左の2隻は艦船番号がありません。(鏡の写真挿入忘れ!15時気がついたので・・・)
昨日(31日)は手話の会での年間行事であるハイキングとしてなんと! “横須賀軍港めぐり“ が採用され、みんなで、汐入のダイエービルの隣にある、発着場に10時半の集合となった。
横須賀にはもう40年近く住んでいるのに、“軍港めぐり”は初めてであった。
朝から暑い日でカミさんに北久里浜駅まで送ってもらい電車で汐入に向かった。
汐入に着いたのは10時前であったが・・・。
この軍港めぐり“の発着場の場所が分からなくダイエーの回り?を暫くウロチョロした。
なんとか発着場と思える場所に着いたが、どうも変だ?
そこに見える海岸の桟橋に観光船らしき船はあるのだが?
また、その辺りでウロチョロしていると向こうのほうで誰かが手を振っている?
はて? 目もよく見えないので、そちらに行くとなんときょうの世話役のTさんだ。
ニコニコしながら手話で「お早う」と言っておられる。
観覧船の発券売り場(小型自動車を改造していた:勿論走れます)
Tさんは健常者であるが定年後 手話を習いに教室に入られ今は会の方たちから推されて何かと世話を焼いていただいている。
潜水艦 潜水艦はただ・ただ濃い灰色の鉄の塊であり艦船番号も何も外に書いてなく、それらしきものもはなく、正に忍者そのものである。
説明では“船名”を知って居るのは乗務員だけではないか?ということだった。
右の軍艦には艦船番号が付いていますが左の軍艦には番号がありません。番号がないのは“廃船“となり、あとは処分されるだけのようです。
艦船番号は三桁が第一戦で活動している船を表し、四桁の番号は後方支援の役目の船だそうです。そして艦船番号のない船はお役目をおわり“廃船”処分の船だそうです。
その廃船に向かい、「お疲れ様」と手話でそ~と告げた。
言い換えれば 我輩と同じ“無職”で後は行き場が決まっている者なのですね。
観覧船の屋根の上で皆さん身振り手振りでお話中・・・です
軍港はいいお天気で遥か向こうの空には・・ 対岸はベルニー公園 です
軍港めぐり“は45分キッカリで終わり、皆さん無事にまた桟橋を上ったがそこで我輩は暑いので日陰に入ろうと岸壁の隅に寄ったところ其処は15cmばかりの段差がありそれに気が付かず足を踏み外し横倒しに倒れた。
わき腹の後ろを直径15cmくらいのポールにぶっつけた。
瞬間 呼吸が止まったようだ。息を吸うと、もの凄く痛む。
皆さんビックリして転んだ我輩を助け起こされ、しきりに「大丈夫?」と心配される。
少し大丈夫でないが「大丈夫ですよ」と立ち上がると我輩のショルダーを持っていただく。
その後 なんとか?いうお店で食事とおしゃべりをして解散をしたが、兎に角暑い日であったが楽しい限りだった。
たった。ヒトツ我輩が転んだのがよくなかったが・・・??
でもいいお天気でいい想い出になりました。
手話の会の皆さんお世話になりました。Tさん有難う
家に帰り直ぐに打った場所に熱取りのテープを貼り冷やしながら休んだ。
午後4時ごろまだ痛むので急いでいつもお世話になっている整形科病院に行った。
病院ではレントゲンを撮り先生の診断では「骨折はないようです」と言うことだった。
そして
「案外 明日辺りから2~3日痛みが強くなるかも?完治するには2週間くらいかかるかも?と言うことで別段心配はありませんよ」と言われひと先ず安心する。
歳をとれば先ず“転ぶな” と言われるが現実に我輩が転ぶとは?
歳をとりました。
今朝は未だ少し痛みが残っていますが、余り心配することはないようです。
でも、きょうの太極拳の教室は休みます。
整形科病院も水曜日はお休みです。
・・・・と言うことで、きょうはゆっくり本でも読んで休むことにします。
P.S. 観覧船の説明では先日オーストラリアの軍艦が入港したが船の色は日本の軍艦の濃い灰色とは違いルビー(コバルト・グリーンの間違い?)のような鮮やかな色だったとか?向こうの海が如何に綺麗なのかが分かったとか?日本近海もルビー(コバルトグリーンの間違い?)のような海にしたいですね。
*宝石の色だと思い咄嗟に書いたのがルビーでした。耄碌しました。(笑)
///////////////////////////////////////////////////////////
中国人の日本への移民受け入れ? ↓
http://gogonoshushu.com/archives/51644462.html
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=130945&servcode=A00§code=A00
↑ こんなことあり?日本の政治家の考えることか? (18時追記)
コケタ ! 軍港めぐり・・・
昨日(31日)は手話の会での年間行事であるハイキングとしてなんと! “横須賀軍港めぐり“ が採用され、みんなで、汐入のダイエービルの隣にある、発着場に10時半の集合となった。
横須賀にはもう40年近く住んでいるのに、“軍港めぐり”は初めてであった。
朝から暑い日でカミさんに北久里浜駅まで送ってもらい電車で汐入に向かった。
汐入に着いたのは10時前であったが・・・。
この軍港めぐり“の発着場の場所が分からなくダイエーの回り?を暫くウロチョロした。
なんとか発着場と思える場所に着いたが、どうも変だ?
そこに見える海岸の桟橋に観光船らしき船はあるのだが?
また、その辺りでウロチョロしていると向こうのほうで誰かが手を振っている?
はて? 目もよく見えないので、そちらに行くとなんときょうの世話役のTさんだ。
ニコニコしながら手話で「お早う」と言っておられる。
観覧船の発券売り場(小型自動車を改造していた:勿論走れます)
Tさんは健常者であるが定年後 手話を習いに教室に入られ今は会の方たちから推されて何かと世話を焼いていただいている。
潜水艦 潜水艦はただ・ただ濃い灰色の鉄の塊であり艦船番号も何も外に書いてなく、それらしきものもはなく、正に忍者そのものである。
説明では“船名”を知って居るのは乗務員だけではないか?ということだった。
右の軍艦には艦船番号が付いていますが左の軍艦には番号がありません。番号がないのは“廃船“となり、あとは処分されるだけのようです。
艦船番号は三桁が第一戦で活動している船を表し、四桁の番号は後方支援の役目の船だそうです。そして艦船番号のない船はお役目をおわり“廃船”処分の船だそうです。
その廃船に向かい、「お疲れ様」と手話でそ~と告げた。
言い換えれば 我輩と同じ“無職”で後は行き場が決まっている者なのですね。
観覧船の屋根の上で皆さん身振り手振りでお話中・・・です
軍港はいいお天気で遥か向こうの空には・・ 対岸はベルニー公園 です
軍港めぐり“は45分キッカリで終わり、皆さん無事にまた桟橋を上ったがそこで我輩は暑いので日陰に入ろうと岸壁の隅に寄ったところ其処は15cmばかりの段差がありそれに気が付かず足を踏み外し横倒しに倒れた。
わき腹の後ろを直径15cmくらいのポールにぶっつけた。
瞬間 呼吸が止まったようだ。息を吸うと、もの凄く痛む。
皆さんビックリして転んだ我輩を助け起こされ、しきりに「大丈夫?」と心配される。
少し大丈夫でないが「大丈夫ですよ」と立ち上がると我輩のショルダーを持っていただく。
その後 なんとか?いうお店で食事とおしゃべりをして解散をしたが、兎に角暑い日であったが楽しい限りだった。
たった。ヒトツ我輩が転んだのがよくなかったが・・・??
でもいいお天気でいい想い出になりました。
手話の会の皆さんお世話になりました。Tさん有難う
家に帰り直ぐに打った場所に熱取りのテープを貼り冷やしながら休んだ。
午後4時ごろまだ痛むので急いでいつもお世話になっている整形科病院に行った。
病院ではレントゲンを撮り先生の診断では「骨折はないようです」と言うことだった。
そして
「案外 明日辺りから2~3日痛みが強くなるかも?完治するには2週間くらいかかるかも?と言うことで別段心配はありませんよ」と言われひと先ず安心する。
歳をとれば先ず“転ぶな” と言われるが現実に我輩が転ぶとは?
歳をとりました。
今朝は未だ少し痛みが残っていますが、余り心配することはないようです。
でも、きょうの太極拳の教室は休みます。
整形科病院も水曜日はお休みです。
・・・・と言うことで、きょうはゆっくり本でも読んで休むことにします。
P.S. 観覧船の説明では先日オーストラリアの軍艦が入港したが船の色は日本の軍艦の濃い灰色とは違いルビー(コバルト・グリーンの間違い?)のような鮮やかな色だったとか?向こうの海が如何に綺麗なのかが分かったとか?日本近海もルビー(コバルトグリーンの間違い?)のような海にしたいですね。
*宝石の色だと思い咄嗟に書いたのがルビーでした。耄碌しました。(笑)
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中国人の日本への移民受け入れ? ↓
http://gogonoshushu.com/archives/51644462.html
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=130945&servcode=A00§code=A00
↑ こんなことあり?日本の政治家の考えることか? (18時追記)
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