憲法の授業の様子である。たまたまこの日は授業公開ウィークということで、大学の授業が公開される日であった。高校生から、参加したいという申し出があり、分かりやすい授業をやることにした。
この日は、天皇の2回目である。こんな問題提起から、始めることにした。「もし、皇太子さんが、みんなと同世代で、たまたま大学のサークルで知り合い、親しくなった。イケメンだし、とても優しい。そのうち、相思相愛になり、結婚してほしいと、申し込まれた。その時、みんなは結婚するか」
yes・noの旗を渡して、旗を上げておらった。全体で50人くらいのうち、6,7人が、yesを上げた。Noの理由は、堅苦しいそう、育った世界が違いすぎるなどがその理由である。ここから、天皇制度、そして天皇の基本的人権を考えることにした。
天皇に基本的人権があるかどうかについては、ないという説とあるが一定の制約を受けるという説がある。国王の国を廃して国民国家をつくり、国王の専横から、国民の権利を守るために、基本的人権を認め、憲法を作ってきた歴史的経緯から考えれば、もともと国民の対局にある天皇には、国民の権利である基本的人権はないということになる。他方、天皇も人であり、人権は天賦のもの、前国家的なものであると考えると、天皇にも基本的人権はあるというということになる。
授業では、後者の立場で、天皇には、思想の自由、信教の自由、表現の自由、学問の自由、居住移転の自由、職業選択の自由、結婚の自由など、それぞれの自由がどれだけあるかを考えた。
出発点のひとつは、天皇は「世襲」(憲法2条)であることである。つまり、天皇の家に生まれたら、代々の家業や伝統を引き継がなければいけないということである。そこから基本的人権は制約を受ける。
内心でどのように考えるかは自由であるが、それを外に出すことは大きな制約を受けることになる。表現の自由は制約を受けるし、家の宗教である神道をやめて、キリスト教に改宗はできないし、新たな商売をやりたくても、家業である天皇の仕事に従事せざるを得ないし、相模大野に住みたいと思っても、引っ越しもままならない。
また天皇は、国政に関する権能を有しないから、政治的な発言はもちろん、学問も政治学を学ぶことは事実上できないのであろう。
結婚の自由も大きな制約を受ける。婚姻は当事者の合意で成立するのが憲法の原則であるが、天皇の場合は、皇室会議の議を経ないと結婚できない。なにより、このような基本的人権すら十分に認められない天皇の不自由さを知って、それでも結婚する人がどれだけいるかである。
ここに現在の天皇の苦悩があるのだろう。ずっと続けてきた天皇制を自分たちの代で、途絶える訳にはいかない。そもそもが、民主主義とは矛盾するがゆえに出てくる問題なので、その解決は、容易ではない。そのプレッシャーの重さは、私たちの想像をこえる。
しかも、思春期の頃に、悲惨な戦争を見て、また、父親に対する反発も、感じて育った天皇ゆえ、今日の人間的にも魅力的な天皇になっていった。原発事故や地震の時に、国民がどれだけ励まされたか。しかし、これは天皇であることのハードルをぐっと上げたということでもあるので、天皇制の継続は、さらに難しくなった。
ここから、私たちは、二つ選択をせまらている。
ひとつは、ずっと続いた、男系男子を貫くこと。しかし、唯一の男の子である悠仁親王に頼る方式では、あとが続かない。悠仁親王が、年頃になっても、結婚するつもりがあるか、できるか、さらには、子どもが生まれるのか、しかも、男の子が生まれる保証まで考えると、早晩、途絶える可能性が高い。
これを防ぐには、どこの誰かも知らない、旧皇族を復活させて、天皇予備軍を増やすか、お目かけさんを持つなどの方法で、子どもを増やすしかないだろう。。
しかし、これで維持された天皇に対して、国民は、信頼も、愛着も、持たないだろう。しかし、この立場は、それでもよいという立場である。長い歴史のなかでは、天皇が無視された時代は、いくらでもあった。どこの誰かも分からない人が天皇になった歴史もある。 継体天皇などは、応神天皇5世の孫という。五代も、遡ったら、誰か誰だか分からない。私などは、知っているのは、おじいちゃんまでである。それでも、ともかく続いたということが、重要なのだろう。
この立場は、天皇は国民の信頼などは、必要なく、ともかく、男系男子の伝統が続くことが、重要である。明治維新で、徳川幕府への対抗馬として天皇が必要とされたように、100年後か、1000年後かに、いつか天皇が必要とされる時が、来る。この立場は、天皇には、フランス革命以降、認められるようになった、基本的人権などを超越する存在ということなのだろう。基本的人権などは、むしろ迷惑なのかもしれない。
しかし、今の若者は、十分に、民主主義教育を受けている。天皇家の家族も、そのなかで成長している。男女は、平等だし、お互いに助け合う。基本的人権を無視することなど、本能的にできなくなっている。基本的人権のない天皇家に残る若者も誰もいないだろう。ここから、新しいルールを模索することになる。女性天皇や女系天皇である。こちらのほうが、多くの皇族の人たちの思いに合致するのだろう。
天皇は、基本的人権を認められない存在なのか、天皇も、基本的人権が認められるのか。この問題の奥は深い。
ちなみに、最後に再び、旗揚げをやってみた。Yesは、2名に減った。
この日は、天皇の2回目である。こんな問題提起から、始めることにした。「もし、皇太子さんが、みんなと同世代で、たまたま大学のサークルで知り合い、親しくなった。イケメンだし、とても優しい。そのうち、相思相愛になり、結婚してほしいと、申し込まれた。その時、みんなは結婚するか」
yes・noの旗を渡して、旗を上げておらった。全体で50人くらいのうち、6,7人が、yesを上げた。Noの理由は、堅苦しいそう、育った世界が違いすぎるなどがその理由である。ここから、天皇制度、そして天皇の基本的人権を考えることにした。
天皇に基本的人権があるかどうかについては、ないという説とあるが一定の制約を受けるという説がある。国王の国を廃して国民国家をつくり、国王の専横から、国民の権利を守るために、基本的人権を認め、憲法を作ってきた歴史的経緯から考えれば、もともと国民の対局にある天皇には、国民の権利である基本的人権はないということになる。他方、天皇も人であり、人権は天賦のもの、前国家的なものであると考えると、天皇にも基本的人権はあるというということになる。
授業では、後者の立場で、天皇には、思想の自由、信教の自由、表現の自由、学問の自由、居住移転の自由、職業選択の自由、結婚の自由など、それぞれの自由がどれだけあるかを考えた。
出発点のひとつは、天皇は「世襲」(憲法2条)であることである。つまり、天皇の家に生まれたら、代々の家業や伝統を引き継がなければいけないということである。そこから基本的人権は制約を受ける。
内心でどのように考えるかは自由であるが、それを外に出すことは大きな制約を受けることになる。表現の自由は制約を受けるし、家の宗教である神道をやめて、キリスト教に改宗はできないし、新たな商売をやりたくても、家業である天皇の仕事に従事せざるを得ないし、相模大野に住みたいと思っても、引っ越しもままならない。
また天皇は、国政に関する権能を有しないから、政治的な発言はもちろん、学問も政治学を学ぶことは事実上できないのであろう。
結婚の自由も大きな制約を受ける。婚姻は当事者の合意で成立するのが憲法の原則であるが、天皇の場合は、皇室会議の議を経ないと結婚できない。なにより、このような基本的人権すら十分に認められない天皇の不自由さを知って、それでも結婚する人がどれだけいるかである。
ここに現在の天皇の苦悩があるのだろう。ずっと続けてきた天皇制を自分たちの代で、途絶える訳にはいかない。そもそもが、民主主義とは矛盾するがゆえに出てくる問題なので、その解決は、容易ではない。そのプレッシャーの重さは、私たちの想像をこえる。
しかも、思春期の頃に、悲惨な戦争を見て、また、父親に対する反発も、感じて育った天皇ゆえ、今日の人間的にも魅力的な天皇になっていった。原発事故や地震の時に、国民がどれだけ励まされたか。しかし、これは天皇であることのハードルをぐっと上げたということでもあるので、天皇制の継続は、さらに難しくなった。
ここから、私たちは、二つ選択をせまらている。
ひとつは、ずっと続いた、男系男子を貫くこと。しかし、唯一の男の子である悠仁親王に頼る方式では、あとが続かない。悠仁親王が、年頃になっても、結婚するつもりがあるか、できるか、さらには、子どもが生まれるのか、しかも、男の子が生まれる保証まで考えると、早晩、途絶える可能性が高い。
これを防ぐには、どこの誰かも知らない、旧皇族を復活させて、天皇予備軍を増やすか、お目かけさんを持つなどの方法で、子どもを増やすしかないだろう。。
しかし、これで維持された天皇に対して、国民は、信頼も、愛着も、持たないだろう。しかし、この立場は、それでもよいという立場である。長い歴史のなかでは、天皇が無視された時代は、いくらでもあった。どこの誰かも分からない人が天皇になった歴史もある。 継体天皇などは、応神天皇5世の孫という。五代も、遡ったら、誰か誰だか分からない。私などは、知っているのは、おじいちゃんまでである。それでも、ともかく続いたということが、重要なのだろう。
この立場は、天皇は国民の信頼などは、必要なく、ともかく、男系男子の伝統が続くことが、重要である。明治維新で、徳川幕府への対抗馬として天皇が必要とされたように、100年後か、1000年後かに、いつか天皇が必要とされる時が、来る。この立場は、天皇には、フランス革命以降、認められるようになった、基本的人権などを超越する存在ということなのだろう。基本的人権などは、むしろ迷惑なのかもしれない。
しかし、今の若者は、十分に、民主主義教育を受けている。天皇家の家族も、そのなかで成長している。男女は、平等だし、お互いに助け合う。基本的人権を無視することなど、本能的にできなくなっている。基本的人権のない天皇家に残る若者も誰もいないだろう。ここから、新しいルールを模索することになる。女性天皇や女系天皇である。こちらのほうが、多くの皇族の人たちの思いに合致するのだろう。
天皇は、基本的人権を認められない存在なのか、天皇も、基本的人権が認められるのか。この問題の奥は深い。
ちなみに、最後に再び、旗揚げをやってみた。Yesは、2名に減った。