還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

ライスの処置が効いたか?

2011-04-22 22:01:39 | Weblog


昨日傷めた右腰の痛みがきょうは治まった。

救急RICEの処置がよかった?

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そこで、きょうは整形のリハビリに行ってきた。

昨日は痛む腰を暖めては?ダメだと思いリハビリは休んだ。

きょうはリハビリの後は膝も腰も実に調子がよかった。

救急RICEの処置は太極拳の講習会で習ったがとんだところで役に立ったようだ。

我輩が生まれて初めてぎっくり腰になったのは1996年のことである。

それは一週間後には神戸で行われる復興の行事でねんりんピックの優勝チームが招かれたのだった。・・・と言うことは我輩はその優勝チームの一員だった。

夜 風呂に入ろうと衣服を脱いだ時に腰にピリッ とした鋭い痛みを感じた。

痛みは瞬間であり別に問題にしなく、そのまま風呂に入りユックリと寛いだのだ。

風呂から上ってパンツを履こうと、しゃがんだら腰に物凄い痛みが走りそのまま動けなくなった。

這うようにして居間に入り「お~い・・・」とカミさんを呼んだが、声を出すと腰に響く。

兎に角カミさんを呼び寝床を引いて貰い 直ぐに横になるが腕一本動かしても腰に痛みが来る。

寝返りどころか頭を動かしても腰に響き鋭い痛みが走る。

翌日 監督さんにFAXを入れて神戸の行事への不参加を報せる。

チームは7人構成であり、我輩が欠けて6人になった。

多分 それから急遽 6人のフォーメイションに変更されたのでは?と思う。

ぎっくり腰は4日経ってようやくなんとか壁つたいに歩けるようになりN整形病院にカミさんの車で行った。

背中にこれまた痛い注射を打ってもらうと瞬間に痛みが薄らいだ。

多分 麻酔が効いていたのかも?その日からまた2~3日寝たと思う。

ギックリ腰を起こした当時の腰の痛みは物凄く寝床からトイレ行くにも四つん這いで這って行くのだが、布団の上を這う時は、それほどの痛みは感じないが畳の上に出ると途端に鋭い痛みが走り暫く動けなかった。

更に廊下に出ると絨毯であるが安物の所為か?畳 以上に腰に響いた。

それでもトイレを止めるわけにいかない。

トイレの床はビニ・タイルである。

床を這いながらトイレの床のビニ・タイルに入って手を突いた時の腰に響く痛みは気絶しそうになるくらいだった。

なんとか用を足し居間に帰るのも一仕事だった。

毎日 何気なく歩いている我が家の中でも床材により腰に響く度合いがこんなに違うとは?と驚いたり、建築屋の端くれでありながら知らなかった。

昨日は、このことを思い出し直ぐに冷やすことをしたのがよかったらしい?

そして きょうは赤外線で暖めたのもよかったのでは?と自画自賛している。

そういえばきょうの午前中はプールに行き十分に運動をした。

これもよかったのでは?と思う。

何事も上手く行くときは不思議によいほうにことが運ぶようだ。

今は腰の痛みはなく膝の痛みも少ない。

明日も午前中はプールに行こう。

今朝 例の真っ向法をやっていると、両足を広げて前に屈んで、なんと顔はおろか胸が布団に付いた。

初めてのことである。

傍でカミさんがそれを見て

「顔を上げて・・・」と指図をする。それはいいが・・

「毎日続けてやらないと直ぐに硬くなるよ」と嫌味を言う。

三日坊主の我輩をよく知っている。

明日の朝 また胸が布団に付くようやってみるか?

付かないかも?それでもいい。

我輩の知る92歳の男性は軽々と胸を体育館のフローリングにつける。但し彼は枯れ木のように痩せている。

ここが違う。


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余録:被災のはさみ状較差 (毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/

阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は、地震の40~50日後に人々の間のある変化に気づく。ふだんより元気になった人と、ひきこもってしまう人の違いが目につく。その差がまるで開いたはさみの刃のように広がっていくのだ▲柔軟に新発想を出す人と考えられないほど頑固になる人、酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人、仲がよくなった夫婦とヒビの入った夫婦--最初のわずかな差が日を追ってどんどん開いていく。医師はそれを経済用語を借りて「鋏状較差(きょうじょうかくさ)」と呼んだ▲貧富の差もはさみ状の広がりを見せる。経済力や社会的人脈、地縁をもつ人々と孤立した人々の境遇の違いが拡大した。人々の生死を分けた震災は、その後も人々の幸不幸を切り分けた(中井久夫編著「昨日のごとく」)▲当時よりも長引く避難所生活のストレスだ。そして大津波から40日以上を経た今も行方の知れぬ子や親、兄弟を捜し続ける人々がいる。悲しみが癒えるどころか、積もり重なるこの震災である。復興に向かう周囲のムードと、取り残されるような孤立感に苦しむ人々の落差の広がりも未曽有の様相を見せている▲長い「被災」を生きる人を孤立させないさまざまな取り組みが必要な今後の復興だ。国が仮設住宅に配置する高齢者や障害者の介護の拠点もその一つだろう。自治体の判断で生活相談やボランティアの拠点にも使えるこうしたスペースをより有効に活用できればいい▲震災との闘いで一つになった人々の心も、復興へそれぞれの挑戦を始めていく今だ。「較差」のはさみが人同士のいたわり合いまで断ち切るのは防ぎたい。

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23日午前6時半追記  ↓

論説委員・皿木喜久 なぜ「忘れたころ」なのか (産経新聞)
2011.4.23 03:20

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110423/dst11042303200007-n1.htm

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