還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

40才前後に起きた私の心の病気? ②

2008-04-22 05:59:15 | 健康

これからの話は私が30才台後半(正確には38才)の時からの出来事である。

その歳に母を心筋梗塞で喪(ウシナ)い、その一年後、父がまた、すい臓がんで20日ばかりの入院で亡くなった。

その頃から始まった私の身体の異変だと思う。

勤務中でも胸が急が苦しくなって胸を外部から万力(マンリキ)で抑えこまれたような感じで呼吸が苦しくなり、且つ呼吸が浅く速くなり苦しみを感じるようになったのは?

これは、どうにもならない苦しみだった。

大袈裟であるが?もはやこれまで、と思うことも再々である。

その都度、その苦しさが頂点に達したときに息が大きく吸えて呼吸ができ楽になる。若しも息が吸えなくなった時は終わり(死)である。

当時 地下鉄で通勤していたが、電車に乗るときに目前でドアーが閉まると急に胸が苦しく呼吸困難になる。

家に帰るわけに行かず。

少しホームのベンチに座り暫く休む。それでも会社には行った。

そして、時間を作り、ありとあらゆる病院に行った。が!症状が好転することはなかった。

この現役時代に同じような苦しみを訴える友人の奥さんが居られた。

たまたま彼があるときに私に「うちの家内が原因不明の息苦しさに悩んでいる」と何気なしに私に話したことがあった。

それを聞いた私は、これは当時 私が苦しんでいる症状と同じではないか?と瞬間思ったものだ!勤務中であったが・・・。

「君 悪いがその話を、もっと詳しく話してくれないか?」

「どうして?」

「実は私も同じ症状に悩まされているのだよ」

「まさか?」彼は驚いた顔で暫く私を見つめていた。

多分、彼は私など何時も何の悩みなど持っていない仕事人間と思っていたのでは?・・・・

その場で総務に電話をして会議室を取った。

そして彼を会議室に呼び込んだ。

そして私が自分の症状を詳しく彼に話すと、彼は自分の奥さんの症状と同じだと言う。

そこで私は、彼に

「貴方の奥さんの、その症状は何時頃からか?」

「どのような病院に通ったか?」

「何科に掛かったか?」

「診断は?どうだったか?」と矢継ぎ早に尋ねたものだ。

彼はそれこそ正直に彼の奥様の症状を一つ・づつ丁寧に話した。

中には種々会社に知れては憚(ハバカ)れる?内容の話もあった。

建設会社では現場勤務が多い、それも現場に泊り込みである。

家庭に病人がいるということが会社に分かれば、会社の温情か?どうかは?分からぬが現場所長の職責を外され内勤となる。

所謂、不定期要員とされて各課を盥回しにされることもある。

その彼の話を私はジックリと聞いた。

そして私も自分の苦しみの全てを話した。

何故このようなことを彼に話したかは今もって分からない。

彼と親しかったか?と問われればそうではない。

時々彼が持ってくる現場の技術的な相談にのる程度だった。

彼が私に言った。

「○○さんが苦しむのはよく分かるよ」

「うちの家内と同じような悩みのようだから・・・」

そして話の続きとして

「実は私の家内も同じようなことを言ってよく救急車を呼んだものだよ」

「救急車を?」

「そう、救急車・・・」

「入院したのか?」

「いや、医師はどこも悪くないといって何時も帰される」

「異常はみられないのか?」

「診察した医師は何処にも異常はないって・・・」

「それで、もう治ったのかい?」

「いや 症状は今も同じだ!」

「有難う 助かったよ」

「○○さんも早くよくなるといいですね」彼はそう言って部屋を出て行った。

「君の奥さんも早くよくなるといいね」

部屋を出る時に一言・・・・・・。

「息が吸えないのは息を吐かないからだそうだ・・・と医者は言っていたよ」

「○○さんも呼吸は息を吐くことに気をつけたら?」そして森田正馬先生のことを教えてもらった。

凄くいい忠告だったようにその時に感じたものだ。

私のその症状も多少・・・・心理的なことも作用しているのでは?と初めて思ったものだ。

以来 森田正馬 先生の本を余り深く理解がされないままに次々と読んだ?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E6%AD%A3%E9%A6%AC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あとは次回にします



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5 コメント

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老人の冷や水 (横浜の山下です)
2008-04-22 14:38:46
老人の冷や水
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父の死 (沼じじ)
2008-04-22 16:49:21
私の父もすい臓がんで亡くなりました。
昭和14年の夏、残暑の厳しい日で1年生の私を親戚のおじさんが学校に迎えに来て早退して帰ったことだけを覚えています。父は手術不可能で自宅療養をしていたようです。
両親の死は、言葉では表現できないほどのショックだったのではないでしょうか?
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初めまして・・ (「はな」)
2008-04-22 18:12:25
初めまして「はな」と申します・・
チョッと前に、ラスベガスのベンさまにお教え戴きお伺いいたしました・・
モット早くご挨拶をと思いながら遅くなり申し訳ございません・・之からも宜しくお願い致します・・

呼吸困難に成られ大変なご様子・・大変ですね
私は、突発性頻脈で随分苦しい思いを致しましたが昨年、良い先生にめぐり合い「アブレーション手術」を受けそれ以後、頻脈も起きず助かって居ります・・
勝手な事を長々と記しゴメンなさい
どうぞお大事に為さって下さいませ・・
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沼じじさんへ (osamu)
2008-04-23 18:25:00
私が両親を失ったのは40才前後でした。それでも、そのショックは普通ではなったのです。
沼じじさんは7才でご尊父の死に直面されたのです。私どころではないと思います。よく頑張られました。お母様のご苦労が忍ばれます。また、それに答えられた沼じじさんも立派な方と存じます。今後のご健康を祈ります。
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はなさんへ (osamu)
2008-04-23 18:47:22
始めまして・・・こちらこそ宜しくお願い申し上げます。友人のべんさんから「はなさんのブログ」をメールで教えて頂き、ブログを拝見しましたが、画像の美しさと変化が凄く、とても私など初心者が顔を出す場所ではないと、何時も通りすがりの一人として拝見させて頂いていました。飛鳥など、とても乗れない私には興味津々でした。京都の桜の画像も凄く、ただただ驚くばかりです。
また、今回は私の身体のご心配まで頂き恐縮しています。はなさんもアブレーション手術を受けられ、その後不整脈も収まったそうでよかったですね。
また、これからも「人々との楽しい出会い」の美しい写真を楽しみに拝見させていただきます。
コメント有難うございました。ベンさん共々よろしくお願い致します。
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