1.ヤングケアラー法
■ヤングケアラーの定義
ヤングケアラーが法制度となり、ヤングケアラーは「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と定義された。
■ヤングケアラーの現状
国の全国調査によれば、次の通りである。
・世話をしている家族がいる 小学6年生(6.5%)、中学2年生(5.7%)
・ケアの頻度を「ほぼ毎日」している 小学6年生(52.9%)、中学2年生(45.1%)
・平日1日あたりのケアの時間が3時間以上 小学6年生(29.9%)、中学2年生 (33.5%)
こうした背景から今回の法改正で、ヤングケアラーが法律に位置づけられた。
■法改正は子若法の一部改正として
先行するヤングケアラー条例がいくつもあるので、ヤングケアラー法も、独立の法律になるのかと思ったが、子ども・若者育成支援推進法(子若法)の改正法として制度化された。
この法律の対象者は、従前は「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者」(不登校、不就学、引きこもり)であったが、それに加え、ヤングケアラー「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」(第2条第1項7号)が入れられた。
2.何が問題なのか
■問題とされているのは「過度に」
ヤングケアラーは、「過度に」家族の介護その他の日常生活上の世話を行っている子ども・若者とされた。「過度」とすることで、政策の対象とすべきヤングケアラーが抜け落ちてしまうのではないかとの懸念である。
■逆に「過度」を削除すると広すぎる
他方、「過度」をとってしまうと、明らかに広すぎる。日ごろのお手伝いも入ってしまう。
■批判には対案が必要である
立法者も当然、こうした批判や懸念を踏まえた上で、「過度に」にしたのだろう。なので、「過度」はおかしいと批判する際には、それに代わる対案を示す必要がある。
3.対案を模索する①・それまでの定義を使う
■それまでの定義
国は、従来、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども」(こども家庭庁ホームページ)と定義していた。
当然のことであるが、ヤングケアラー法の定義を検討する際には、この従来の定義から出発して考えたのであろう。なぜ、これが法律の定義にならなかったのか。
■検討の経緯は分からない
前回のヤングケアラー研究会で、最初のときの担当者のお一人で、『自治体のヤングケアラー支援』(第一法規)の著者である内尾彰宏さんにゲストに来ていただいた際に、このあたりの「定義の検討経過」を聞いてみたが、残念ながら、異動した後なので、分からないということだった。
■しかし、広すぎるのではないか
考えてみると、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども・若者」とすると、ヤングケアラーの定義としては広すぎるのだろう。
たとえば、料理好きの高校生が、毎日、家族全員の朝食と夕食をつくっている場合などは、ヤングケアラーに当たってしまう。ちなみに、我が家では、通常、私が朝、昼、晩の食事をつくっているので、私は、オールドケアラーということになる。
ともかく、お手伝いまで含まれてしまって、広すぎるとして採用されなかったのではないか。
4.対案を模索する②なぜ、ヤングケアラーが問題なのかから考える
定義をつくるには、なぜヤングケアラーを問題とするのか、その基本に遡って考えていく必要がある。
■ヤングケアラーはかわいそう
テレビ等で紹介されるのは、そうしたケースが多いし、たしかにその一面はあるが、自分は当たり前のことをしていると考えて世話をしている子ども・若者も多い。
かわいそうから出発すると、「過度」という主観性のある言葉は、
「自分たちはあたりまえのことをしている」だから「過度」ではないと考える子ども・若者が出てしまうだろう。抜け落ちてしまうという批判が当たることになる。
■ケアラーはヤングゆえに問題
ケアラーには、老老介護(高齢のケアラーが高齢の要介護者を介護する)やビジネスケアラー(仕事をしながら家族の介護に従事する)などがあるが、ヤングケアラーは、ケアラーが、子ども・若者ゆえに、その人格形成、学業・教育、将来の選択肢(進学や就職など)に大きな影響を与える。子ども・若者らしい暮らしや人格形成ができないことから起こってくる歪み、ダメージが問題である。
5.対案を模索する③従来の定義を限定する定義①
■ヤングアラーはヤングゆえに問題という立場から考えると
ここから立論すると、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている」ため、人格形成、学業・教育、将来の選択肢(進学や就職など)に影響が出てきてしまうために対策が必要なので、その部分を加味すれば限定できることになる。
こちらの方が、より客観的だし、対応する施策も救援・保護的な施策に限らず、幅広になる
■対案定義①
「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているため、それが人格形成、学業・教育、将来の選択肢等に大きな影響を与えることが懸念される子ども・若者」と定義できることになる。
■しかし冗長すぎないか
その通りかもしれないが、これはあまりに長すぎる。
余りに迂遠なので、「過度に」という表現にとどめて、「人格形成、学業…」云々は、運用基準のなかで、書けばよいのではないかという反論が出るだろう。法制技術としては、これも一理ある。
6.対案を模索する③従来の定義を限定する定義②
■お手伝いとの違いから考える
もうひとつのアプローチは、「お手伝い」との違いから、それを加味して、定義することもできるのではないか。お手伝いとの違いは、「自らの選択権」、「親や保護者などの見守りがある」、「自由になる時間がある」である。
■対案定義②
「自らの選択ではなしに、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども・若者」との定義はどうだろう。現時点での私の定義である。
それに「親や保護者などの見守りがない」、「自由になる時間がない」を加えることができれば、より正確な定義になるのではないか。
7.結局はその後の運用が大事だろう
■運用基準にしっかり書く
「過度」に対する懸念を受けて、過度が過度に限定されないように、運営基準が示されるようだ。法律の立場でも、私の定義でも、運用基準を分かりやすく、しっかり書き、きちんと運用することは有意義であり、心配していた懸念もかなり減少されるだろう。
■子若法の仕組みをうまく使ってほしい
ヤングケアラーが子若法の改正法としてつくられたのは、率直に言って、どうかと思っていたが、逆に考えると、子若法の強みを活かすという手もある。子若法は、課題解決の施策メニューが幅広なので、うまく使えば、前に進んでいくのではないか。
■ここでも大事なのは動く仕組み
ただ、いくらきれいな制度を書いても、それで大丈夫ということではなく、その制度を支える人や財政等の裏付けをきちんと用意できないと絵に描いた餅になる。ここでも「支える人を支える政策」がやはり重要であるということになる。
■ヤングケアラーの定義
ヤングケアラーが法制度となり、ヤングケアラーは「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と定義された。
■ヤングケアラーの現状
国の全国調査によれば、次の通りである。
・世話をしている家族がいる 小学6年生(6.5%)、中学2年生(5.7%)
・ケアの頻度を「ほぼ毎日」している 小学6年生(52.9%)、中学2年生(45.1%)
・平日1日あたりのケアの時間が3時間以上 小学6年生(29.9%)、中学2年生 (33.5%)
こうした背景から今回の法改正で、ヤングケアラーが法律に位置づけられた。
■法改正は子若法の一部改正として
先行するヤングケアラー条例がいくつもあるので、ヤングケアラー法も、独立の法律になるのかと思ったが、子ども・若者育成支援推進法(子若法)の改正法として制度化された。
この法律の対象者は、従前は「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者」(不登校、不就学、引きこもり)であったが、それに加え、ヤングケアラー「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」(第2条第1項7号)が入れられた。
2.何が問題なのか
■問題とされているのは「過度に」
ヤングケアラーは、「過度に」家族の介護その他の日常生活上の世話を行っている子ども・若者とされた。「過度」とすることで、政策の対象とすべきヤングケアラーが抜け落ちてしまうのではないかとの懸念である。
■逆に「過度」を削除すると広すぎる
他方、「過度」をとってしまうと、明らかに広すぎる。日ごろのお手伝いも入ってしまう。
■批判には対案が必要である
立法者も当然、こうした批判や懸念を踏まえた上で、「過度に」にしたのだろう。なので、「過度」はおかしいと批判する際には、それに代わる対案を示す必要がある。
3.対案を模索する①・それまでの定義を使う
■それまでの定義
国は、従来、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども」(こども家庭庁ホームページ)と定義していた。
当然のことであるが、ヤングケアラー法の定義を検討する際には、この従来の定義から出発して考えたのであろう。なぜ、これが法律の定義にならなかったのか。
■検討の経緯は分からない
前回のヤングケアラー研究会で、最初のときの担当者のお一人で、『自治体のヤングケアラー支援』(第一法規)の著者である内尾彰宏さんにゲストに来ていただいた際に、このあたりの「定義の検討経過」を聞いてみたが、残念ながら、異動した後なので、分からないということだった。
■しかし、広すぎるのではないか
考えてみると、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども・若者」とすると、ヤングケアラーの定義としては広すぎるのだろう。
たとえば、料理好きの高校生が、毎日、家族全員の朝食と夕食をつくっている場合などは、ヤングケアラーに当たってしまう。ちなみに、我が家では、通常、私が朝、昼、晩の食事をつくっているので、私は、オールドケアラーということになる。
ともかく、お手伝いまで含まれてしまって、広すぎるとして採用されなかったのではないか。
4.対案を模索する②なぜ、ヤングケアラーが問題なのかから考える
定義をつくるには、なぜヤングケアラーを問題とするのか、その基本に遡って考えていく必要がある。
■ヤングケアラーはかわいそう
テレビ等で紹介されるのは、そうしたケースが多いし、たしかにその一面はあるが、自分は当たり前のことをしていると考えて世話をしている子ども・若者も多い。
かわいそうから出発すると、「過度」という主観性のある言葉は、
「自分たちはあたりまえのことをしている」だから「過度」ではないと考える子ども・若者が出てしまうだろう。抜け落ちてしまうという批判が当たることになる。
■ケアラーはヤングゆえに問題
ケアラーには、老老介護(高齢のケアラーが高齢の要介護者を介護する)やビジネスケアラー(仕事をしながら家族の介護に従事する)などがあるが、ヤングケアラーは、ケアラーが、子ども・若者ゆえに、その人格形成、学業・教育、将来の選択肢(進学や就職など)に大きな影響を与える。子ども・若者らしい暮らしや人格形成ができないことから起こってくる歪み、ダメージが問題である。
5.対案を模索する③従来の定義を限定する定義①
■ヤングアラーはヤングゆえに問題という立場から考えると
ここから立論すると、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている」ため、人格形成、学業・教育、将来の選択肢(進学や就職など)に影響が出てきてしまうために対策が必要なので、その部分を加味すれば限定できることになる。
こちらの方が、より客観的だし、対応する施策も救援・保護的な施策に限らず、幅広になる
■対案定義①
「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているため、それが人格形成、学業・教育、将来の選択肢等に大きな影響を与えることが懸念される子ども・若者」と定義できることになる。
■しかし冗長すぎないか
その通りかもしれないが、これはあまりに長すぎる。
余りに迂遠なので、「過度に」という表現にとどめて、「人格形成、学業…」云々は、運用基準のなかで、書けばよいのではないかという反論が出るだろう。法制技術としては、これも一理ある。
6.対案を模索する③従来の定義を限定する定義②
■お手伝いとの違いから考える
もうひとつのアプローチは、「お手伝い」との違いから、それを加味して、定義することもできるのではないか。お手伝いとの違いは、「自らの選択権」、「親や保護者などの見守りがある」、「自由になる時間がある」である。
■対案定義②
「自らの選択ではなしに、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども・若者」との定義はどうだろう。現時点での私の定義である。
それに「親や保護者などの見守りがない」、「自由になる時間がない」を加えることができれば、より正確な定義になるのではないか。
7.結局はその後の運用が大事だろう
■運用基準にしっかり書く
「過度」に対する懸念を受けて、過度が過度に限定されないように、運営基準が示されるようだ。法律の立場でも、私の定義でも、運用基準を分かりやすく、しっかり書き、きちんと運用することは有意義であり、心配していた懸念もかなり減少されるだろう。
■子若法の仕組みをうまく使ってほしい
ヤングケアラーが子若法の改正法としてつくられたのは、率直に言って、どうかと思っていたが、逆に考えると、子若法の強みを活かすという手もある。子若法は、課題解決の施策メニューが幅広なので、うまく使えば、前に進んでいくのではないか。
■ここでも大事なのは動く仕組み
ただ、いくらきれいな制度を書いても、それで大丈夫ということではなく、その制度を支える人や財政等の裏付けをきちんと用意できないと絵に描いた餅になる。ここでも「支える人を支える政策」がやはり重要であるということになる。
実務をあまり承知していないのでずれた意見になっているかもしれませんが、法制執務の観点から感じたことを投稿させていただきます。
改正前の条文の書き方をあまり変えないのであれば、第2条第7号は「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者、家族の介護その他の日常生活上の世話を行っている子ども・若者その他の子ども・若者であって……」と書けばいいので、「過度に」をあえて書く必要はなくなります。しかし、「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者」が「社会生活を円滑に営む上での困難を有するもの」と言えるのであれば、「その他の子ども・若者」は冗長な感じがするので、構文を改めたくなる気持ちは理解できますし、実際にそのような判断をしたのだと推測します。
改正文は、ヤングケアラーを「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」の例示として書く形にしていますが、それ程きっちりと定義をしなければいけない箇所ではないので、「過度に」という表現を用いたことは、そういう表現もありだろうと思います。
なお、字面だけを見ると、改正前の条文でも、「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」であれば、支援対象になっていたので、ヤングケアラーも含まれてはいたのであり、改正文は、それを明記したという位置付けになると思います。そうすると、法律案要綱では、「子ども・若者育成支援の基本理念において、必要な支援を行う対象者に、家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者を追加するものとすること」とされていますが、「……必要な支援を行う対象者として、家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者を明記するものとすること」といった表現が正確なのではないかと感じました。
こんにちは。ごぶさたしています。
コメント欄を見ていなかったので、いま気がつきました。すいませんでした。
ご指摘の「なお以下」については、その通りですね。
ただ、ヤングケアラーは、ここ数年で政策課題として発見されて、子若法制定当初は、含まれていなかったので、「追加」されたというのは、率直な感覚なのでしょうね。
自治基本条例づくりのときに、よく議論になりましたが、たとえば、子どもの参加権について、これは市民の参加権に含まれているけれども、強調するために、重複的に記述するという選択をしましたが、ヤングケアラーを明示するのも政治的、政策的な決意として、意味がありますね。
前半の部分のご指摘は、今ひとつよくわからないので。時間があるときで結構ですので、解説をお願いします。
子ども・若者育成支援推進法は、それ自体具体的な施策を定めている法律ではないので、支援対象をそれ程厳密に定義する必要はないと考えられるため、できるだけ簡潔とすることを選択したのだと思います。そういう意味では、まさしく法制執務的な対応だったのかもしれません。
ただ、表現の仕方は、いろいろ書き方があると考えられる中で、なぜこのような表現になったのかは興味を惹かれるところです。そうした意味では、こども家庭庁による最初の原案がどういったものだったのか気になります。