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余録:作家の児島襄が太平洋戦争のペリリュー島戦記を…
毎日新聞 2015年04月08日 01時09分(最終更新 04月08日 01時10分)
作家の児島襄(こじま・のぼる)が太平洋戦争のペリリュー島戦記を「天皇の島」と名づけたのは、日本軍の頑強な抗戦に大損害を受けた米海兵隊がこの島をそう呼んだからだった。海兵隊の戦記は次のように記す
▲「敵は抵抗力の最後の1オンスまでしぼり出し、最大の損害を強要した。ペリリュー戦はそれまでのいかなる戦いとも質を異にし、その後の硫黄島、沖縄戦の類型を示した」。洞窟陣地により持久を図る戦いは、まさに硫黄島や沖縄の凄惨(せいさん)な戦闘のさきがけとなった
▲「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ」は硫黄島での皇后陛下のお歌。「激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平らけき海その果てに見ゆ」は沖縄平和祈念堂での天皇陛下のお歌である。両陛下はきょうペリリュー島のあるパラオ共和国を訪問される
▲戦前は日本が統治した南洋諸島の施政機関「南洋庁」があったパラオである。今は親日的なことで名高いが、当時を知る世代には複雑な思いを抱える人もいる。今回の訪問は戦没者の慰霊と共に、戦場となった近隣2国も含む太平洋諸国との友好親善を図る旅である
▲戦後50年の国内での戦没者慰霊の旅の直後から南太平洋の島々の訪問を強く望まれた天皇陛下だった。10年後にはサイパンでの慰霊を実現し、戦後70年の節目にようやくパラオでの慰霊という念願を果たされる。20年の歳月を貫いた南太平洋の戦没者への思いである
▲戦跡や戦禍をこうむった土地を訪ね、死者の霊を慰め、平和を祈り続けてきた両陛下の「慰霊の旅」だ。「忘れてはいけない」。すべての戦没者の声を私たちの耳によみがえらせるその歩みである。
ソース :http://mainichi.jp/opinion/news/20150408k0000m070170000c.html
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つぶやき
この記事のペリリュー島の激戦が後の硫黄島や沖縄の米軍の戦闘のあり方の元といわれていた。物量で攻める米軍が想定外の損害を被ったからだ。
今回 行幸される天皇 皇后 両陛下のご配慮には いち日本人としてこのうえない感激を覚えるものである。今は当地で果かなくも戦場に眠る兵士の霊の成仏を祈るのみです。
地球上のアチ・コチでテロ活動が激しくなってきている現状に一抹の不安を感じるのは失礼と言うことか?
ここ2~3日 寒気がぶり返してきたようだ。花寒という気候かも?きょう(4月8日)も寒い日となるようだ。外は未だ薄暗く気温は 6 度 雨が降っている。 (午前 5時 半)
誠に申し訳ありません、この寒村からつい寒~い風を誤配してしまいました。
東京でも、千葉県でも雪とか、おかげでこの寒村は7℃程度で済んでおります。
異常気象が普通になりそうな近年です。
ペリリュウ島は昨日もTVでやっていました。
戦争となればやむを得ないと思いますが、日本の全軍玉砕の命令では、ただただ気の毒です。米軍1700人、日本軍1万人の戦死者と。
日米共に、当時の軍人、民間人問わず、皆現在の繁栄の礎になったと思わなければ浮かばれません。
現実は、いざとなれば戦うという気概もなく、国土を守ろうという、非現実主義者がまだ多い?豊かさゆえに精神は寒くなった人?と推測される犯罪が多いですね~、私など今だ食うが精一杯なので、人に害をあたえるヒマはありませんが。
今この異常気象に関し、TVで原因を解析していました。台風4号が原因だそうです。草々
メタボ拝
ペリリュー戦は昨夜も報道していました。米軍の死者は1700人と言われていますが死傷者は1万人を超えたと言われます。大変な戦いだったようです。
今の平和ボケした日本人には国を守ることが分かっていないように感じます。何かと言うと「憲法9条」のお陰とのたまう学者や一般人が多いです。 こ奴ら なんとかならないと何時も思っていますが・・・。