還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

きょうも車の列が・・・

2011-03-20 17:00:00 | Weblog
北体育館の玄関の横で 

体育館のプールから帰る途中で、またもや給油待ちの車の列を二箇所で見る。

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給油しているスタンドはシェ○石油とコス○石油のスタンドであった。

セル石油  ← 交差点で止まった時に車内から

他はみんなお店は閉めていた。

どうして、このようになったか?分からないが?兎に角 給油の車が並んでいる。

先日のニュース記事では3日以内に関東地方のガス事情は解消すると書いてあった。

その三日目は明日だ。

もうポツ・ポツ 給油待ちの車の解消の兆候があってもいいころだと思うが・・・。

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ところで きょう北体育館のプールで珍しい方とあった。

Aさんと言うある水泳同好会の会長さんだった。

直ぐに耳栓を取って

「あら お珍しい・・久しぶりですね~」と言うと

Aさんは私の耳元で

「○○さんでは?」と大きな声で話かけられた。

「そうです○○です。 久しぶりですね」咄嗟にAさんの名前が出ない。

まことに すみません。   

いつも大変親切にして頂いているのに・・・・。      

私の難聴をご存知である。

耳元で大きな声で話されるので分かり易い。

Aさんは非常に温厚な方でクロールをとても綺麗に泳がれる。

早速に

「私の泳ぎを見てもらいたいのですが?」と頼むと

「いいですよ」と見ていただく。

「ツービットですね」と言われる。

「ツー?足で2回 打っていたのですね?」

「そうですよ」

そして図にのり

「すみませんね~Aさんの泳ぎを見せていただけませんか?」と、またもお願いする。

「いいですよ」と軽やかなクロールを見せていただく。

その泳ぎを水中からも見る。とても勉強になった。

クロールのキックも教わる。実に親切に細かく教えていただいた。

「無料で教わって・・・すみませんね~」とお詫び方々お礼を言う。

プールの端で一人キックの練習をしてみた。

明日からまた初歩からやり直しだ。

Aさん有難うございました。

プールから上るときに手話でそういってプールから上った。

きょうはAさんに会ってよかった。

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論説委員・清湖口敏 仰げば尊し「父母の恩」         
2011.3.20 03:53

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110320/edc11032003530000-n1.htm

公立の小中学校ではちょうど卒業式を迎える頃だろうか。卒業式といえば、定番の歌ともいえる「仰げば尊し」が思い起こされるが、この歌は今年も多くの卒業生の感涙を誘うことだろう。

 明治17(1884)年発行の『小学唱歌集』に収録されて以来、「仰げば尊し」は作詞作曲とも長く謎とされてき、起源はスコットランド民謡だ、いや賛美歌だ、などと推測されてきた。しかし今年1月、一橋大名誉教授の桜井雅人さんによって原曲とみられる米国の歌の楽譜が発見された。直訳の曲名も「学校教育の終わりのための歌」というから、もともと卒業の歌だったわけである(1月25日付本紙=大阪発行)。

 ◆2番を避ける理由

 「仰げば尊し」は3番まであり、それぞれの歌い出しを紹介すれば1番が「仰げば尊し わが師の恩」、2番が「互いに睦(むつ)みし 日頃の恩」、そして3番が「朝夕なれにし まなびの庭」となっており、いずれも「今こそわかれめ いざ さらば」で結ばれる。簡潔な文語調の詞には気高い精神がうたいあげられている。

 さて問題は、この2番の歌詞である。学校の音楽教科書などでは2番が省かれることが多く、ちなみに手に取った小学校の音楽教科書(6年用)3点はみな、1番と3番を載せるのみである。

 2番を避けるのは、そこに出てくる「身を立て名をあげ」の詞が「立身出世」を奨励するかのようにとらえられるから-というのが、どうやら通説であるらしい。「かけっこは、みんなで一緒にゴールイン」「先生と生徒は友達関係」といった教育現場の変な平等主義をここにも垣間見るような気がしてならない。

 よしんば、この詞がいわゆる立身出世の勧めであるとしても、将来に大きな夢を描く子供たちが立身出世を願ってどこが悪いのか、全く理解に苦しむ。なにも、「心も金で買える」と言ってのけた起業家のような金満家になれというのではない。若者らしく雄飛せよ、社会を動かすほどの優れたリーダーを目指せと教えることの、いったいどこが悪いのか…。

 ◆「身を立て」は親孝行

 実はこの詞の本当の意味は、いわゆる立身出世とは全く違ったところにある。『小学唱歌集』の編纂(へんさん)に大きく貢献した伊沢修二は『洋楽事始』を著したが、同書(平凡社東洋文庫)の解説で校注者の山住正己が「仰げば尊し」の成立経緯を詳細に記している。

 それによれば原案は「身をたて名をたて」だったが、「庭の千草」の作詞で知られる里見義(ただし)が『孝経』の「立身行道挙名後世」を引きながら、「身をたて名をあげ」に訂正すべきだと言い、それが採用されたというのである。

 講談社学術文庫『孝経』(加地伸行訳注)に当たってみたところ、この一節は世間で言う立身出世の意ではなく、「りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる」として親孝行を説いたものであるとの由。加えて「身を立て」とは「身を孝に立つ」ことだとも注されている。

 同じ中国の『詩経』にも「爾(なんじ)の所生(しょせい)(親)を忝(はずかし)むることなかれ」と、父母の名を貶(おとし)めることのないよう戒める詞章がある。日本では江戸時代、身を修める教科書として『論語』や『孝経』、『詩経』が盛んに読まれ、明治期でも知識人は、それら中国の書物によって教養と精神を高めたのだった。「身を立て名をあげ」の意味は当時なら、多くの人に正しく理解されたのではなかろうか。

 ◆復活させた教科書も

 「仰げば尊し」はこのように、1番で「師の恩」を、2番で「親への孝行」をうたうという構成になっている。それにもかかわらず、現行の教科書が「立身出世」への誤解から2番を抜いているとしたら残念至極だが、ただ、この4月から使用される新改訂の教科書では2番を復活させたものも登場した。朗報といえよう。

 もちろん復活といっても、「仰げば尊し」そのものが歌われないことには何の意味もない。1月に開かれた日教組の教研集会では、ある小学教師がこの歌を歌わせないよう根回ししたとの報告があり、「『君が代』『仰げば尊し』の強制は子供たちのためになっているのか」と強調したそうだ。

 教員の私的な思いを子供らに押しつける教育で、そんな発言に対して仮に他の教師から何の反論も起きなかったのであれば、教研集会は異常というほかない。

 それにしてもこの春は、卒業式どころではないであろう東日本大震災の被災地の惨状が脳裏を離れない。ふと口ずさんでみる「仰げば尊し」も、静かな旋律が哀調をかきたてるように胸に重く響いてきて、何とも切ない。(せこぐち さとし)
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義務教育の段階で私的な思想教育に等しい自分の行動になんら違和感を持たない、先生と日教組そのものが既に異常ではないか?それほど反発するなら教師を辞めて○○党にでも入り政治活動をするのが道理ではないか?

これでは先生自身が自分の業務の誇りを捨てているように見えるが?或いは学園を政治活動の場と思っているようにも見える。



http://sankei.jp.msn.com/life/news/110322/trd11032207230002-n1.htm


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