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http://mainichi.jp/opinion/news/20140620k0000m070177000c.html 以下全文
余録:某国の大学のカフェテリアでの実験である…
毎日新聞 2014年06月20日 01時37分(最終更新 06月20日 01時37分)
某国の大学のカフェテリアでの実験である。食後のトレー返却を求めるポスターに男女の目の写真を使ったものと、花の写真を使ったものを張り出した。結果、明らかに目を使ったポスターを掲げた場合の方が返却率が高かったという
▲目のポスターでは返却を求める文章がなくとも返却率が高まり、その効果は混雑していないときの方が大きかったそうな。目のイメージが人の内面の規範意識を刺激したとみられる。“目力(めぢから)”恐るべしだ(釘原直樹<くぎはら・なおき>著「人はなぜ集団になると怠けるのか」中公新書)
▲その目力の取調室への導入を大幅に拡大するという検察の方針である。裁判員裁判対象事件や特捜部の独自事件で試行されてきた取り調べの録音・録画(可視化)を秋から本格実施し、試行も対象を逮捕事件全般とするほか、被害者や参考人の聴取にも広げるという
▲大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件を機に進められた検察の取り調べの可視化試行だった。昨年度の裁判員裁判事件での可視化実施率は98.6%、うち4分の3で取り調べの全過程が記録され、特捜部事件では実施率100%、全過程記録も約8割に達していた
▲「供述を得にくい」という可視化への懸念は今も検察には根強い。だがこの間のえん罪事件を通し、第三者が検証できない供述はもはや証拠として信用できないという意識が司法界にも一般にも大きく広がった。検察もむしろ可視化を活用する姿勢に転じざるを得ない
▲対象事件はなお検察の裁量次第で、こと警察は可視化拡大に消極的である。だが第三者の目力を嫌う捜査は21世紀の司法においてほどなく通用しなくなろう。
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つぶやき
壁に貼ってある「目」だけのチラシでも、やはり目を意識するのでしょうね?
「壁に耳あり障子に目あり」 は戦時中よく言われていた標語でもある。
絵ながら目のさまは知らず知らずに意識するのかも?
警察の取り調べでの可視化は実現してほしいものである。以前 検察官が取り調べを受ける立場になった時に「可視化」の問題がでたことがあるが検察官は自分の取り調べの「可視化」を拒否したことがある。なにやら疑問を感じた。
取り調べで「裏取引」でも期待したのかな?とも邪推したものである。
慰安婦問題
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140228/plc14022812370015-n1.htm
「河野談話」に福島瑞穂が絡んでいては信用できないという判断は出来なかったのか?
朝鮮人を信用したばかりに抜き差しならぬ立場に追い込まれた日本。騙された日本が悪いのか?騙した朝鮮人が賢いのか? 要は騙されるような人物が日本の要にいたことだ。
「外交は戦争だ」はよく言われている。「拉致問題」も騙され続けている。今回も相手が朝鮮人だ。これまで何度騙されたか?騙されなかったのは小泉元総理のみであった。
今回の交渉が最後の交渉と言われているが何かしら不安を感じている。
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