「励ます地方自治」とは何か。
地方自治の通説的理解は、信託論に基づく民主的統制である。ジョン・ロック以来の系譜で、松下圭一先生の二重の信託論以来、学会の主流を占めている。
地方自治体を国の下請けではなく、独自の政府とした点は、優れた発想で、その意味も大いに評価すべきであるが、そこから思考停止して、国の論理を地方にそのまま持ってきたところが、限界だと思う。
主権を持つ国と主権を持たない地方とは、基本的なところで違う。行動原理も違ってくる。主権を持つ国は、権力的に主権侵害を排除できる権限を持つが、それゆえ、国家権力の民主的統制が必要になる。憲法は、そのためにある。
これに対して、地方自治の仕事の半分は、共同体の中で、住民の平穏に暮らせるためのものである。共同体の仕事は、政府だけでもできず、市民の自助だけでもできない。みんなの協力、助け合いが必要になる。自治体の憲法である自治基本条例は、協働の概念でつくられている。
公共の重要性は、日々の暮らしのあちこちにある。一人暮らしで、身動きが取れなくなったときがその例である。これを役所が担うとなると、高齢者・障がい者一人ひとりを役所が管理していることが必要になる。そういう社会を望むのかもあるが、超高齢時代、人的にも財政的にも、実際、そんな余裕はない。
他方、自己責任、自助努力という行き方もあるが、それができないから、身動きが取れなくなったのである。
虐待もそうだろう。この時、公共の力、たとえば、子どもの泣き声がいつも聞こえ、おかしいという、隣近所やボランティアの力がなければ、とてもカバーできない。
こうした公共の力を育み、維持していくのが、地方自治の役割の一つである。民主的統制とは違う、もうひとつのパラダイム、それが連携、協力であり、その連携、協力を育むのが、「励ます地方自治」である。
現場で、地方自治を担当した新城市の穂積前市長さんは、次のように言っている。
「住民は行政機関を監視・統制する回路を通るだけで賢くなれるわけではないし、また行政職員集団も住民の求めに応えさえすれば自治体の民主的運営に長じられるわけではない。市民政府を起動させる信託理論を、そのまま自治体に引き写すことには無理があるのである。自治体は排他的統治権を持つ権力主体ではなく、その行う業務の過半は地域社会の共同事務に根を持つものだからだ。」
難しい表現であるが、地方自治は、民主的統制だけでは動かないということを体験的に表現したものだと思う。
こんなことを考えたは、久しぶりに『励ます地方自治』(萌書房)を読んだからである。2016年の出版であるが、1992年に「協働」に出会ってから、ずっと考えていた。
これをさらに進化させたのが、『励ます令和時代の地方自治―2040年問題を乗り越える12の政策提案』(木鐸社)である。この本は、いい本だと思う。
最近は、この問題を政治哲学で考えている。政治哲学は、私の知識では、とても本を書くまでには行かないが、次の10年では、「励ます地方自治」は、大きな流れになるとあらためて確信している。そうしないと、自治やまちが、続かないからである。
地方自治の通説的理解は、信託論に基づく民主的統制である。ジョン・ロック以来の系譜で、松下圭一先生の二重の信託論以来、学会の主流を占めている。
地方自治体を国の下請けではなく、独自の政府とした点は、優れた発想で、その意味も大いに評価すべきであるが、そこから思考停止して、国の論理を地方にそのまま持ってきたところが、限界だと思う。
主権を持つ国と主権を持たない地方とは、基本的なところで違う。行動原理も違ってくる。主権を持つ国は、権力的に主権侵害を排除できる権限を持つが、それゆえ、国家権力の民主的統制が必要になる。憲法は、そのためにある。
これに対して、地方自治の仕事の半分は、共同体の中で、住民の平穏に暮らせるためのものである。共同体の仕事は、政府だけでもできず、市民の自助だけでもできない。みんなの協力、助け合いが必要になる。自治体の憲法である自治基本条例は、協働の概念でつくられている。
公共の重要性は、日々の暮らしのあちこちにある。一人暮らしで、身動きが取れなくなったときがその例である。これを役所が担うとなると、高齢者・障がい者一人ひとりを役所が管理していることが必要になる。そういう社会を望むのかもあるが、超高齢時代、人的にも財政的にも、実際、そんな余裕はない。
他方、自己責任、自助努力という行き方もあるが、それができないから、身動きが取れなくなったのである。
虐待もそうだろう。この時、公共の力、たとえば、子どもの泣き声がいつも聞こえ、おかしいという、隣近所やボランティアの力がなければ、とてもカバーできない。
こうした公共の力を育み、維持していくのが、地方自治の役割の一つである。民主的統制とは違う、もうひとつのパラダイム、それが連携、協力であり、その連携、協力を育むのが、「励ます地方自治」である。
現場で、地方自治を担当した新城市の穂積前市長さんは、次のように言っている。
「住民は行政機関を監視・統制する回路を通るだけで賢くなれるわけではないし、また行政職員集団も住民の求めに応えさえすれば自治体の民主的運営に長じられるわけではない。市民政府を起動させる信託理論を、そのまま自治体に引き写すことには無理があるのである。自治体は排他的統治権を持つ権力主体ではなく、その行う業務の過半は地域社会の共同事務に根を持つものだからだ。」
難しい表現であるが、地方自治は、民主的統制だけでは動かないということを体験的に表現したものだと思う。
こんなことを考えたは、久しぶりに『励ます地方自治』(萌書房)を読んだからである。2016年の出版であるが、1992年に「協働」に出会ってから、ずっと考えていた。
これをさらに進化させたのが、『励ます令和時代の地方自治―2040年問題を乗り越える12の政策提案』(木鐸社)である。この本は、いい本だと思う。
最近は、この問題を政治哲学で考えている。政治哲学は、私の知識では、とても本を書くまでには行かないが、次の10年では、「励ます地方自治」は、大きな流れになるとあらためて確信している。そうしないと、自治やまちが、続かないからである。