
第2期第3回目の区民会議があった。
こうした会議は、2期目が難しい。第1期は、初めてなので、やることもたくさんあるが、第2期になると、それをさらに具体化するという段階に入るので、具体的な対案や提案を考えなければいけないからである。
この会議で大事にしているのは、区民の活動の中から、課題を抽出し、その課題を解決する実践的な対応策を模索することである。地方自治では、現場から考えることが大事だからで、前回に続き、5つの地域から、その活動状況を説明してもらった。
報告を聞いて、あらためて感じたが、同じ相模原市南区とはいっても、地域の特徴が違うことである。そこから、当然、活動も違ってくる。同時に、会長さんの個性が色濃く出ることである。いかにも、この会長さんらしいという活動が並んでいた。地域の特色とリーダーや活動家の個性をミックスして、政策を創っていくのだろう。少なくとも、特徴や個性を押さえて、一色で固める時代は終了である。
さて、衆議院選挙が始まったが、選挙制度は、代表性(多数)と多様性のどちらを重視するかで、制度づくりが違ってくる。今日の衆議院議員選挙は、小選挙区が300で、比例代表が180なので、多数性=代表性を基軸に、そこに多様性を取り入れるシステムを採用している。かつての中選挙区では、多様性が重視されたが、それを小選挙区に変えたのは、国民の多数を踏まえた決定する強い政治を目指したものであろう。この方式が適切に機能するのは、国民が十分に、それをこなすことが前提であるが、小泉郵政選挙では自民党に、政権選択選挙では民主党に、そして今度の選挙には自民党と、大きくぶれる現状を見ると、悲観的な気分になる。
小選挙区制の結果、対立軸を明確にするために、政党は極端な政策をとるようになった。とくに顕著なのが自民党で、自民党といえば、多様な価値を認めるおおらかさが魅力で、それが新たな発想や活動を産む原動力であったが、対立軸を明確にするために、すっかりネトウヨ的になり、異質な価値を包含するおおらかさを失ってしまった。
国はともかくとして、地方自治は、多数ではなく、多様性を基本とする仕組みであるのが、最近では、地方の良さを減殺する動きが目立つようになったのは残念である。
そうした動きは別として、地域では、それぞれの価値を大事にして、そのうえで妥協して、少しでも前に進めるという民主主義の原則を、地道に実践して行こうとと思う。
こうした会議は、2期目が難しい。第1期は、初めてなので、やることもたくさんあるが、第2期になると、それをさらに具体化するという段階に入るので、具体的な対案や提案を考えなければいけないからである。
この会議で大事にしているのは、区民の活動の中から、課題を抽出し、その課題を解決する実践的な対応策を模索することである。地方自治では、現場から考えることが大事だからで、前回に続き、5つの地域から、その活動状況を説明してもらった。
報告を聞いて、あらためて感じたが、同じ相模原市南区とはいっても、地域の特徴が違うことである。そこから、当然、活動も違ってくる。同時に、会長さんの個性が色濃く出ることである。いかにも、この会長さんらしいという活動が並んでいた。地域の特色とリーダーや活動家の個性をミックスして、政策を創っていくのだろう。少なくとも、特徴や個性を押さえて、一色で固める時代は終了である。
さて、衆議院選挙が始まったが、選挙制度は、代表性(多数)と多様性のどちらを重視するかで、制度づくりが違ってくる。今日の衆議院議員選挙は、小選挙区が300で、比例代表が180なので、多数性=代表性を基軸に、そこに多様性を取り入れるシステムを採用している。かつての中選挙区では、多様性が重視されたが、それを小選挙区に変えたのは、国民の多数を踏まえた決定する強い政治を目指したものであろう。この方式が適切に機能するのは、国民が十分に、それをこなすことが前提であるが、小泉郵政選挙では自民党に、政権選択選挙では民主党に、そして今度の選挙には自民党と、大きくぶれる現状を見ると、悲観的な気分になる。
小選挙区制の結果、対立軸を明確にするために、政党は極端な政策をとるようになった。とくに顕著なのが自民党で、自民党といえば、多様な価値を認めるおおらかさが魅力で、それが新たな発想や活動を産む原動力であったが、対立軸を明確にするために、すっかりネトウヨ的になり、異質な価値を包含するおおらかさを失ってしまった。
国はともかくとして、地方自治は、多数ではなく、多様性を基本とする仕組みであるのが、最近では、地方の良さを減殺する動きが目立つようになったのは残念である。
そうした動きは別として、地域では、それぞれの価値を大事にして、そのうえで妥協して、少しでも前に進めるという民主主義の原則を、地道に実践して行こうとと思う。