松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆ヤングケアラーの定義・抜け目のないダイナミズム

2024-07-17 | ヤングケアラー
 「過度に・・・」はヤングケアラーの定義なのか。ちょっと議論が続いている。

1.たしかに子ども家庭庁は「定義」と考えている
 私は、定義ではないという立場であるが、国は定義と考えているようだ。
 令和6年6月12日付けこ支虐第265号こども家庭庁支援局長通知では、「<定義> 〇ヤングケアラーの定義中の「過度に」とは、・・・」としている。

 他方、続いて、特にわざわざ赤字で「都道府県及び市区町村(こども家庭センター等)において支援対象であるかの判断を行うに当たっては、その範囲を狭めることのないように十分留 意し、一人一人のこども・若者の客観的な状況と主観的な受け止め等を踏まえながら、その最善の利益の観点から、個別に判断していくことが重要」とも書いていて、「過度に」とすることの弊害も強く認識しています。

2.ただし、それは国の考え方ということ
 地方分権以降、いうまでもなく、国と地方は考え方が違ってよく、「これが定義だ」というのはあくまでも国の考え方である。
 地方から見ると、「過度に」を定義にすると、支援の対象となる子ども・若者が零れ落ちてしまうというのが、そもそもの問題意識だった。国だって、わざわざ「赤字」で、注意事項を書いている。

3.政策法務の考え方
 地方から国の法律を解釈していくのが政策法務である。
 ①1,2で述べたように、「過度に」を基準にヤングケアラーを判断していくのは妥当でないという実態(実質妥当性)をベースに
 ②判断の基準は「社会生活を円滑に営む 上での困難を有する」状態に至っているかどうか、すなわち、こどもとしての健やかな成長・発達に必要な時間(遊び・勉強等)を、若者においては自立に向けた移行期として必要な時間(勉強・就職準備等)を奪われたり、ケアに伴い身体的・精神的負荷がかかったりすることによっ て困難に陥っていないかどうかが大事であって、「過度に・・・」の部分は、あくまでも例示であって、ヤングケアラーの定義ではないこと
 ③「過度に・・・」を定義というのなら、きちんと定義に書くべきではないか
等を理由に、政策法務の立場では、地方の解釈の正当性を主張していくことになる。

 要するに、「基本理念であって、定義ではないじゃないの」というのは、むろん、水掛け論の揚げ足取り的なものであるが、地方の論拠を補強する「文言的、形式的」説明として使うものである。合わせ技のひとつである。

4.おかしいと指摘するだけでは先に進まない
 「過度に…」を定義とするのはおかしいと批判するのは簡単であるが、それでは先には進まない(他人まかせで、私の流儀も合わない)。相手の顔も立ち、同時にこちら側の実質的な成果を得られる道を探るのが、自治体職員である。その分、一刀両断ではないので迫力はないが、公害立法以来、それでずっとやってきたし、それが自治体学だと思っている。この「抜け目のないダイナミズム」が、今は弱いというのが私の率直な感想である。
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