これからは一雨 毎に暖かくなりそうです。
きょうも午前中は花の国プールで過ごしました。
ロシア料理のオーナーシェフさんにも会い顔見知りの方々とも会釈を交わし歩いたり少し泳いだりしてお昼までプールでノンビリと過ごした。
カミさんはもうプールにはきません。最近はいつも一人で花の国プールに行きます。
プールから上って外に出ると相変わらず雨が降っていた。
雨なので外での写真は撮れませんでした。
傘はさしていましたがカバン?と傘でデジカメは出せません。
駐車場は満杯で私の出るのを入り口で数台の車が待っていた。
急いで出る。どのくらいの時間を待たれたのか?私は待つのが嫌いで直ぐに隣の駐車場に入れますが・・・。
午後は歯医者さんに行き虫歯の治療を受けました。歯の痛みは独特ですね。
広島や岩国では歯の痛みを「歯が走る」と言いますが、こちらでも使ってみたい言葉です。
「痛みますか?」とは治療中によく聞かれます。
若しも
「はい 少し歯が走りますが・・」と言ったら さぞや歯医者さんはビックリされるのでは?そんなことを考えならながら治療を受けているうちにコクリと寝てしまった。
肩を突かれて目を覚ました。
口を大きく開けて歯の治療中に居眠りをする患者も少ないのでは?
また お医者さんが声を掛けられても私は補聴器のそばで少し怒鳴ってもらわないと分からないのだ。非常に手のかかる患者かも?
帰りにスーパーに寄り買い物をして帰宅したのは夕方6時ころだった。
相変わらず魚が高い。店内では写真は撮れないので値段のみ見て驚いて退避した。
先日より高くなっていた。もう甘鮭の切り身とは暫くお別れしても仕方ない。
何もかも値上がりしてきている。
安いのは歯の治療費くらいだ。小一時間の治療で240円?これで商売になるのか?と こちらが心配になる。
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余録:昭和初めには500CC以下の小型車には… (毎日新聞:「余禄」)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20120322k0000m070172000c.html 以下全文
余録:昭和初めには500CC以下の小型車には…
昭和初めには500CC以下の小型車には運転免許が要らなかった。ナンバーは自転車と同じものが交付されたという。1931年に東京の博覧会で戸畑鋳物が出品した小型の展示車を購入した人は語る
▲「国産キャブレターは毎日の天候で調整しないと詰まってしまい、オイル方式は独自で減りが速く、長距離ドライブには水とオイルが欠かせず、スプリングは当時の悪路では苦痛の連続だった」。元子爵の大村泰敏氏の話だが、日本の自動車産業はなお幼年期だった
▲以前小紙が連載した国立科学博物館の鈴木一義さんの「物語ニッポン車100年」で知った話である。このサンプルカーが「水冷4気筒500CCダットソン」だった。ダット号という車の息子という命名だが、ソンは損に通じると、販売時にはダットサンに改まった
▲そんな日本自動車史黎明(れいめい)期からの車名が復活する。日産自動車は新興国向けの低価格車ブランドとして「ダットサン」を用いることを決めた。こう聞けば、年配の世代ならば戦後日本のモータリゼーションの扉を開いた50年代の箱形ダットサンを思い出す方も多かろう
▲世界の自動車メーカーが生き残りを懸ける新興国市場である。日本企業も自動車後発国だった過去の体験や知恵を掘り起こし、モータリゼーションの坂道を駆け上る人々の心をつかみたい。さしずめダットサンはまだ見ぬ明日への期待を象徴するブランドなのだろう
▲このところ衰退がささやかれる日本の製造業である。だが過去には自らの後進性や欠点をむしろ成長のバネにしてきたものづくりだ。自らの内にも外にもフロンティアはまだまだ潜んでいる。
毎日新聞 2012年3月22日 2時59分
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
500cc以下は免許がいらなかった?いい時代もあったんだ。全く知らない時代だ。
そう言えば 昭和30年ころか?トヨタの売り上げが話題になったがトヨタさん?(会社の方?)が言われるには「わが社の売り上げはGM社の純益にも及ばない」と言われていたのが印象的だった。アメリカと言う国がいかに大きな国かを如実に語っている。そんな国と戦争をしたのだな~と改めて思った。
記憶があいまいで申し分けないです。 また~ホラを・・・と思ってください。
きょうも午前中は花の国プールで過ごしました。
ロシア料理のオーナーシェフさんにも会い顔見知りの方々とも会釈を交わし歩いたり少し泳いだりしてお昼までプールでノンビリと過ごした。
カミさんはもうプールにはきません。最近はいつも一人で花の国プールに行きます。
プールから上って外に出ると相変わらず雨が降っていた。
雨なので外での写真は撮れませんでした。
傘はさしていましたがカバン?と傘でデジカメは出せません。
駐車場は満杯で私の出るのを入り口で数台の車が待っていた。
急いで出る。どのくらいの時間を待たれたのか?私は待つのが嫌いで直ぐに隣の駐車場に入れますが・・・。
午後は歯医者さんに行き虫歯の治療を受けました。歯の痛みは独特ですね。
広島や岩国では歯の痛みを「歯が走る」と言いますが、こちらでも使ってみたい言葉です。
「痛みますか?」とは治療中によく聞かれます。
若しも
「はい 少し歯が走りますが・・」と言ったら さぞや歯医者さんはビックリされるのでは?そんなことを考えならながら治療を受けているうちにコクリと寝てしまった。
肩を突かれて目を覚ました。
口を大きく開けて歯の治療中に居眠りをする患者も少ないのでは?
また お医者さんが声を掛けられても私は補聴器のそばで少し怒鳴ってもらわないと分からないのだ。非常に手のかかる患者かも?
帰りにスーパーに寄り買い物をして帰宅したのは夕方6時ころだった。
相変わらず魚が高い。店内では写真は撮れないので値段のみ見て驚いて退避した。
先日より高くなっていた。もう甘鮭の切り身とは暫くお別れしても仕方ない。
何もかも値上がりしてきている。
安いのは歯の治療費くらいだ。小一時間の治療で240円?これで商売になるのか?と こちらが心配になる。
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余録:昭和初めには500CC以下の小型車には… (毎日新聞:「余禄」)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20120322k0000m070172000c.html 以下全文
余録:昭和初めには500CC以下の小型車には…
昭和初めには500CC以下の小型車には運転免許が要らなかった。ナンバーは自転車と同じものが交付されたという。1931年に東京の博覧会で戸畑鋳物が出品した小型の展示車を購入した人は語る
▲「国産キャブレターは毎日の天候で調整しないと詰まってしまい、オイル方式は独自で減りが速く、長距離ドライブには水とオイルが欠かせず、スプリングは当時の悪路では苦痛の連続だった」。元子爵の大村泰敏氏の話だが、日本の自動車産業はなお幼年期だった
▲以前小紙が連載した国立科学博物館の鈴木一義さんの「物語ニッポン車100年」で知った話である。このサンプルカーが「水冷4気筒500CCダットソン」だった。ダット号という車の息子という命名だが、ソンは損に通じると、販売時にはダットサンに改まった
▲そんな日本自動車史黎明(れいめい)期からの車名が復活する。日産自動車は新興国向けの低価格車ブランドとして「ダットサン」を用いることを決めた。こう聞けば、年配の世代ならば戦後日本のモータリゼーションの扉を開いた50年代の箱形ダットサンを思い出す方も多かろう
▲世界の自動車メーカーが生き残りを懸ける新興国市場である。日本企業も自動車後発国だった過去の体験や知恵を掘り起こし、モータリゼーションの坂道を駆け上る人々の心をつかみたい。さしずめダットサンはまだ見ぬ明日への期待を象徴するブランドなのだろう
▲このところ衰退がささやかれる日本の製造業である。だが過去には自らの後進性や欠点をむしろ成長のバネにしてきたものづくりだ。自らの内にも外にもフロンティアはまだまだ潜んでいる。
毎日新聞 2012年3月22日 2時59分
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つぶやき
500cc以下は免許がいらなかった?いい時代もあったんだ。全く知らない時代だ。
そう言えば 昭和30年ころか?トヨタの売り上げが話題になったがトヨタさん?(会社の方?)が言われるには「わが社の売り上げはGM社の純益にも及ばない」と言われていたのが印象的だった。アメリカと言う国がいかに大きな国かを如実に語っている。そんな国と戦争をしたのだな~と改めて思った。
記憶があいまいで申し分けないです。 また~ホラを・・・と思ってください。
歯が悪いと食いしん坊に取っては困りますからね。お陰で今でも丸々と丈夫で居られます。
きょう(25日 日曜日です)は久しぶりのよいお天気になりました。雨降りが数日続いたので太陽の陽が眩しいです。気温は17度と余り高くはないですが、とても暖かい日となりました。
べんさんも歯の治療中に居眠りをされましたか?安心しました。大きな口をあけて居眠りなどよくしたものだと自分でも驚いていましたから。
私が歯の治療を受けるのは7~8年ぶりです。治療は次々に悪い場所を指摘されてその治療が続いています。暫く続くことでしょう。若しも保険が無ければとても出来ません。循環器、整形、耳鼻科、眼科内科 と今は病院 通いが仕事になっています。
それでも一人で行けるだけでもいいと思っていますが・・。桜は一週間くらい 先になりそうです。