
公務員については、公務就任権として、「権利」で語られている。同時に、住民の「責務」ではないか。
地域の住民が公務員になることは、「公務」である。
自治体の経営層の悩みは、いい人材が、公務員にならないことである。最近では、インターンシップなどで、民間が、早めに青田買いをしてしまう。
住民公務説のヒントは、選挙権の性質からである。選挙権は、公務員という国家の機関を選定する行為である。ここに公務員になることとの類似性がある。
選挙権の性質は、選挙する権利と公務性を併せ持つとする、「権利・公務二元説」が通説である。
清宮先生は、選挙権とは、選挙人団を構成する一員、すなわち選挙人として選挙に参加することができる資格または地位とした上で、選挙権の法的性格は、選挙人は一面において選挙を通して国政についての自己の意志を主張する機会を与えられると同時に、他面において、選挙人団という機関を構成して 公務員の選挙という公務に参加するものであり、前者の意味では参政の権利をもち、後者の意味では公務執行の義務をもつから、選挙権には、権利と義務との二重の性質があるものとする。
芦部先生は、「選挙権は、人権の一つとされるに至った参政権の行使という意味において権利であることは疑いないが、公務員という国家の機関を選定する権利であり、純粋な個人権とはちがった側面をもっているので、そこに公務としての性格が付加されていると解するのが妥当である」 とされる。
つまり、選挙権は、参政権の行使という意味において権利であることは疑いないが、公務員という国家の機関を選定する権利であり、純粋な個人権とは違った側面をもっているので、そこに公務としての性格が付加されていると解するのが妥当である。
そこから、公職選挙法上、禁治産者、受刑者(ただし,執行猶予中の者を除く),選挙犯罪による処刑者などは,選挙権を行使できないこととされている(11条)。これらは,選挙権の公務としての特殊な性格に基づく必要最小限度の制限とみることができる。
言い換えれば、選挙権は個人の権利であるが、同時に、政府機関(市長や議員・議会)という統治システムを構築する職務のためという側面がある。表現の自由などの自由権と違って、この権利は、統治システムの創造につき合わされる運命にある権利ということができる。その場面において権利の裏に公務性が内在化している。
自治体の公務員就任権は、自治体のための機関(市長や議員・議会)という統治システムの担い手(補助機関等)になるというものである。この権利は、統治システムの創造に関わる権利である。市役所は、地域の住民を守る組織である。地域に住む有為の住民は、積極的に公務員になって、住民のための統治システムを支える責務があると言えよう。
ここから、構想するのは、地域の人たちが、3年ごとに順番で公務員になる「3年役所システム」である。