松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆なぜ新城市は次から次にヒットを飛ばせるのだろう⑩時代を見る目

2020-06-17 | 新城市がヒットを飛ばせる理由
 時代を見る目、視点がしっかりしているからだろう。

 新しい政策を打ち出すのは、コツを覚えれば簡単である。どんな政策も下部構造の表出なので、下部構造をしっかり理解しておけば、そこからヒントが生まれてくる。

 つまり、新しい政策は、現状と制度のギャップの違いから生まれるから、それへの対応策を体系化すれば、新しい政策が生まれてくることになる。
 
 下部構造は、ポスト産業化社会である。やや古臭い議論のようにも感じるかもしれないが、ベルの指摘は、ほぼその通りになっていると思う。

 日本では、産業が、第一次産業から第二次産業、 さらには第三次産業へと移行してきた。現在の日本では、国内総生産(GDP)のなかで第三次産業の占める割合も、全就業者のうち第三次産業に就業している人口の割合も、ともに7割程度と高くなっている。

 「産業構造の高度化」であるが、これが進んでいくと、産業全体がモノ(ハード)をつくるだけではなく、知識・情報などのサービス(ソフト)の提供を重視するようになっていく。

 産業構造の変化で、働き方も変わってくる。終身雇用、規格的な働き方は崩れてくる。人の知識や情報を活かす働き方に変わってくる。福祉などは、その典型であるが、人と人とのふれあい、気配り、優しさなどが優位となる。一人一人の個性と一体化した働き方である。

 このポスト産業化は、市民の意識を変える。一言でいえば多様化、高度化であるが、これと、大衆社会の付和雷同がセットになって、市民ニーズとなって役所に向かうことになる。「ほかの人と同じような違った対応」、「役所には文句を言うが、役所に依存する」という奇妙な相互関係が生まれる。

 他方、地方自治の制度の方は、第一次産業の時代のままである。例えば住所は1個である。大阪国際大学時代にそうであったが、半分は三浦半島で暮らし、残りの半分は京都で暮らし方であったが、制度は、そうした暮らし方を想定していない。地方分権の時代になって、ようやく第二次産業になってきただろうか。地方自治法は昭和22年、地方公務員法は昭和26年にできた。それが今日に続いている。

 つまり、時代は大きく変わったが、制度は70年前のままである。だから、このギャップを埋める政策は、山ほどある。そこに目をやって、新しい施策を提案すればナンバーワン、オンリーワンの政策が出来上がる。

 実際、若者政策などもその例である。超高齢社会で若者が時代の背負い人である。しかし、若者の出番を認める制度がない。そのギャップを埋めるのが若者政策である。こんな分かりやすいことを、私はいろいろな市長さんにお話ししたが、「私もそう思っていた」と呼応したのは、新城市の穂積市長さんだけだった。それをするのが、新城市ということになる。

 その意味で、誰でもできることであるが、研究室とは違って、現実の地方自治では、相手もいる。昭和の時代にとどまっている人たちもたくさんいる。どの時代なのと突っ込みたくなるような意見も、声高に主張される。時には、学校で習ったようなことをそのまま意見としていう大人もいる。

 そうした人たちを説得し、制度化するには、もう一つ別の能力(総合力)が必要になるが、新城市には、それがあるということなのだろう。
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