日ごとに暖かくなってきました。昨日は花冷え?
昨日はおそろしく寒かったです。
今朝はもう庭に陽が射して空も東には少し雲がありますが西はよく晴れています。
庭の寒暖計も10度です(午前7時)
最近は何故かカミさんが朝5時には起きて寝坊をするのは我輩です。
スッカリ早起きのお株をカミさんに取られました。
先日ネットサーフインをしている時に「イレッサ訴訟」の記事をみたのでそれを昨日アップする予定でした。ところが、桜に気をとられてスッカリ失念しました。
パトカーに追いかけられて事故を起こし負傷 親が訴訟・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212875387
まさに現在の世の中なんでもありのようです。嘆かわしい限りです。
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反射鏡:イレッサ、二つの判決が意味するもの=論説委員・野沢和弘 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/
よく効く薬は多数の患者を救い、製薬会社にも大きな利益をもたらすが、よく効く薬ほど副作用も強い。多大な恩恵を享受するためには深刻なリスクを管理しなければならない。
では、副作用の危険を回避する責任は誰にあるのか。薬害訴訟の歴史はこの疑問と憤怒で塗り固められている。いつも基本的には同じ答えが導き出されるのだが、それでもまた新たな犠牲者が出る。なぜなのだろう。
「夢の新薬」と宣伝されたイレッサがそうだ。治療の難しいタイプの肺がんにも効果があり現在も広く使われているが、発売後2年半で間質性肺炎という副作用で557人が死亡した。
遺族らは販売元のアストラゼネカ社と国を相手に損害賠償を求めて訴訟を起こした。副作用や使用方法に関する情報は添付文書に記載することになっており、イレッサの添付文書にも間質性肺炎は載っている。しかし、一番後ろの目立たない所に書かれていたため、医療現場で安易な使用を招いた--というのが原告側の主張である。
判決は大阪地裁で2月、東京地裁で3月にあった。いずれも原告の主張を認め、アストラゼネカ社に損害賠償を命じた。また、厚生労働相には添付文書について行政指導をする権限があり、もっと目立つ警告欄に記載させるべきだったとの指摘は両判決に共通している。
ところが、国の賠償責任については見解が分かれた。大阪地裁は「行政指導には法的な拘束力がない」として損害賠償を認めなかった。一方、東京地裁は添付文書に安全確保のために必要な記載をするよう行政指導をしなかったのは違法として国に賠償を命じた。「(製薬会社が)営業上不利益となる情報を進んで記載することは十全には期待し難い」「医薬品の安全性確保のために必要な記載が欠けているのに(国が)放置したり、一応の指導をしたのみで安全性確保を貫徹しないままにすることは国民の健康侵害を防止する観点からは許されない」というのがその理由だ。
東京地裁判決は、人の生命や健康の保護を目的とする規制権限を国が行使しないことについて「著しく合理性を欠くと認められるときは違法」というクロロキン訴訟最高裁判決(95年)の基準を引用している。最近の薬害や公害訴訟ではこの判例に沿って判断されることが多く、イレッサの東京地裁判決もその延長線上に位置づけられる。
クロロキンは抗マラリア薬だったが、慢性腎炎や関節リウマチに効くとして60年代に広く使われた薬である。ところがクロロキン網膜症という副作用で多数の患者が視力障害になった。服用をやめても病状は進行し、失明した人も多い。
被害者らが国などを訴えた裁判で後々語り継がれる場面があった。当時の厚生省の担当課長もクロロキンを服用していたが、副作用の危険性がわかったため自らは飲むのをやめた。しかし、製薬会社に対しては販売中止などの行政指導を行わなかった。裁判で証人に立った課長自身がそう証言したのだ。国が規制権限を行使しないことを違法とする薬害訴訟の源流を作った課長証言だった。
ところが、クロロキン訴訟は地裁判決で医師の責任を認め、製薬会社とも和解したが、国の責任については最高裁まで争ったものの認められなかった。国に厳しい基準を示したが賠償責任までは認めなかったのだ。
以下はクロロキン訴訟の原告の一人がかつて私に語った言葉である。
<初めのころはとにかく製薬企業が許せなかった。そうやって10年闘ってきたが、企業は利潤を上げるために苦労していることもわかってきた。すると今度は行政はどうなっているのだと怒りが募った。利潤を追求する企業をチェックするために行政はあるのではないか。それからの10年は行政が許せなくて闘ってきた。しかし、厚生省OBが製薬業界に天下りしている実態を知るようになると、彼らの実情もわからなくはない気がしてきた。では、司法はどうなのだ。製薬業界と何のしがらみもなく、行政からも独立した存在ではないのか>
「裁判をするための人生だったような気がしてむなしくなってくる」とクロロキン訴訟の原告は言った。
深刻な副作用の危険を抑えながら恩恵を享受するには行政の監視や規制がしっかり機能しなければならない。そして、行政を機能させるためには……。この命題の前で私たちはずっと足踏みをしているのである。
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イレッサ訴訟:アストラゼネカが控訴
イレッサ訴訟:国の賠償責任も認める 東京地裁判決
イレッサ訴訟:原告側、輸入販売元に控訴断念を申し入れ
イレッサ訴訟:厚労省が検証チーム設置 見解文案問題
イレッサ:「本当にがっかり」 原告、国の賠償棄却を批判
毎日新聞 2011年4月3日 東京朝刊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訴訟といえば「白い巨塔」?だったか財前教授の胃がんの手術を思いだします。古いですね~。今は当時とは比べ物にならないほど世情が替わりました。
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こちらは話は変わり国際的に信用を失った日本が中国からは空から尖閣列島・・・ロシアからは北方四島にビザを取り日本人が上陸 民間人による暗黙のロシア国の了承?
問題山積みです。力(チカラ)なき正義は通じません。
「カルタゴの悲劇」 ↓ 以前にも取り上げましたが再掲します。
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Aoki-shi/Cartago%20no%20higeki.html
○ 金で買った平和
カルタゴは今からおよそ2800年前にアフリカ対録の最北端、地中海に面した地に興った海洋商業国家で、その後数百年の長きにわたり、当時の世界最強の国として地中海に君臨しました。
その頃のローマはカルタゴの数分の1の小さな新興の農業国でしたが、イタリア半島をその陸軍力によって統一し、次第に地中海にも勢力を伸ばし始めていました。
やがてローマはシシリー島を領有する野心を持ち、ここにカルタゴとの間に戦争が開始されました。ときに紀元前264年、第1次ポエニ戦役の始まりでした。
大海軍国カルタゴに対する小国ローマは、国民が一致団結して大艦隊を建造し、たび重なる台風で艦隊の多くを失うと、ただちに倍旧の軍艦を新造して20年あまりを戦い抜きました。
その一方、カルタゴの国内では、これ以上戦費を負担するのはごめんだという世論が強くなり、政府はローマに和議を申し入れる状況に追い込まれました。
ローマは和議の条件として、シシリー島の割譲と巨額の賠償金を要求しましたが、カルタゴの人々は、金で平和を買えたとばかり喜んだのでした。
○ またしても金
ローマの狙いはカルタゴに代わって地中海を支配することにありました。ですからローマはその後も地中海の島々を次々と占領し、地中海の支配を強化してゆきました。
やっと事態に気づいたカルタゴは、名将ハンニバルをローマに進攻させました。ハンニバルはローマが支配する地中海を避け、カルタゴ領であったスペインに上陸、歴史に残るアルプス越えを行って北イタリアから攻め入り、ローマと戦いました。
しかし15年近くもの消耗戦となったため、ハンニバルは本国に援軍の派遣を求めます。
ところがまた、金で解決しようと考えたカルタゴは、ハンニバルの懇願をすげなく断ります。
ローマはハンニバルをイタリア南部に釘付けにしておいて、今度はカルタゴ本国に攻撃を開始しました。カルタゴ軍は連戦連敗し、政府はハンニバルに戻って戦うことを命じます。
疲れ切ったハンニバル軍はよく戦いますが、強大なローマ軍に敗れ、第2回の和議となります。
ローマが要求した条件は、全ての軍備をローマに渡し、巨額の賠償金を50年間にわたって支払え、というものでした。
この過酷な要求に対しカルタゴの政府も国民も、軍備は無い方が金がかからないし、あとは賠償金を払えば良いのだと応じたのでした。
○ 抹殺された経済大国
ローマの野心に気が付いていたハンニバルは、シリアと同盟してローマと戦うことを策しましたが、反対派の政治家がローマに密告するに及んで、自殺に追い込まれます。
その後カルタゴは、政界は政争に明け暮れしますが、商才に長けた国民性からまたたく間に経済大国に戻ります。そして14年後、カルタゴはローマに、賠償金の残り36年分を一時金で払いたいと申し入れたのでした。
ローマは驚き、その不死鳥のようなカルタゴに極度の警戒心を抱き、この国を滅ぼすことにします。
そして40年の間カルタゴを締め付けたあげく、紀元前146年、カルタゴ市に総攻撃をかけて市民の9割を殺し、カルタゴ市に火を放ってその全てを地上から抹殺し去ったのでした。
○ 二重の悲劇
カルタゴがローマと争い始めてから滅びるまでの118年。最後の戦いの3年間を除くと、カルタゴの人々はいつもその場その場をかわすことに終始し、何事も金で解決する方法を選び、ついに国家戦略、すなわち大戦略なるものを持つことがありませんでした。
このような国はカルタゴに限らず、世界史の中にたくさん見ることができます。
戦略とりわけ大戦略を持たない国が、長期にわたってたどる運命は常に悲劇的ですが、その渦中にある国民が、みずからの運命に気づかないのもまた悲劇的です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の日本とそっくりです。力(チカラ)なき国の成れの果てと言うべきか?
9条を平和の神と崇め奉る信者は船脅列島事件や北方四島、そして国民が不法に攫われた「拉致事件」などを看過している。都合の悪いことには目を向けないのが信者の特徴とも言える。
友を暗殺したスターリン ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3#.E8.87.86.E7.97.85.E3.81.AA.E3.82.8B.E7.8B.AC.E8.A3.81.E8.80.85
昨日はおそろしく寒かったです。
今朝はもう庭に陽が射して空も東には少し雲がありますが西はよく晴れています。
庭の寒暖計も10度です(午前7時)
最近は何故かカミさんが朝5時には起きて寝坊をするのは我輩です。
スッカリ早起きのお株をカミさんに取られました。
先日ネットサーフインをしている時に「イレッサ訴訟」の記事をみたのでそれを昨日アップする予定でした。ところが、桜に気をとられてスッカリ失念しました。
パトカーに追いかけられて事故を起こし負傷 親が訴訟・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212875387
まさに現在の世の中なんでもありのようです。嘆かわしい限りです。
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反射鏡:イレッサ、二つの判決が意味するもの=論説委員・野沢和弘 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/
よく効く薬は多数の患者を救い、製薬会社にも大きな利益をもたらすが、よく効く薬ほど副作用も強い。多大な恩恵を享受するためには深刻なリスクを管理しなければならない。
では、副作用の危険を回避する責任は誰にあるのか。薬害訴訟の歴史はこの疑問と憤怒で塗り固められている。いつも基本的には同じ答えが導き出されるのだが、それでもまた新たな犠牲者が出る。なぜなのだろう。
「夢の新薬」と宣伝されたイレッサがそうだ。治療の難しいタイプの肺がんにも効果があり現在も広く使われているが、発売後2年半で間質性肺炎という副作用で557人が死亡した。
遺族らは販売元のアストラゼネカ社と国を相手に損害賠償を求めて訴訟を起こした。副作用や使用方法に関する情報は添付文書に記載することになっており、イレッサの添付文書にも間質性肺炎は載っている。しかし、一番後ろの目立たない所に書かれていたため、医療現場で安易な使用を招いた--というのが原告側の主張である。
判決は大阪地裁で2月、東京地裁で3月にあった。いずれも原告の主張を認め、アストラゼネカ社に損害賠償を命じた。また、厚生労働相には添付文書について行政指導をする権限があり、もっと目立つ警告欄に記載させるべきだったとの指摘は両判決に共通している。
ところが、国の賠償責任については見解が分かれた。大阪地裁は「行政指導には法的な拘束力がない」として損害賠償を認めなかった。一方、東京地裁は添付文書に安全確保のために必要な記載をするよう行政指導をしなかったのは違法として国に賠償を命じた。「(製薬会社が)営業上不利益となる情報を進んで記載することは十全には期待し難い」「医薬品の安全性確保のために必要な記載が欠けているのに(国が)放置したり、一応の指導をしたのみで安全性確保を貫徹しないままにすることは国民の健康侵害を防止する観点からは許されない」というのがその理由だ。
東京地裁判決は、人の生命や健康の保護を目的とする規制権限を国が行使しないことについて「著しく合理性を欠くと認められるときは違法」というクロロキン訴訟最高裁判決(95年)の基準を引用している。最近の薬害や公害訴訟ではこの判例に沿って判断されることが多く、イレッサの東京地裁判決もその延長線上に位置づけられる。
クロロキンは抗マラリア薬だったが、慢性腎炎や関節リウマチに効くとして60年代に広く使われた薬である。ところがクロロキン網膜症という副作用で多数の患者が視力障害になった。服用をやめても病状は進行し、失明した人も多い。
被害者らが国などを訴えた裁判で後々語り継がれる場面があった。当時の厚生省の担当課長もクロロキンを服用していたが、副作用の危険性がわかったため自らは飲むのをやめた。しかし、製薬会社に対しては販売中止などの行政指導を行わなかった。裁判で証人に立った課長自身がそう証言したのだ。国が規制権限を行使しないことを違法とする薬害訴訟の源流を作った課長証言だった。
ところが、クロロキン訴訟は地裁判決で医師の責任を認め、製薬会社とも和解したが、国の責任については最高裁まで争ったものの認められなかった。国に厳しい基準を示したが賠償責任までは認めなかったのだ。
以下はクロロキン訴訟の原告の一人がかつて私に語った言葉である。
<初めのころはとにかく製薬企業が許せなかった。そうやって10年闘ってきたが、企業は利潤を上げるために苦労していることもわかってきた。すると今度は行政はどうなっているのだと怒りが募った。利潤を追求する企業をチェックするために行政はあるのではないか。それからの10年は行政が許せなくて闘ってきた。しかし、厚生省OBが製薬業界に天下りしている実態を知るようになると、彼らの実情もわからなくはない気がしてきた。では、司法はどうなのだ。製薬業界と何のしがらみもなく、行政からも独立した存在ではないのか>
「裁判をするための人生だったような気がしてむなしくなってくる」とクロロキン訴訟の原告は言った。
深刻な副作用の危険を抑えながら恩恵を享受するには行政の監視や規制がしっかり機能しなければならない。そして、行政を機能させるためには……。この命題の前で私たちはずっと足踏みをしているのである。
【関連記事】
イレッサ訴訟:アストラゼネカが控訴
イレッサ訴訟:国の賠償責任も認める 東京地裁判決
イレッサ訴訟:原告側、輸入販売元に控訴断念を申し入れ
イレッサ訴訟:厚労省が検証チーム設置 見解文案問題
イレッサ:「本当にがっかり」 原告、国の賠償棄却を批判
毎日新聞 2011年4月3日 東京朝刊
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訴訟といえば「白い巨塔」?だったか財前教授の胃がんの手術を思いだします。古いですね~。今は当時とは比べ物にならないほど世情が替わりました。
////////////////////////////////////////////////
こちらは話は変わり国際的に信用を失った日本が中国からは空から尖閣列島・・・ロシアからは北方四島にビザを取り日本人が上陸 民間人による暗黙のロシア国の了承?
問題山積みです。力(チカラ)なき正義は通じません。
「カルタゴの悲劇」 ↓ 以前にも取り上げましたが再掲します。
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Aoki-shi/Cartago%20no%20higeki.html
○ 金で買った平和
カルタゴは今からおよそ2800年前にアフリカ対録の最北端、地中海に面した地に興った海洋商業国家で、その後数百年の長きにわたり、当時の世界最強の国として地中海に君臨しました。
その頃のローマはカルタゴの数分の1の小さな新興の農業国でしたが、イタリア半島をその陸軍力によって統一し、次第に地中海にも勢力を伸ばし始めていました。
やがてローマはシシリー島を領有する野心を持ち、ここにカルタゴとの間に戦争が開始されました。ときに紀元前264年、第1次ポエニ戦役の始まりでした。
大海軍国カルタゴに対する小国ローマは、国民が一致団結して大艦隊を建造し、たび重なる台風で艦隊の多くを失うと、ただちに倍旧の軍艦を新造して20年あまりを戦い抜きました。
その一方、カルタゴの国内では、これ以上戦費を負担するのはごめんだという世論が強くなり、政府はローマに和議を申し入れる状況に追い込まれました。
ローマは和議の条件として、シシリー島の割譲と巨額の賠償金を要求しましたが、カルタゴの人々は、金で平和を買えたとばかり喜んだのでした。
○ またしても金
ローマの狙いはカルタゴに代わって地中海を支配することにありました。ですからローマはその後も地中海の島々を次々と占領し、地中海の支配を強化してゆきました。
やっと事態に気づいたカルタゴは、名将ハンニバルをローマに進攻させました。ハンニバルはローマが支配する地中海を避け、カルタゴ領であったスペインに上陸、歴史に残るアルプス越えを行って北イタリアから攻め入り、ローマと戦いました。
しかし15年近くもの消耗戦となったため、ハンニバルは本国に援軍の派遣を求めます。
ところがまた、金で解決しようと考えたカルタゴは、ハンニバルの懇願をすげなく断ります。
ローマはハンニバルをイタリア南部に釘付けにしておいて、今度はカルタゴ本国に攻撃を開始しました。カルタゴ軍は連戦連敗し、政府はハンニバルに戻って戦うことを命じます。
疲れ切ったハンニバル軍はよく戦いますが、強大なローマ軍に敗れ、第2回の和議となります。
ローマが要求した条件は、全ての軍備をローマに渡し、巨額の賠償金を50年間にわたって支払え、というものでした。
この過酷な要求に対しカルタゴの政府も国民も、軍備は無い方が金がかからないし、あとは賠償金を払えば良いのだと応じたのでした。
○ 抹殺された経済大国
ローマの野心に気が付いていたハンニバルは、シリアと同盟してローマと戦うことを策しましたが、反対派の政治家がローマに密告するに及んで、自殺に追い込まれます。
その後カルタゴは、政界は政争に明け暮れしますが、商才に長けた国民性からまたたく間に経済大国に戻ります。そして14年後、カルタゴはローマに、賠償金の残り36年分を一時金で払いたいと申し入れたのでした。
ローマは驚き、その不死鳥のようなカルタゴに極度の警戒心を抱き、この国を滅ぼすことにします。
そして40年の間カルタゴを締め付けたあげく、紀元前146年、カルタゴ市に総攻撃をかけて市民の9割を殺し、カルタゴ市に火を放ってその全てを地上から抹殺し去ったのでした。
○ 二重の悲劇
カルタゴがローマと争い始めてから滅びるまでの118年。最後の戦いの3年間を除くと、カルタゴの人々はいつもその場その場をかわすことに終始し、何事も金で解決する方法を選び、ついに国家戦略、すなわち大戦略なるものを持つことがありませんでした。
このような国はカルタゴに限らず、世界史の中にたくさん見ることができます。
戦略とりわけ大戦略を持たない国が、長期にわたってたどる運命は常に悲劇的ですが、その渦中にある国民が、みずからの運命に気づかないのもまた悲劇的です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の日本とそっくりです。力(チカラ)なき国の成れの果てと言うべきか?
9条を平和の神と崇め奉る信者は船脅列島事件や北方四島、そして国民が不法に攫われた「拉致事件」などを看過している。都合の悪いことには目を向けないのが信者の特徴とも言える。
友を暗殺したスターリン ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3#.E8.87.86.E7.97.85.E3.81.AA.E3.82.8B.E7.8B.AC.E8.A3.81.E8.80.85
舞鶴市の西国29番・松尾寺巡礼にお付き合い頂、ありがとうございました!
デジブックにコメントやグッドを頂、ありがとう御座いました、
右を向いても左を向いても控訴が多いですね~!
難しいことは良く判りませんが、科学の進歩の過程では避けられない問題なのでしょ~かね。
「白い巨頭塔」は良く見ましたね~!
懐かしいドラマです!
!(^^)!今朝は日本三景の一つ天橋立観光の思い出をアップしましたのでお付き合い頂ければ幸せます。
*それではまた!・・・来訪・コメントを、お待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!!
天橋立 早速 お邪魔しました。私は行ったことがないのに大変よくわかりました。足が悪く長くあるけないのでひろしさんのお陰でアチコチの名所旧跡に参れます。感謝 今 午前3時半です。流石に外は真っ暗です。部屋は暖房でポカポカです。もう少ししたら二度寝にはいります。