我が家の庭の梅の木にささやかながら花が咲いた。
日中は20度の暖かさであった。
いいお天気で家の中にいるのも勿体ない日だった。
近くの公園に出てみた
いつもの藤棚
珍しく子供たちが親子で遊ぶ姿があった
膝の痛みもかなり和らいできた。しかし歩けばやはり痛い・・。
午前中はジムで水中歩きをして帰りにコンビニで「お結び」を買ってきて昼飯にした。
暖房の灯油が切れかかっていたので補給もした。
タンク容量は90Lである。満タンにすると2週間はもつが最近はそれ以上 十分持つようになった。
暖かさのバロメーターにもなっている。
ガソリンの値上がりも激しい?
まだまだ値上がりが予想されるようだ。私はそれ程は走らないので余り影響はないが・・・。
走る距離は年間2000Km~3000Kmである。
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発信箱:踏ん張らない=落合博(論説室) (毎日新聞:発信箱)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20120322k0000m070146000c.html 以下全文
発信箱:踏ん張らない=落合博(論説室)
臆病であることを生きる指針にしているという男性と同席した。日露戦争で多くの犠牲者を出した203高地の戦いに加わった祖父は、銃弾が飛び交う戦場でいち早く地面に体を伏せたところに別の日本兵の遺体が覆いかぶさってきたのを幸いに、戦闘が終わるまでじっとしていたという。
「臆病だったから祖父は生き残れた」という男性にとってスポーツは「嫌な世界」だという。例えば、野球の打席に入った時は死球を恐れずボールに対して体ごと向かっていくことが要求され、臆病でいることは許されないような雰囲気がある。
柔道事故のシンポジウムで元世界王者の柔道家は、負けたくないと踏ん張ることがけがにつながると自身の経験を基に話した。技をかけられた時、手のひらを内にして甲から畳に落ちるようにすれば、けがは防げるという。そして紹介したのが相田みつをの詩「受身」だった。受け身は人の前で投げ飛ばされて転ぶ練習であり、負ける練習であり、自分のカッコの悪さをぶざまにさらけ出す練習であり、つまり柔道は潔く負けることを教える、という内容だ。
上野千鶴子氏の東京大学最終講義(昨年7月)のタイトルは「生き延びるための思想」だった。男仕立ての社会のルールを変えないまま、競争に女も平等に参加した結果がどうなったか。24時間働き、国を守るために女も軍隊に行って戦えとなりつつある。それは「私たちの望んだことだったのか」と上野氏は問いかけている。
スポーツも男性の独占物ではなくなった。喜ばしいことだが、男並みの練習は無月経、骨粗しょう症、摂食障害などに悩み、苦しむ女性を生み出すことになった。
自分の体と命を守るために時には踏ん張らない。女も男も、そんな生き方があってもいいと思っている。
【関連記事】
考えよう・選ぼう:’09衆院選 上野千鶴子さん(東大教授)
毎日新聞 2012年3月22日 0時25分
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
柔道で技を掛けられ無理に頑張ると確かに怪我の原因にはなることは認めるが、それだけではないのだ。頑張らないで投げられる効果は投げられた時に技の呼吸も飲み込める。投げて技を覚える方もいれば投げられて技を覚える者もいる。両方で技をものにする人も居る。
私の得意技は「跳腰」だったが、相手が上手の場合「跳ね腰返し」で脳天から畳みに落とされることもある。しかし上手の者なら脳天から落ちるのを防いでくれてよいが相手により、その余裕の無い者もいるから見極めも大変だ。私は試合でも大抵 見事に投げられていた。自分から飛んだので受身は確実に出来て怪我はしなかった。3年生で卒論実験に入り退部したが・・・。
諏訪湖の近くの山のお寺での合宿は忘れられない思い出となっている。
日中は20度の暖かさであった。
いいお天気で家の中にいるのも勿体ない日だった。
近くの公園に出てみた
いつもの藤棚
珍しく子供たちが親子で遊ぶ姿があった
膝の痛みもかなり和らいできた。しかし歩けばやはり痛い・・。
午前中はジムで水中歩きをして帰りにコンビニで「お結び」を買ってきて昼飯にした。
暖房の灯油が切れかかっていたので補給もした。
タンク容量は90Lである。満タンにすると2週間はもつが最近はそれ以上 十分持つようになった。
暖かさのバロメーターにもなっている。
ガソリンの値上がりも激しい?
まだまだ値上がりが予想されるようだ。私はそれ程は走らないので余り影響はないが・・・。
走る距離は年間2000Km~3000Kmである。
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発信箱:踏ん張らない=落合博(論説室) (毎日新聞:発信箱)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20120322k0000m070146000c.html 以下全文
発信箱:踏ん張らない=落合博(論説室)
臆病であることを生きる指針にしているという男性と同席した。日露戦争で多くの犠牲者を出した203高地の戦いに加わった祖父は、銃弾が飛び交う戦場でいち早く地面に体を伏せたところに別の日本兵の遺体が覆いかぶさってきたのを幸いに、戦闘が終わるまでじっとしていたという。
「臆病だったから祖父は生き残れた」という男性にとってスポーツは「嫌な世界」だという。例えば、野球の打席に入った時は死球を恐れずボールに対して体ごと向かっていくことが要求され、臆病でいることは許されないような雰囲気がある。
柔道事故のシンポジウムで元世界王者の柔道家は、負けたくないと踏ん張ることがけがにつながると自身の経験を基に話した。技をかけられた時、手のひらを内にして甲から畳に落ちるようにすれば、けがは防げるという。そして紹介したのが相田みつをの詩「受身」だった。受け身は人の前で投げ飛ばされて転ぶ練習であり、負ける練習であり、自分のカッコの悪さをぶざまにさらけ出す練習であり、つまり柔道は潔く負けることを教える、という内容だ。
上野千鶴子氏の東京大学最終講義(昨年7月)のタイトルは「生き延びるための思想」だった。男仕立ての社会のルールを変えないまま、競争に女も平等に参加した結果がどうなったか。24時間働き、国を守るために女も軍隊に行って戦えとなりつつある。それは「私たちの望んだことだったのか」と上野氏は問いかけている。
スポーツも男性の独占物ではなくなった。喜ばしいことだが、男並みの練習は無月経、骨粗しょう症、摂食障害などに悩み、苦しむ女性を生み出すことになった。
自分の体と命を守るために時には踏ん張らない。女も男も、そんな生き方があってもいいと思っている。
【関連記事】
考えよう・選ぼう:’09衆院選 上野千鶴子さん(東大教授)
毎日新聞 2012年3月22日 0時25分
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つぶやき
柔道で技を掛けられ無理に頑張ると確かに怪我の原因にはなることは認めるが、それだけではないのだ。頑張らないで投げられる効果は投げられた時に技の呼吸も飲み込める。投げて技を覚える方もいれば投げられて技を覚える者もいる。両方で技をものにする人も居る。
私の得意技は「跳腰」だったが、相手が上手の場合「跳ね腰返し」で脳天から畳みに落とされることもある。しかし上手の者なら脳天から落ちるのを防いでくれてよいが相手により、その余裕の無い者もいるから見極めも大変だ。私は試合でも大抵 見事に投げられていた。自分から飛んだので受身は確実に出来て怪我はしなかった。3年生で卒論実験に入り退部したが・・・。
諏訪湖の近くの山のお寺での合宿は忘れられない思い出となっている。
大分暖かくなりましたね。
今日は雨の一日になりそうですね。
何処へも出掛けずパソコンで色んな所を訪問しブログ旅を楽しみたいと思いま~す!
*月に1000Km位走るので燃料代が大分かかりそうで困ったものです。
('_')今朝は長崎爆心地公園とその周辺の散策の思い出をアップしましたので御覧下さいネ。
('_')それではまた、月曜日にお伺いします。
!(^^)!来訪・コメントを、お待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!!