GW から遠ざかり・・・ 記事の終わりに厳しい相撲の”マタワリ”の追記
相撲もこのようなハードルを越える必要があったのですね。全画面で・・・。
きょうは5月4日GWの半ばを過ぎた。
高速道路の渋滞ニュースがまたぞろ賑やかになった。↓
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100504/trd1005041757008-n1.htm
我輩もGWと縁がなくなってもう20年ちかくなる。
サラリーマン時代の若い時のGWはもっぱら身体を休めるだけで殆ど何処へも行かなかったように思う。
現場勤務の若い時のGWは大体 現場の保安のために若い現場員は交代で現場に泊まりこんでいた。
この時期は台風もなく比較的に穏やかな時で現場の泊り込みも、それほど気を使うこともなかった。
40歳代からか?内勤になり休日は友人に誘われ山登りを始めた。
以後の休日は、もっぱら山登りに精をだしたものである。
それでもGWでの高い山はまだ雪が多く素人では手に負えない。
また高い山の山小屋もまだ開かれていなかったように思う。
そこで大体は東京から近くの日帰りの低山登りだった。
尾瀬も5月初めはまだ峠の雪が深く山小屋も夏並に混み一度で懲りたものだ。
現在は温暖化で案外雪も少なく尾瀬もよいのかも?しれないが・・・・。
もう30年くらい前のことか?
あれは連休に行った尾瀬の燧岳の山頂近くで猛吹雪に遭い遭難しかかったことがある。
ふもとでは雨が降っていて
「これでは山頂は雪かも知れないな~」
「止めるか?」と言っていたのだが、
「ここまで来たのだ、登ろう」と友人二人で登り始めたが、案の定 半ばくらい登ったころから雪になりオマケに視界も悪く山道もはっきり分からなくなり現在地点も、そして方位すら分からない。凄いガスに包まれた。
「これでは迷いそうだ」
「ガスが切れるのを待とう・・・」とその場でしゃがみ込みリュックからコーヒーを出して冷えた身体を温める。
どのくらい待ったか?チラッと頂上が見えた。
「今のうちに登ろう」と直ぐに山道を登り始めた。
やがて急勾配の坂道にかかったが下から吹き上げる雪交じりの冷たい霙(ミゾレ)に震え上がった。
手袋の手が悴(カジカ)み岩角が掴めない!
冷たい突風が襲い掛かりピッケルを磐の切れ目に差込み身体を支えた。
突風は息をしている。その息の合間に少しづつ登ったが風が強まりついに動けなくなった。
暫くして先を行った友人がザイルで身を保ち降りてきた。
「一緒に登りましょう」と言うことで彼の助けを借りやっとこ頂上に着いた。
私が寒さで体力を失って動けなくなったのは、なんと頂上から僅か15mくらい下だったところだった。彼は声を頼りで降りてきたらしい。
頂上の二枚の俎板の岩陰で彼が熱い紅茶を沸かしてくれた。
美味かったな~ァ~! そして危なかった~ァ!
もう少しで凍えて感覚がなくなり強い霙の風に煽られて転げ落ちるところだった。
くだりは実に楽だった。
あれほど苦しんだ冷たい風は潅木に遮られているのか?全く無くホイ・ホイと温泉宿まで下ることができたのだ。
宿に着くと友人は“三条の滝”に行くという。
若いだけ体力が凄い。私は遠慮して宿で休む。
そして山小屋には珍しい温泉風呂もあり、石鹸の使用は禁じられていたが豊富なお湯に入るのは気持ちのよいものだった。
ふと・・・遠い大昔の尾瀬を思い浮かべた・・・・。
【甘口辛口】自己最優先…他人への迷惑は日常茶飯事
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100502/chn1005021741001-n1.htm
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相撲 またわり ↓ (アメバー より拝借 古い映像です)
投稿者のこめんと↓
投稿日:2007-06-03 09:59:48
視聴回数:6667お気に入り数:0
大相撲に入門して、辛い稽古の一つが「股割り(またわり)」。怪我をしないためにも、この股割りができないといけないが、体が固い新弟子にとっては本当に辛い。兄弟子に無理やり股を広げられ、後ろから押される。地獄のような稽古です・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不適切申告をなされましたら映像放映は削除されます。現実を見ましょう。
相撲もこのようなハードルを越える必要があったのですね。全画面で・・・。
きょうは5月4日GWの半ばを過ぎた。
高速道路の渋滞ニュースがまたぞろ賑やかになった。↓
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100504/trd1005041757008-n1.htm
我輩もGWと縁がなくなってもう20年ちかくなる。
サラリーマン時代の若い時のGWはもっぱら身体を休めるだけで殆ど何処へも行かなかったように思う。
現場勤務の若い時のGWは大体 現場の保安のために若い現場員は交代で現場に泊まりこんでいた。
この時期は台風もなく比較的に穏やかな時で現場の泊り込みも、それほど気を使うこともなかった。
40歳代からか?内勤になり休日は友人に誘われ山登りを始めた。
以後の休日は、もっぱら山登りに精をだしたものである。
それでもGWでの高い山はまだ雪が多く素人では手に負えない。
また高い山の山小屋もまだ開かれていなかったように思う。
そこで大体は東京から近くの日帰りの低山登りだった。
尾瀬も5月初めはまだ峠の雪が深く山小屋も夏並に混み一度で懲りたものだ。
現在は温暖化で案外雪も少なく尾瀬もよいのかも?しれないが・・・・。
もう30年くらい前のことか?
あれは連休に行った尾瀬の燧岳の山頂近くで猛吹雪に遭い遭難しかかったことがある。
ふもとでは雨が降っていて
「これでは山頂は雪かも知れないな~」
「止めるか?」と言っていたのだが、
「ここまで来たのだ、登ろう」と友人二人で登り始めたが、案の定 半ばくらい登ったころから雪になりオマケに視界も悪く山道もはっきり分からなくなり現在地点も、そして方位すら分からない。凄いガスに包まれた。
「これでは迷いそうだ」
「ガスが切れるのを待とう・・・」とその場でしゃがみ込みリュックからコーヒーを出して冷えた身体を温める。
どのくらい待ったか?チラッと頂上が見えた。
「今のうちに登ろう」と直ぐに山道を登り始めた。
やがて急勾配の坂道にかかったが下から吹き上げる雪交じりの冷たい霙(ミゾレ)に震え上がった。
手袋の手が悴(カジカ)み岩角が掴めない!
冷たい突風が襲い掛かりピッケルを磐の切れ目に差込み身体を支えた。
突風は息をしている。その息の合間に少しづつ登ったが風が強まりついに動けなくなった。
暫くして先を行った友人がザイルで身を保ち降りてきた。
「一緒に登りましょう」と言うことで彼の助けを借りやっとこ頂上に着いた。
私が寒さで体力を失って動けなくなったのは、なんと頂上から僅か15mくらい下だったところだった。彼は声を頼りで降りてきたらしい。
頂上の二枚の俎板の岩陰で彼が熱い紅茶を沸かしてくれた。
美味かったな~ァ~! そして危なかった~ァ!
もう少しで凍えて感覚がなくなり強い霙の風に煽られて転げ落ちるところだった。
くだりは実に楽だった。
あれほど苦しんだ冷たい風は潅木に遮られているのか?全く無くホイ・ホイと温泉宿まで下ることができたのだ。
宿に着くと友人は“三条の滝”に行くという。
若いだけ体力が凄い。私は遠慮して宿で休む。
そして山小屋には珍しい温泉風呂もあり、石鹸の使用は禁じられていたが豊富なお湯に入るのは気持ちのよいものだった。
ふと・・・遠い大昔の尾瀬を思い浮かべた・・・・。
【甘口辛口】自己最優先…他人への迷惑は日常茶飯事
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100502/chn1005021741001-n1.htm
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相撲 またわり ↓ (アメバー より拝借 古い映像です)
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=252282
投稿者のこめんと↓
投稿日:2007-06-03 09:59:48
視聴回数:6667お気に入り数:0
大相撲に入門して、辛い稽古の一つが「股割り(またわり)」。怪我をしないためにも、この股割りができないといけないが、体が固い新弟子にとっては本当に辛い。兄弟子に無理やり股を広げられ、後ろから押される。地獄のような稽古です・・
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不適切申告をなされましたら映像放映は削除されます。現実を見ましょう。
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