今の消滅可能性都市対策・地方創生は、同じ箱庭のなかで、建物や木の位置を動かしているようなものだ。
(1)例えば、都城市の500万円は、ふるさと納税で得た資金を移住促進につぎ込むものである。その原資は、横浜市や川崎市の住民が払う税金である。つまり、横浜市などのお金を右から左に回したもので、日本全体では、お金を増やしたわけではない。
それだけならば、労力がかかっただけで済むが、実際は返礼品や事務処理費用が大きく差し引かれてしまう。つまり、さとふるなどの業者が儲け、あるいは、返礼品に指定された業者だけが儲かるという、不公平や無駄が生じてしまう。
もし、都会のお金を地方に回したいのなら、本当に困っているところに、お金を回すべきで、500万円を配るなどの、大盤振る舞いは、税金の使い方においては、非効率だし不公平である。
(2)人口を獲得するために補助金をつぎ込むことも同じである。その町が人口が増えて、少しはハッピーになるが、日本全体では、人口が増えたわけではなく、A町からB町に、人を異動させただけである。人の異動に伴う効果もないわけではないが、そのために膨大な補助金を使っている。それならば、日本全体の人口を増やすために、そのお金を使ったほうがいい。
今、政治や有識者が提案すべきは、箱庭の範囲内でのやりとりではなく、箱庭を広げる提案だろう。少子化を変える提案は、国家戦略なので、リーダーたちが、大きなビジョンを示さないと先に進めない。
『地方消滅』本は、そのあたりが、あいまいでパンチがなく、いきなり地方の丸投げ的なところが、物足りない。
(3)自治体で政策づくりをやっていて、政策が大きく曲がるのが中小企業のところである。中小企業には苦しいところも多いだろうし、そこで働いている人も多い。そこに配慮するのが政治なのかもしれない。
箱庭のなかで、無駄なやりくり、置き場所異動をやるのも、選挙に有利なのだからだろう。自民党はじめどの政党が一定の既得権の上に乗っているが、この既得権が大胆な提案の妨げになっているのだろう。消滅可能性都市や地方創生は、この既得権を乗り越えて初めて実現できるのだろう。
都城の500万円であるが、都城市の市長さんは、元大蔵省(経歴で言うと主税局にもいた)のキャリアのようだ。だから、当然、500万円を配ることも馬鹿さ加減は十分に理解しているだろう。しかし、この政策は、選挙の前に打ち出していることをみると、財政規律を重視する財務省出身者でも、そちらに走ってしまうのだろう。消滅可能性都市は、民主主義や民主政治の本質にせまる奥の深さを持っているのだろう。
この政治の魔力のような話は、穂積さんと議論したら、面白いのではないか。