還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

失って初めて分かる物の価値(遺産:遺跡)

2014-03-05 05:44:19 | Weblog

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消えた「震災の記憶」客足まばらに 宮城県・気仙沼 打ち上げられた第18共徳丸

2014.3.5 01:08(1/2ページ) 産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140305/dst14030501100002-n1.htm 以下全文

消えた「震災の記憶」客足まばらに 宮城県・気仙沼 打ち上げられた第18共徳丸

2014.3.5 01:08(1/2ページ)

 助手席の車窓から、時折、海がのぞく。国道45号は、いつの間にか県境を越え、宮城県に入った。

 道の至るところに「津波浸水区間」なる真新しい看板が設置されている。

あの日、津波は越えるはずのない陸と海の境界をあっさり越えた。

水が引いた後の大地には、あるはずのものがなく、あるべきでないものがあった。

 「第18共徳丸」は、あるべきではないものだった。

海岸から800メートル近く離れた宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区に330トンの巨体は打ち上げられた。

福島県いわき市の水産会社の所有だったが、気仙沼市が「無償貸与」契約を結んで管理した。

 「観光バスから降りてきた人たちが、この船を撮影する姿は日常でした」と振り返るのは、近くの復興商店街「気仙沼鹿折復幸マルシェ」の塩田賢一代表理事(47)。

震災で店を失った商店主らは「震災で人が減った鹿折地区での再建は難しい」と悲嘆した。それを救ってくれたのが、鯨のような巨大船を見に来る県外からの人々だった。

しかし、保存をめぐり地元の意見は割れた。震災遺構として残そうとする市に、住民から「船を見るたびつらい記憶がよみがえる」との声が上がった。

市民アンケートで「保存の必要はない」との意見が多数だったことを受け、市は平成25年8月、解体を決めた。

 撤去が終わり約4カ月。被災地を訪ねるツアーのルートから外れ、「商店街の客足は20分の1に減りました」と塩田さんは語る。

 「復興がままならない市民にとって、怒りをぶつける先はあの船しかなかったのかもしれない。船も被害者だったのに…」

 震災遺構がなくなった現場周辺では4日も、トラックが行き交い、かさ上げ工事が進められていた。

近くのコンビニエンスストアの女性店員は「船がどこにあったか、よく聞かれます」と話すが、立ち止まる人の姿はない。

 あるべきでないものは消えたが、ここにあるはずの人々の暮らしは見えない。

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つぶやき

 あの陸に打ち上げられた漁船・・・津波のシンボル的な姿だったと思う。 

私はこの漁船の写真を見るたびに合わせて広島の「原爆記念館」を思いだす。 「過ちは二度と繰り返しません」 あの漁船もそう語りかけている感じだったが津波被害者の意思で取り払われた。

然し 取り払われたものは二度と復元はできない。 実物であってこそ初めてその事実を訴える力(チカラ:オーラー?) が醸(カモ)しだされる。

下記 写真は昨年 被災地を訪れその被害に改めて驚愕した義弟の写真である。今はもうこの漁船はない。 今更ながら津波そのものの その恐怖に驚愕する。

  他に今はもう撤去された鉄骨造の建物 「防災センター」があった。

後の世に伝えるシンボルは次々に失われている。被災の現状を偲ぶシンボルがなくなるのは誠に惜しい。では「自分自身が津波の被災者になってもそう言えるか?」と言われれば私とて自信がない。 

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2 コメント

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第18共徳丸 (ひろし爺1840のGooブログ)
2014-03-05 08:57:18
!(*^_^*)!Osamuさん、お早うございま~す!
何時もお越し頂き、心温まるコメント・グッドやランキングの応援ポチを頂き有り難うございます。
作る上での参考と励みになり感謝しています!
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('_')震災当初は話題になりメディアでも良く取り上げていましたがそう言えば最近目にしませんね~
段々と忘れ去られるのは寂しい事ですね。
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('_')今朝の投稿は一願地蔵で有名な愛媛県の札所参拝の思い出と我が家の近況をアップしましたので御付き合い頂ければ幸せます。
('_')何時もの閲覧感想コメントやご意見をお待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!
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ひろし爺1840さんへ (osamu)
2014-03-07 18:34:58
いつも応援&コメント有り難うございます。
震災地のあの漁船なくなりましたね~。ちと惜しい気がします。あれほど「津波」の恐怖を教えてくれる遺留物はないのでは?

町が復旧した時にその中にドカ~ンとあの船があればそれを見に行くお客さんもおおかったのでは?そして改めて津波の恐ろしさに気がつくことだと想像します。惜しいです。
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