べんさんの若き日の軍服姿 ほか(朝鮮戦争)
私が高校卒業後 上京して大田区糀谷町の貸間に住んでいたころです。
そして毎日、柔道着を汗で濡らしている頃 親友 べんさんは、なんと朝鮮戦争に巻き込まれ朝鮮の米軍キャンプにいたのです。
その頃 よく覚えていないのですが、彼からの手紙には、こちらから送った手紙の内容がほとんどで、なんだか?変に感じたことは覚えています。
それは前年?に私が広島日赤で蓄膿症の手術をして、その手術の様子をこと細かく書いたことへの返事でした。
さぞ痛かったことでしょう?とか?私のことばかりなので、きっと前線では余り詳しい身辺の様子は書けないなのだな?と推察したのです。
その後 私は大田区糀谷町から学校の教室で知り合ったK君(北海道出身)との話で目黒の白金の貸間に移り更に武蔵小杉に移りと転居が続いていたのです。
そういうわけでベンさんとの交信は何時しか途絶えてしまったのです。
それが、なんと60年ぶりに彼(べんさん)が日本にきて私の岩国の弟に連絡して私の住所に連絡をしてきました。
これには驚きビックリもしました。
その後はブログに書いたとおりです。
きょうは彼からメールに添付されて来た彼の若き日の軍人姿を掲載します。
まァ あれから半世紀以上も経っているので・・・・。
べんさんから来た当時の様子を書いた手紙の一部です。 ↓
>朝鮮での最初に配属さされた部隊で最初の半年を過ごしました。 その後 他の大きい部隊に派遣されて38度線の非武装地区のキャンプに1年近く所属していました。 其処でも外出禁止でしたから朝鮮のソウルの街など行った事も有りません。<
鏡の写真はその一枚です。
何か看板を持って・・・。入るな! ↓
若い時ですね~~ ↓
カッコいい!!! ↓ ジープには乗ったことがないのだ!!!
GIカット? こちらは白黒?
ハワイ出身でウクレレは必需品?↓
かまぼこ兵舎? 猟銃ではありません ↓
兵舎の前のようです。↓
駐屯部隊の全景のようです。↓ ここに居ます。と書いてあります。
憩いのひと時?散髪? いいですね~(平和的) ↓
兵舎の中での寝台?
軍服姿
以上で若き日のベンさんの紹介は終わります。
中学の同級生とは言えど大変な苦労をされてこられたようです。
今は平和な生活をされています。
随分と私とは異なった人生を送られた模様・・・・。
注 掲載は一応知らせましたが???彼から不都合の連絡あり」次第掲載は中止します。
私が高校卒業後 上京して大田区糀谷町の貸間に住んでいたころです。
そして毎日、柔道着を汗で濡らしている頃 親友 べんさんは、なんと朝鮮戦争に巻き込まれ朝鮮の米軍キャンプにいたのです。
その頃 よく覚えていないのですが、彼からの手紙には、こちらから送った手紙の内容がほとんどで、なんだか?変に感じたことは覚えています。
それは前年?に私が広島日赤で蓄膿症の手術をして、その手術の様子をこと細かく書いたことへの返事でした。
さぞ痛かったことでしょう?とか?私のことばかりなので、きっと前線では余り詳しい身辺の様子は書けないなのだな?と推察したのです。
その後 私は大田区糀谷町から学校の教室で知り合ったK君(北海道出身)との話で目黒の白金の貸間に移り更に武蔵小杉に移りと転居が続いていたのです。
そういうわけでベンさんとの交信は何時しか途絶えてしまったのです。
それが、なんと60年ぶりに彼(べんさん)が日本にきて私の岩国の弟に連絡して私の住所に連絡をしてきました。
これには驚きビックリもしました。
その後はブログに書いたとおりです。
きょうは彼からメールに添付されて来た彼の若き日の軍人姿を掲載します。
まァ あれから半世紀以上も経っているので・・・・。
べんさんから来た当時の様子を書いた手紙の一部です。 ↓
>朝鮮での最初に配属さされた部隊で最初の半年を過ごしました。 その後 他の大きい部隊に派遣されて38度線の非武装地区のキャンプに1年近く所属していました。 其処でも外出禁止でしたから朝鮮のソウルの街など行った事も有りません。<
鏡の写真はその一枚です。
何か看板を持って・・・。入るな! ↓
若い時ですね~~ ↓
カッコいい!!! ↓ ジープには乗ったことがないのだ!!!
GIカット? こちらは白黒?
ハワイ出身でウクレレは必需品?↓
かまぼこ兵舎? 猟銃ではありません ↓
兵舎の前のようです。↓
駐屯部隊の全景のようです。↓ ここに居ます。と書いてあります。
憩いのひと時?散髪? いいですね~(平和的) ↓
兵舎の中での寝台?
軍服姿
以上で若き日のベンさんの紹介は終わります。
中学の同級生とは言えど大変な苦労をされてこられたようです。
今は平和な生活をされています。
随分と私とは異なった人生を送られた模様・・・・。
注 掲載は一応知らせましたが???彼から不都合の連絡あり」次第掲載は中止します。
親友との60年ぶりの出会い言葉で表現できないほどの感動を想像しています。
私の高校の親友は茨城にいますが退職までは年賀状のやり取りだけでしたが退職してからは数年おきに再会してます。
親友は幾つになってもいいものですね。
若き時代の”ふるさと”かも?