松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆選挙と住民投票の同日実施(三浦半島)

2016-09-25 | 1.研究活動

 選挙と住民投票を同日実施したらどうだろうか。

 私はフェイスブックをつくっているが、高校の同窓会の連絡用に作ってもらったもので、ほとんど見ることがない(友だち申請があったときくらい)。今度、1か月限定で、フェイスブックをやってみようかとも考えてみたが、あちこち出かけているか、家で本を書いているかのどちらかなので、多動性と不動性の二極分化で、おかしや奴ということが、分かる結果になるのだろう。やめておこう。

 私は、やはりブログ派で、思い出したようにブログを書いている。傾向としては、本を集中的に書いていたり、講演や研修が続くときは、なかなか書けず、逆に、やる気のない時や暇なときは、続けて書く傾向がある。今回は、しばらくさぼったのは、たまたま、まとまった時間が取れ、一日中、本を書いているからである。

 ちなみに、本の素材としても、このブログを書いている。ブログを再編成した本を1冊出したが(『自治の旅』)、ブログが膨大すぎて、次のブログ本は、手がつかない。

 ほかのブログは、スマホで電車の中で読む。今回、趣味が共通のブログ(音楽など)に、住民投票と選挙を同時にやったらどうか、という記事があった。

 これは住民投票制度の論点の一つで、全体には、否定的な意見が多い。積極的に肯定しているのが、ほとんど唯一の例が川崎市の住民投票条例である。その理由は、経費である。100万人都市の住民投票なので、膨大な経費がかかる。費用対効果から、住民投票そのものへの反対論も根強いが、それへの反論として、編み出したのだと思う。

 この川崎方式が出されたときの私の率直な印象は、「実際には住民投票をやることはないだろう」と考えて決めたのではないかというものである。100万都市では、住民投票を行うのはきわめて難しいが、そんな気楽さが、決定の背景にあったのではないかというのが私の邪推である。

 実際、同日実施をすると、事務の混乱は、半端ではない。別の日なら使いまわしできる投票箱も、追加で新たに作らなければいけない。何よりも大変なのは、人の手配だろう。期日前のほか、投票・即日開票になると、たくさんの人を動員し、翌日の仕事にも影響が出てしまう。川崎の場合は、住民投票の年齢は18歳なので、当時でいえば、選挙とは、もう一つ別の選挙管理人名簿ををつくる必要がある。外国人も投票権があるからこちらの準備もしなければいけない。ただでさえ目一杯で、しかも、少しもミスが許されない通常の選挙事務に加え、新たな二重、三重の事務が重なり、実務的には、総スカンだろう。

 ただ、これは事務なので、人と予算をつけ、多少の失敗に目をつぶれば(きっとそれも許されないが)なんとかできるかもしれないが、むしろ重要なのが住民投票と選挙の双方に与える影響である。

 住民投票は、あるテーマについて、A案,B案を比較し、どちらが良いか判断する仕組みである。本来は、冷静、客観的な判断して、もっともよいものを選べばよいが、実際には、勝った負けたの勝負になるので、お互いがヒートアップする。そこで、全体ではなく、一点を取り上げて議論したり、相手の主張の弱点を非難する合戦になりやすい。一面からの議論で答えを出しやすい。(EUの移民反対のような)。

 それを補う試みが、新城市でつくった住民投票の前に、市民まちづくり集会をかませるシステムである。住民投票の前に、ここで議論を整理して、論ずべき論点に明確にし、市民が冷静に熟議ができる機会を作ろうと考えたが、実際には、この会議自体がヒートアップして、ヤジの嵐になってしまったのは、すでに述べた。「あの新城市をもってしても」、熟議を使いこなすことは難しいということなのだろう(私は住民投票については慎重派であるが、それでも、こうした対案を考え、提案している。大いに賛成という人こそ、熟議ができる仕組みを提案してもらいたいと思っている)。

 住民投票と選挙を連動させると、実際には、住民投票のテーマに賛成か反対かで議員を選ぶことになる。もともと、選挙は、人を選ぶものである。人は多面的なので、全体評価で人を選ぶ。自分が最も好ましいと考える候補者も、すべての政策で、自分の考えとすべてマッチするというのはまれで、この意見では大いに共感するが、この点ではちょっと違うというのが普通である。でも全体として共感するところが多いので、この候補者に投票するという行動になる。

 一面だけで、モノを選ぶと、間違いを起こしやすいというのが、人生の体験である。仕事がら、立派だなあという人に出会うが、そうした人は、きまって多様で、許容力が大きい。たしかに人はそれぞれである。強みもあれば弱みもある。他者と対峙するときは、その良さを引き出し、弱さを補うように心がけるのが、人としての基本であるが、少なくとも、助け合いが基本の地方自治では、リーダーは、さまざまな価値を許容し、その中からより良いものを選び、止揚できる人を選ばなければならない。住民投票と選挙を連動させると、その基本を見失いがちになる。

 実際の混乱としては、住民投票と選挙を連動させると、住民投票に仮託した選挙運動も行われる。住民投票の戸別訪問だと言って、選挙運動も行われる。そもそも論は別にして、現行法制を前提とすると、それに伴う実務の混乱や住民の戸惑いは、かなりのものになるだろう。それを避けるためには、周到な準備事務が必要であるが、川崎市の条例では、その点について、検討した形跡は見当たらない。そこが、「実際には住民投票をやることはないだろう」と考えているのではないかという理由の一つである。

 住民投票で無駄なコストを削減するのは当然であるが、お金のことを考えすぎると、本末転倒になる。もともと住民投票はお金のかかるものである。それを覚悟で行うものであるゆえ、住民投票が熟議の場になるにはどうしたらよいか、建設的な対案を考えることに注力したほうがいいように思う。

 

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