ヤングケアラーが法制度となり、「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と定義された。
1.問題とされているのは「過度」
「過度に」家族の介護その他の日常生活上の世話を行っているとすると、政策の対象とすべきヤングケアラーが抜け落ちてしまうのではないかとの懸念である。
2.前稿(ヤングケラー①)では、それまでの定義を使えないかと考えた
それまでは、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども」(こども家庭庁ホームページ)と言っていた。これを使えないかと考えた。
でも、たとえば、料理好きの高校生が、毎日、家族全員の朝食と夕食をつくっている場合などは、ヤングケアラーに当たってしまう。ちなみに、我が家では、通常、私が朝、昼、晩の食事をつくっているので、私は、オールドケアラーということになる。
当然、この定義をスタートに、定義づくりをしたと思われるが、これでは明らかに広すぎるので、採用されなかったのではないか。
3.ヤングケアラー問題は、ケアラーが子ども・若者ゆえに、人格形成、学業・教育、将来の選択肢(進学や就職など)に大きな影響を与える。子ども・若者らしい暮らしができないことから起こってくるキズや歪みが問題だと考えと、それを加えることで、限定できるだろう。
「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているため、それが人格形成、学業・教育、将来の選択肢等にに大きな影響を与えることが懸念される子ども・若者」と定義できることになる。
4.「過度に」論からは、3は、その通りかもしれないが、あまりに長すぎるので、「過度に」としたという反論ができるのだろう。人格形成…は、運用基準のなかで、書けばよいというということになる。法制技術としては、一理あるだろう。
5.もうひとつは、「お手伝い」との違いから、それを加味して、定義することもできるのではないか。
「自らの選択権なしに、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども・若者」である。こちらの方がいいかもしれない。さらには、お手伝いとの違いである、「親や保護者などの見守り」、「自由になる時間」なども加えれば、より正確になるだろう。