにした活動を中心に舵をきっていこうと現時点では考えております。

その活動ベースになるのが、下記にあたる現代的な寺子屋、「天遊庵」という場になります。

具体的な場所というよりは、自分自身がそのような意識で今後やりたいというものであります。


2022年12月21日より、現在の自室内に、天遊庵(てんゆうあん)と名付けた

小さな庵、という意識を降ろし、活動を始めています。 

(「天」とは宇宙、大自然そのもの、「遊」とは、老荘思想の荘子からの思想で、

時間と空間に 縛られない世界、「庵」は東洋思想を学ぶ在家の小さく質素な佇まいの場)

この場のエネルギーに関わる方々が、自分自身も含めて少しでも心身ともに楽なり、

楽しくなり、心が軽やかになり、本来の自分自身を思い出し生きていくキッカケや、

気づきに繋がれば嬉しいと思います。

そして、本来の日本人としての気高い精神性である、心意気を学びながら、

ともに支え合い、助け合いながらよりより世界、未来を創造していきたいと思っています。
 

ベースとなる場所は、今後いろいろと検討を重ねていて現在意識を張っているところです。

現時点では自室内になりますが、特に場所などにはこだわらず、

あらゆる制限を取り払い、リアルやオンラインなども活用し、

全国、世界のご縁のある方々(個人、地域、団体、法人、行政、各種コミュニティ)などと、

ともに本質的な学びを重ねあいながら、共同で運営をしていくスタイルを考えています。


なぜなら、私自身が集客、PR、仕組化などはあまり得意ではないので、

それが得意な方と組むことで、三方良しでお互いに相乗効果が図り、

楽しく面白く、そして少しでも社会のお役に立てればと感じています。  

もし、東洋思想を学ぶ場(単発・連続でも可)、個人様でも法人様などでも、

東洋思想を通じたコンサルティングや、 オリエンテーション、

そして共同開催などにご興味がある方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡ください。

一緒に学び合いながら、より自分らしい生き方になり、

お互いに共鳴しあい、共創していけるとうれしいです。

 

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第99回「和を以て貴しとなす(十七条憲法 第一条)」(聖徳太子)

2023年08月14日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第99回 

「和を以て貴しとなす(十七条憲法 第一条)」(聖徳太子)


「一曰、以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以 或不順君父
乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成」(原文)

 

「和をもって貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 人みな党(なかま)あり。また達(さと)る者少なし。
 ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
 また、隣里に違(したが)う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ、
 下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
 すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。」

(読み下し文ですが、読み方は一部多様なものもありますので、ご了承ください)


「まず、第一に「和(わ・やわらぐこと)」を尊く思い、

むやみに角をたてるようなことは慎みなさい。

人の上に立つものが、和を大切にし、

下の者にも親しく穏やかに話し合うような気持ちがあれば、

それは道理に基づいているので、何事も実現できないことはない」

かなり超訳しますとそのようなことが書かれていると思います。


ここでいう、「和」とは日本人特有の空気を読むとか周りに合わせるということが本意ではなく、

しっかりみんなで話し合うような関係性や在り方を持つことが大切だと言っているように感じます。

それには、ただ単に仲よくしたいということではなく、

お互いにしなやかで強い心を持ち、ともに言うべきことは言い、

それを受け入れあう姿勢が必要だと推測します。

その結果の「和」なので、力強いものでもあります。

そういう在り方を日本人は本来持つべきで、相手の顔色を伺ったり、忖度するのは

本当の「和」ではないよと聖徳太子は仰っているように感じます。

少し、ざっくりですが時代背景もみてみましょう。


聖徳太子(547~622年)の十七条憲法が布告されたのは、604年で、

日本の都が大和の飛鳥を中心とした地域にあった、飛鳥時代になります。

聖徳太子は、用明天皇の子で、名は厩戸皇子(やまやどのみこ)といい、

叔母にあたる推古天皇の皇太子でもあり、天皇にかわって政治をおこなう摂政をつとめました。

時代背景としては、諸外国との関係性(当時の中国である隋)、

仏教を推進する派と廃仏派のすさまじい争いなど、

様々な緊張状態の中で、日本国の国柄や日本人としてのアイデンティティの基礎を示した

素晴らしいリーダーであったことは間違いないですし、

今でも、この「和」という概念が日本人のベースになっていることは、

世界に誇るべきことだと感じるので、もう一度再認識する機会になればと思い、

ご紹介させていただきました。



参考文献 
『世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』小名木善行著 徳間書店
『聖徳太子の言葉』大角修著 枻出版社

 

 

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第98回「見素抱朴 少私寡欲」(老子)

2023年08月07日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第98回 

「見素抱朴 少私寡欲(けんそほうぼく、しょうしかよく)」(老子)


老子の名言のひとつになります。

人より良く見せたいと 余計な見栄を張り、

外聞など外の評価を気にするあまりに 無理をすることは何の意味もない、

それよりは素朴に飾らずに ありのままの自分をそのまま表わしなさい。

同時に私利私欲などで動いたところで、何も共感を得ないどころか、

反感を買うだけなので、出来るだけ欲を少なくして生きなさい。



シンプルメッセージでありますが、心に沁みる言葉でもありますね。

ついつい、いろんな場面で自分自身の都合を入れたくなってしまうのが、

人間の性(さが)でもあるので、そんな自分自身を戒めるのに とても説得力のある言葉ですよね。

自分にとって、都合の悪い時や、不利な時、理不尽だと感じる時こそ、

この言葉を思い出して、いかにバランスを取ったらいいか、

どうしたら調和を取れるかなどの 視点を忘れずに対応していきたいと思います。


参考文献
『老子道徳経講義』田口佳史著  致知出版社



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