還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

俺の時は20円だった。「もり蕎麦」の値段

2011-07-05 21:47:12 | Weblog

「もり蕎麦」は東京に来て初めて食べた蕎麦でした。

当時(昭和20年代後半)は「もり蕎麦」一枚 20円でした。

あのような上げ底の入れ物を見たのも初めてでした。

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蕎麦など子供の頃は余り食べなかったですね。

むしろ饂飩(ウドン)はよく食べました。然し冷たい饂飩はなかったです。

こちらで言う「もり饂飩」ですね。田舎(岩国)にはありませんでした。

饂飩は熱い汁ものでした。

祖母がよく作って呉れましたから・・・・。

岩国では蕎麦は作っていなかったのかな?

蕎麦と言う名前は知っていましたが食べた思いは余りありません。

東京に来て初めて食べてびっくりしたのが「納豆」でした。

納豆は田舎には無かったです。また納豆その物を知らなかったですね。

学生時代は自炊をして居ましたが炊事が面倒な時は近くの食堂に行き食事をしました。

そのお店は納豆定食が味噌汁と卵が付いて30円だったと思います。

つまり最低の値段で栄養もある、もっとも安い食べ物だったと思います。

この「納豆定食」よくお世話になりましたね~。

田舎から来た同僚は納豆のあの臭いが苦手と言っていましたが私は臭いには鈍感で全く意に介しませんでした。

納豆も慣れれば美味しい食べ物でした。

特に納豆に醤油と卵を入れてかき混ぜて熱いご飯の上に掛けて食べるのは最高でした。

お金がある時は煮魚(10円~15円くらい?)も取り結構 食事も楽しめました。

学校は代返も盛んで、それがまかり通る時代でも有りました。

ただ構造力学のみは一回でも休むと後が大変!これはなんとか出席をして居ましたね。

耳が少し悪かったので最前列に座ったものです。ところがこれが結構大変だった。

吾輩は午後の授業が終われば道場に行き、時には午後8時ころまで練習をしていましたね。

大体は6時過ぎには終わりました。

余り遅いと二部の学生が道場にきますので昼間の学生は彼らに道場を譲ります。

帰りによく蕎麦を食べましたが蕎麦は消化がよく間借りの家に着くと既にお腹は空いていて、また夕飯を食べたものです。

夕飯は確か同宿で同級のW君が作って居てくれたと思います。

彼には物凄くお世話になった。

なにせ几帳面で部屋の掃除から炊事までやってもらいましたから・・・。

我輩の当番でも手伝ってもらい、よくぞ、4年間も続いたものと今は自分でも驚いている。

同宿していた彼は金融公庫を定年退職後は、ある不動産会社に重役として再就職した。

久し振りに駅の立ち食い蕎麦を食べたら、その昔の学生時代を思いだした。

学生時代には、このような立ち食いは屋台ではあったがお店としては無かったな~。

昔が懐かしい!

我輩が勤めていた会社を辞めた時には既に定年退職していた先輩のお世話である会社に再就職をしたが数年で其処を止めた。

うちのカミさんと違い我輩は余り働くのが好きでなかった所為かも?

それ以後は気楽に趣味の世界に入った。

詩吟、民謡、水泳、そして最後まで続いたのが太極拳と水泳だった。

詩吟と民謡? 3~4年は教室に通ったと思いますが、とても、さまになりませんでしたね。

また話がそれた。

きょうはこれまで・・・。


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余録:復興担当相の「放言」 (毎日新聞)     


http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/ 以下全文 ↓

中国の思想家・荀子というと性悪説が思い浮かぶ。だが自然現象に独自の因果関係を認め、また西欧の社会契約説を先取りしたような近代的な思想の持ち主だったことが最近ではよく指摘される

▲その「荀子」に「人と与(とも)に言を善くするは布帛(ふはく)よりも暖かに、人を傷つけるの言は矛戟(ぼうげき)よりも深し」がある。人に善い言葉を用いれば着物のように心を暖めるが、人を傷つける言葉は矛で突くより深く心を痛ませる。人は自分の言葉が他人を傷つけるのに鈍感である

▲おごりたかぶるのは人の災いであり、慎み深いのは多くの武器にまさる強さをもつ--荀子は先の言葉の直前でそう説いていた。もっとも人がその口から出た言葉の本当の恐ろしさに気づくのは、言葉の矛先が我が身にはね返ってきてからだというのが世の常である

▲「知恵を出さぬやつは助けない」「コンセンサス得ろよ」「我々は何もしないぞ」「ちゃんとやれ」……松本龍復興担当相の、岩手・宮城県知事との会談で被災自治体を見下したような物言いが物議をかもした。会談に遅れた知事には握手も拒んで頭ごなしの叱責だ

▲察するに担当相は本音での話し合いを演出したかったのに違いない。だが東京から来た閣僚が、被災地で奮闘する首長に出迎えなかったと憤激する図を国民はどう見たか。おごりとも見える調子外れの言動で、復興に必要な現地との相互信頼が築けるのかと危ぶもう

▲野党も担当相追及の構えを見せ、またも復興を遅らせかねない混乱の火種を抱えた政界だ。慎みを欠いた政治家の言葉に傷つき、復興の足まで引っ張られる被災者の心中、こちらは察するに余りある。

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毎日新聞 2011年7月5日 0時03分
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私見、愚見、聾見 ↓

昨夜のネットでは辞めるなどの記事は一行も無かったな~

むしろ俺は九州人だとか?B型だとか?弁解に、これ努めていた。

きょう 手話教室を終り、囲碁教室に寄り夕方 帰宅してニュースで知って驚いた。

直ぐにパソコンで検索したが菅総理の「本人の強固な意志を汲んで辞表を受け取った」とか言う記事を読んだか?何か?スッキリとしなかったな~

なんとなくそこに不審感を抱いたものだ。

まア~あのような傲慢な態度は許せないがね~。

兎に角 早く被災者の立ち上がりの処置を講じてもらいたいものだ。

勿論 被爆で避難された方々もだ。


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