少し寝坊をして散歩のきっかけを失った。
新聞を取りに出ると早朝の空は綺麗な空だった。
東のほうが僅か赤みを帯びていた。
シマッタ! きょうのような朝に散歩に出かけるのだった。
最近は朝の雲がドンヨリとして日の出が厚い雲に覆われるている朝ばかりだった。
先ほど朝のヒデタケさんのラジヲをカミさんが聞いていた。
カミさんはラジヲを家の中で何処に行くにも持ち歩いている。
きょうは「いい夫婦の日」だそうである。11月22日のゴロあわせらしい?
我輩は結婚して何年?になるのだろう?忘れて記憶の外になっている。
振り返ればいい夫婦とはとても言いがたいのでは?何しろ我輩の我が侭が桁はずれではなかったか?と思うからだ。
この歳で反省しても遅いがね。
せめてきょう一日は大人しくしているか?
きょうは手話の勉強の日である。9時前にはでかけなくては・・・・。
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きょうの手話の話題は19日の「アイ・コンタクト」の話が多かったが、聾の方の感想は我々が感じた感激とはかなり違っていた。聾になりかけの我輩など、まだまだその苦しみが理解できていないようだ。中村監督のサイン入りの本をきょうから読み始めた。
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余録:俳句 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20111121k0000m070134000c.html
以下全文 ↓
余録:俳句
芭蕉の俳諧紀行「奥の細道」にこんな句がある。<風流の初(はじめ)やおくの田植うた>。白河の関を越えて進むうちに、現在の福島県須賀川市に着き、詠んだ句だ。奥州で出会った趣深いものの最初が、田植えをする人たちの歌だったらしい
▲地元在住の永瀬十悟(とうご)さんが今年の角川俳句賞を受賞した。俳壇の登竜門として知られる賞を受けたのは、「ふくしま」と題した50句。3月11日以降に作られた作品が「俳句」(角川学芸出版)11月号で読める
▲永瀬さんも震災で大きな被害を受けた。自宅は半壊し、断水や停電にも苦労した。原発事故は不条理の最たるものだと感じた。余震の中、途方に暮れた日々が続いた
▲しばらくは生きることで精いっぱいだったが、5月の連休の頃、20代から30年以上続けている俳句を再び詠み出したという。いくつか作品を引いてみよう。<淡雪や給水の列角曲がる><燕(つばめ)来て人消える街被曝(ひばく)中><流されてもうないはずの橋朧(おぼろ)>
▲怒りや嘆き、不安や喪失感が伝わってくる。でも、それだけではない。<ガソリンの無ければ歩く彼岸道><ちちははの墓石は無事牡丹(ぼたん)の芽>などには希望のようなものがにじむ。ギリギリの緊張感に襲われているのに、困っている自分を客観的に眺めている
▲俳句とは冷静さを求めるものでもあるらしい。これが文芸の力だろう。芭蕉の句に応える作品も目をひいた。<風流のはじめの地なり田植せむ>。不条理は現在進行形で続いている。農産物の被害には胸が痛むばかりだ。でも、季節がめぐる風土に私たちが生きていることは覚えておきたい。季語がそれを思い出させてくれる。
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毎日新聞 2011年11月21日 0時46分
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