この日の景観審議会は面白かった。
この日は屋外広告物の特例について話し合った。興味深いのは、デザインを専門にする人と私のようにまちづくりを専門にする人との発想の違いである。広告物そのものに着目するか、広告物が置かれる状況にも重点を置くかの違いである。
全体の議論としては、まちの置かれている状況を踏まえ、許容の条件を整理する議論になった。みんなで知恵を出しいい条件が整理されたと思う。
改めて感じたのが、企業が、自分たちの活動しているまちをどのように育てていくのか、そういう視点が乏しいこと。こういう視点で、今回の広告を考えれば、もっとすっきりした、共感が得られるものになるはずだからである。
よく公務員と違って、民間の人たちは、社会で鍛えられているといわれるが、その社会性は、経済競争という範囲での社会性で、公共性という点での社会性は、公務員の人たちのほうが、ずっと経験豊かである。
会社社会における公共性の乏しさが、リタイアして地域に出たときに、地域の論理になじめず、ときには会社の論理を持ち出して、地域のおばちゃんたちから反発を受けるということになる。
今回は、普段は発言しない、公募市民も人も発言でき、難しい会議だったけれども、いい会議だった。
この日は屋外広告物の特例について話し合った。興味深いのは、デザインを専門にする人と私のようにまちづくりを専門にする人との発想の違いである。広告物そのものに着目するか、広告物が置かれる状況にも重点を置くかの違いである。
全体の議論としては、まちの置かれている状況を踏まえ、許容の条件を整理する議論になった。みんなで知恵を出しいい条件が整理されたと思う。
改めて感じたのが、企業が、自分たちの活動しているまちをどのように育てていくのか、そういう視点が乏しいこと。こういう視点で、今回の広告を考えれば、もっとすっきりした、共感が得られるものになるはずだからである。
よく公務員と違って、民間の人たちは、社会で鍛えられているといわれるが、その社会性は、経済競争という範囲での社会性で、公共性という点での社会性は、公務員の人たちのほうが、ずっと経験豊かである。
会社社会における公共性の乏しさが、リタイアして地域に出たときに、地域の論理になじめず、ときには会社の論理を持ち出して、地域のおばちゃんたちから反発を受けるということになる。
今回は、普段は発言しない、公募市民も人も発言でき、難しい会議だったけれども、いい会議だった。