
(2011.10.29)
反省会・研究会の記録をまとめた。
議事録や学んだこと(考察)も含めて5ページ・5600字のメモとなった。これと9月に行った会議の分析や概要を含めて、反省会・研究会の参加者に送ろうと思う。これを読んだら、再度、意見等を出してほしい(なお、9月の会議の詳細な記録はJCから送られてくる予定)。
改めて学んだことを、ここでは2点書いておこう。
①私たちは、この制度を代表的な市民意思の集約方法と考えていたが、市民の思いとは、ずれていること。市民は、まちのことを思う人が初めて出会い、ともに議論する場に意義を見出している。つまり、私たちは、市民が意見を言い、ともに議論する機会ならば、たくさん用意されていると考えていたが、それが違うということである(たしかに機会はたくさんあるかもしれないが、ハードルが高くて、簡単には使えないということである)
②案件学習の機会になるということである。反省会・研究会の参加者の方が言っていたが、委員に当選した1か月、新聞を丹念によみ、スクラップをつくったということである。程度の差はあるが、抽選に当たった人は、こうした行動や意識の変化があったということだろう。
これらが、この制度の重要な意義とすると、当日の会議の進め方も、違ってくる。
①この制度の最大の問題は、適切な情報提供の仕方であるが、「長い説明はいらない」という意見があったように、そんなことは、自分で勉強して来たから不要だということからだろう。
②意見集約方法も、シール投票をし、ベストワンを出すが、多様性、少数意見こそが大事ということになる。
いずれにしても、この制度を使える仕組みにするには、まだまだ研究が必要ということだろう。
(20111.10.15)
9月にやった無作為抽出型熟議会議の反省会・研究会を行った。
参加者は9月の会議の参加した市民6名、JC、区役所、そして松下ゼミ生である。
なによりも嬉しかったのは、会議の参加者のうちから、引き続いて、考えてみようという市民がいて、そして、関係者が立場の違いを超えて、率直な議論をすることができたことである。
出た意見は、時間をおいて整理したいと思うが、印象的だったのは、
①この制度の趣旨は、どこにあるのかである。まず、この点から、さまざまである。
参加した市民の多くは、知らない人同士で、まちのことを話しあうことに価値を感じているようである。会場を去りがたかったという意見もあった。たしかに、こうした機会はあるようで、そうはないからである。
JCは、市民の平均値を知ることに意義があるという意見のようである。たしかに、一部の大きな声が、市民の声のように取り扱われることもある。
②これを制度化する際のむずかしさである。
制度化、予算化するには、効果が求められる。施策に活かされること(意味があること)が要求されるのである。出会いの機会では、そう簡単に予算はつかないであろうし、市民の平均値を知るという点については、そんなことは聞かなくても解っているというのが行政の本音であろう。簡単には、予算はつかないであろう。
③この制度の悪用の問題である。
つまり、平均値をかさにきて、少数者を押しつぶす危険がある(これは住民投票も同じ)。平均値で仕事をしていたら、政治も行政もいらない。声を出せない市民、少数だけれども大事な価値を拾い出し、光を当てるのが政治・行政だからである。行政が、この制度を多用しはじめたら、おそらく要注意だと思う。
いずれにしても、現状では、まだまだ政策づくりに使えるレベルに達していない。さらに研究を続けていく必要があると思う。
反省会・研究会の記録をまとめた。
議事録や学んだこと(考察)も含めて5ページ・5600字のメモとなった。これと9月に行った会議の分析や概要を含めて、反省会・研究会の参加者に送ろうと思う。これを読んだら、再度、意見等を出してほしい(なお、9月の会議の詳細な記録はJCから送られてくる予定)。
改めて学んだことを、ここでは2点書いておこう。
①私たちは、この制度を代表的な市民意思の集約方法と考えていたが、市民の思いとは、ずれていること。市民は、まちのことを思う人が初めて出会い、ともに議論する場に意義を見出している。つまり、私たちは、市民が意見を言い、ともに議論する機会ならば、たくさん用意されていると考えていたが、それが違うということである(たしかに機会はたくさんあるかもしれないが、ハードルが高くて、簡単には使えないということである)
②案件学習の機会になるということである。反省会・研究会の参加者の方が言っていたが、委員に当選した1か月、新聞を丹念によみ、スクラップをつくったということである。程度の差はあるが、抽選に当たった人は、こうした行動や意識の変化があったということだろう。
これらが、この制度の重要な意義とすると、当日の会議の進め方も、違ってくる。
①この制度の最大の問題は、適切な情報提供の仕方であるが、「長い説明はいらない」という意見があったように、そんなことは、自分で勉強して来たから不要だということからだろう。
②意見集約方法も、シール投票をし、ベストワンを出すが、多様性、少数意見こそが大事ということになる。
いずれにしても、この制度を使える仕組みにするには、まだまだ研究が必要ということだろう。
(20111.10.15)
9月にやった無作為抽出型熟議会議の反省会・研究会を行った。
参加者は9月の会議の参加した市民6名、JC、区役所、そして松下ゼミ生である。
なによりも嬉しかったのは、会議の参加者のうちから、引き続いて、考えてみようという市民がいて、そして、関係者が立場の違いを超えて、率直な議論をすることができたことである。
出た意見は、時間をおいて整理したいと思うが、印象的だったのは、
①この制度の趣旨は、どこにあるのかである。まず、この点から、さまざまである。
参加した市民の多くは、知らない人同士で、まちのことを話しあうことに価値を感じているようである。会場を去りがたかったという意見もあった。たしかに、こうした機会はあるようで、そうはないからである。
JCは、市民の平均値を知ることに意義があるという意見のようである。たしかに、一部の大きな声が、市民の声のように取り扱われることもある。
②これを制度化する際のむずかしさである。
制度化、予算化するには、効果が求められる。施策に活かされること(意味があること)が要求されるのである。出会いの機会では、そう簡単に予算はつかないであろうし、市民の平均値を知るという点については、そんなことは聞かなくても解っているというのが行政の本音であろう。簡単には、予算はつかないであろう。
③この制度の悪用の問題である。
つまり、平均値をかさにきて、少数者を押しつぶす危険がある(これは住民投票も同じ)。平均値で仕事をしていたら、政治も行政もいらない。声を出せない市民、少数だけれども大事な価値を拾い出し、光を当てるのが政治・行政だからである。行政が、この制度を多用しはじめたら、おそらく要注意だと思う。
いずれにしても、現状では、まだまだ政策づくりに使えるレベルに達していない。さらに研究を続けていく必要があると思う。
研究者、市民、行政のそれぞれが、一緒に議論し、学ぶなかで、お互いが気づき、それぞれが力を出し合うことで、少しずつだけども、住みよい社会が実現されていくのだと思います。
数値的な平均値は、誤魔化す事の出来ないものですが、その調査母体の選別が、自由にできる事が、多分先生の指摘する所以だと思います。
今回の市民研究会のポイントは、無差別抽出にあると思っています。(それでも、来れない人もいますから、本当の意味での平均値ではないのですが、より近くなっている。九電の原発諮問会の参加者とは異なる。)
又、平均値を弄んで、自分達の都合いい平均値を作りだしている、最大の国家機構は、人事院でしょう。膨大な母体数を誇っていますが、母体自身の選別法が、既に国民の平均とは、大幅にずれている。
次に、その母体データーから、更に選別を掛けて都合のいい母体を選択して資料を作成しています。これを平均値云い」官僚の誤魔化しの手口と化しています。
“数字”と云う本来一番誤魔化しの出来ない筈のものですら、“平均値”と云う名の下で操作されて、悪用されている。
まして、“言葉や表現での平均は、更に操作が容易と云う事なのだろう」と思います。
しかしながら、無差別抽出での調査母体を活用すれば、より真の平均に近づけるのでは、無いか」と思います。
そこで問題となるのは、どの様な調査母体の無差別抽出法が、平均意見の抽出に適しているのか?」・・・とても重要な研究になると思います。
最後に、今回参加して、非常に楽しかった(勉強になった)事を付け加えたいと思います。
自分の意思を表明するには、普通の人だと選挙での投票くらいでしょうか。ただ、それを意思といえるのかが微妙ですけど。パブコメという意見もありましたが、PCがない場合など、情報格差がありあまり活用できないのかもと思っております。
今回のように、意志を反映できるかどうかは別にして、思っていることを表明して、あるいは他の人の意見を聞くことで、何か真剣に考えるようになった気がします。
一番重要なのは、考えること。スケールの大小はありますが、自分に直接関係がないとあまり物事を考えないような気がします。例えば、尖閣諸島や北方領土などの領土問題など。
区民ミーティングを完成の域まで持っていくのは大変ですが、今回やったことは、たたき台としては十分な価値があったと思います。
何より、自分が相模原のことをちゃんと考えるようになったから。みんな潜在的には自分の住んでいるところが、いいところであってほしいと思っているはず。
そんなきっかけを与えれくれる場だったと思います。次回も行ってほしいですし、できれば無作為抽出にまた当たりたいですね。
後はゼミの皆さんがこれからまとめるであろう、ミーティングと反省会の議事録を楽しみにしています。
『「その母体データーから、更に選別を掛けて都合のいい母体を選択して資料を作成しています。これを平均値云い」官僚の誤魔化しの手口と化しています。
“数字”と云う本来一番誤魔化しの出来ない筈のものですら、“平均値”と云う名の下で操作されて、悪用されている。
まして、“言葉や表現での平均は、更に操作が容易と云う事なのだろう』
・・・そう思います!
如何に現場で平均値を拾い集めるか?なんだと思います。
事件は、現場で起きているんです!
奴らは、アベレージを机上で操作して・・・、でも可視化できるのは、現場で拾える数値です。皆が現場に出られれば操作できなくなります!
官僚はフィールドに出たいと思っています。
現場=フィールドへ奴らをひっぱり出すきっかけだけ作れば、あとは回り始めると思います。