松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇安全保障法制をめぐって(三浦半島)

2015-09-22 | 5.同行二人

 我が家の最近の食卓の話題は、やはり安保法制である。私、連れ合い、二男、それぞれの体験や年代の違いが出て、興味深い。ざっくばらんに話すので、面白いことにも気が付く(解釈改憲の問題点については、すでに書いた)。

 みんなの意見が一致したのは、安倍さんは、きっと真面目で素直な好い人だという評価である。その生真面目さゆえに、日本を取り巻く環境の変化にそのまま素直に反応して、安保法制の整備に、率先して取り組むべきだと考えたのではないか。真面目な人から見れば、自分だけがよければよいという一国平和主義は、ある意味卑怯だし、世界のために、きちんと責任を果たすべきだと考える。この素直さは、育ちの良さの表れなのだろう。

 若い人たちのなかで、今回の安保法制を支持する人が意外と多く、自民党の中でも、若手議員に賛成者が多いが、これも、こうしたある種の正義感に共感するからではないか。若者ならではの真面目さ、正義感が、安保法制を支えているのだろう。

 他方、同じ自民党でも、老練な政治家は、集団的自衛権の行使や後方支援に対して、むしろ批判的であるが、これは老練ゆえのしたたかさではないか。なにせ相手は国際政治である。国際政治は、ニコニコと握手しながら、見えないところで、相手の足を踏みつける世界である。難題に、馬鹿正直にぶつかるばかりではなく、いなしや肩透かしだってありである。現執行部のあまりの真正直さに、危うさを感じているのではないだろうか。

 言い換えると、これまで日本がやってきたのは、憲法9条を盾としたバックパッシングである。バックパッシングは、「責任転嫁」、言い換えると「面倒なことは他人にやらせる」という国際政治の手法である。憲法9条は、アメリカから押し付けられたもので、そのため、日本は身動きできないと言って、これまで責任を他人(アメリカ)に押し付けて、経済競争にまい進してきた(今日の豊かさを実現してきた)。憲法9条は、このバックパッシングの材料として、まだまだ使えるという見立てでもあるだろう。

 我が家でも、責任転嫁は卑怯だ(こういうやり方は心情的には好かない)という考え方と、使えるものならば何でも使え(心情は置いといて、計算高く行動すべきだ)という考え方に分かれるが、そうすると、本当の論点は、果たして、憲法9条は、バックパッシングの材料として、賞味期限切れになってしまったのかどうかである。そして、おそらく、ここが国民が一番知りたいことのひとつだろう。国会では、乱闘や些末な議論ではなく、この点に関する冷徹な議論をしてほしかった。

 追記。もう一つ、今回の騒動で改めて感じたのは、自民党も、対する野党側も、結局、国民を信用していないのではないかということである。例えば、相互のキャッチフレーズである。自民党の「平和安全法制」に対して野党側も「戦争法案」である。過剰包装のキャッチコピーを押し立てのぶつかり合いは、つまり、お互いとも、どうせ詳しい内容は国民は分からないのだ、見出しをみて判断するのだという、国民を冷たく見る様子が見え隠れして、いやな気分になる。結局、なめられていることになるが、それに対しては、国民自身がきちんと勉強するしかないだろう。それには、民主主義の学校である地方自治で、きちんと勉強すべきだというが、私の意見であるが、もちろん、これは我田引水なのだろう。

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