トバッチリ?
「おい!玄関 なんとかせい!」
きょうは午前中 散髪屋にゆく予定の日である。
そのためには自転車の電池を充電しなくてならない。
そこで朝早く自転車から電池を外すために玄関を出ようとしたら我輩の履物がない。
上がり框(カマチ)の下を足先で探るも無い。
仕方なく、しゃがんで床下に手を差し込みサンダルを探す。
かなり奥に散らかっていた。
「あんちくしょう奴!また我輩のサンダルを玄関の床下に蹴飛ばしたんだな?」
何時ものことなのだが、と、腹立たしく思いながらも我輩のサンダルを一つずつ床下から引っ張りだした。
引っ張りだした、ところにカミさんのサンダルがチョコンと行儀よく並ばれられていた。
これも腹が立つ。
我輩はサンダルを履いたところで、思い切ってカミさんの小さいサンダルを床下に蹴飛ばした。やや気持ちも収まった。
自転車から電池を外して居間に入りかみさんに
「おい!玄関くらいはきれいにしておけ!玄関はその家の顔だ!」
「綺麗にしているよ」
「綺麗ではない!」
「おれのサンダルがない!」
「・・・・・」へ理屈は承知の上だ!
なにも言わないのは心あたりがあるのかな?と・・・案外カミさんも、こうして勝手気侭な我輩の日頃の生活態度に対してストレスを発散しているのかな?とも邪推をする。
まァ いいか? お互い様だ。
・・・と・・・
「あんたも、たまには玄関くらい掃除したら?」思わぬ反撃を食らった!
「あ・あ・・うゥゥう~・・」 あじゃ~~
“アーウー宰相”ではないが瞬間 声がでない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この大平宰相「東京に三代住むと白痴になる」などといって物議を醸した。宰相でもある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに鳩が豆鉄砲を食らったようだ。
ビックリしたな~~“震度5”くらいの衝撃を受けた。
目呆けた眼も覚めた。
「まァ いい!綺麗にしておくとお客様も気持ちがいいだろう?」
訳の分からぬことを言ってごまかした。
こういう時は何時も座ったままで何もしない我輩は反撃できない!
これからはサンダルが見つからない時は黙って床下を探そう・・・・。
これもカミさんのストレス解消の手助けに案外なっているのかも?
案外カミさんも、こんな気持ちで何時も玄関に乱雑に履き捨てられている我輩のサンダルを見て
「また こんなに散らかして!」と、こんなサンダルは揃えることはない!とばかり、思いきって我輩のサンダルを床下に蹴っ飛ばしているのかな?
そして日頃の憂さをここぞ!とばかり晴らしているのかも?
カミさんが我輩のサンダルを蹴っ飛ばしている姿を想像すると、なにやら、その姿を見たい?でも見ることは決して出来ないだろう?カミさんはそんなドジはしない!
ここに何時もコメントをいただける沼じじさんの家ではこんなことは無いだろうと?と想像しながら・・・。(失礼 余計なことでした)
我が家のカミさんは、あれで結構 負けん気が強いのですよ・・・・。
勝っても、負けてもトンと気にしない我輩とは随分違います。
上がり框の下を板で貼り潰そうとも考えたが、これは案外「ローマの休日」
の“真実の口“?ではないが、これも、ストレス解消の洞穴の役目をしているのかも?と思い、そのままにすることにした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E5%8F%A3
家の中に、このような旦那の靴を、どこかに思い切り蹴っ飛ばすところがあるのも奥様にとっていいかな?
我が家の玄関の床下を「真実の口」とたとえるのは実に不謹慎だが?無教養なものとしてお許し願おう。
テーブルのすこし向こうの下で充電器にセットされた自転車の電池が点滅している。
充電は2時間かかる。
我輩の頭の中もなにやら点滅している。
PS:先ほど散髪屋さんから帰ったら(午前11時)庭の針金寒暖計は25度を示して居間の湿度は85%を示していた。肌が汗ばむ。
もう梅雨のようだ!空は昨日 同様にどんよりと曇っているが、このような日は外にでると肌の日焼けが凄い!
////////////////////////////////////////////////////////
かって、こんな方もいらした。↓ 我輩は貧乏人の所為か麦飯は好きだ。
今は麦も健康食として奨励されている。
今でもトロロを下ろした熱いご麦ご飯は大好きだ。堪らないよ~~~
旧日本軍(明治・大正時代?)は、陸軍は「銀飯が食えるぞ!」と銀飯で兵隊を募った。海軍は麦飯かパン食を用いた。(”白い航跡”吉村 昭 著?)だったか?
陸軍は台湾の氾濫掃討で4~5万の兵を脚気で失ったとか?海軍の軍人には脚気で死ぬものは無いことは無かったが、ほとんど居なかったという。
脚気がビタミン不足から来ることがまだ解明されていなかったからだ。当時の陸軍の軍医総監は森鴎外で脚気の原因は細菌説をとっていたとか?また、いい加減なことを書いた?調べてくださいね。うそかも?
上のHPからの抜粋です ↓森鴎外に関する医学上の記述です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛(及びイギリス医学)と対立した。自説に固執し、当時海軍で採用していた脚気対策の治療法として行われていた麦飯を禁止する通達を出し、さらに日露戦争でも兵士に麦飯を支給するのを拒んだ(自ら短編「妄想」で触れている)。但し当時の医学水準上(ビタミンの未発見)麦飯食と脚気改善の相関関係は科学的に立証されておらず、高木側は脚気の原因を蛋白質不足であるとしていた。ともあれ結果的に陸軍は25万人の脚気患者を出し、3万名近い兵士を病死させる事態となった(同時期、海軍では脚気患者はわずか87名。高木により食品と脚気の相関関係が予測され、兵員に麦飯が支給されたためである)。実に2個師団に相当する兵士が脚気で命を落とし、また戦闘力低下のために戦死した兵も少なくなく「(鴎外は)ロシアのどの将軍よりも多くの日本兵を殺した」との批判も存在している。日露戦争終戦直前、業を煮やした陸軍大臣寺内正毅が鴎外の頭越しに麦飯の支給を決定、鴎外の面目は失われることとなった
海軍の高木兼寛(海軍軍医総監)は脚気の原因はビタミン説だった。
一般医界も高木の脚気原因説と麦飯優秀説への反対が多く、国内で賛同を得るどころか、四面楚歌のような状況におちいった。もっとも、海軍は麦飯の支給をつづけた結果、脚気の「撲滅」に成功した(高木が主張した白米の中に大麦を混ぜた麦飯食で脚気を鎮めることが可能。ただし海軍の航海食は、脚気を予防するには麦の割合が低く、副食もビタミン不足を補えないため、高木が没した頃から脚気患者が増加し、12月に太平洋戦争が勃発した昭和16年には3,079人(うち入院605人)の患者が出た)。やがて高木の予防法が一部普及した[2]。海軍での脚気病患者の激減は、日清戦争と日露戦争で大量の脚気病患者とその死亡者を出した陸軍と対照的であった。
これらの功績により、明治21年(1888年)日本最初の博士号授与者(文学・法学・工学・医学各4名)の列に加えられ、医学博士号を授与された。さらに明治38年(1905年)には華族に列せられて男爵位を授けられた。この時、人々は親愛と揶揄の両方の意味をこめて彼のことを「麦飯男爵」と呼んだと伝えられる。なお、死去の直後に従二位の位と勲一等旭日大綬章が追贈されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PS:2 当時「貧乏人は麦飯を食え!」と言うタイトルで随分とマスコミをにぎわした。池田蔵相であった。流石 大蔵大臣?我が家の大蔵大臣も我輩同様に麦飯は好きである。ただ、幾ら麦飯を炊け!と言っても何故か?10%くらいしか混ぜないようだ?←ここは我輩の我が家の現状と我輩の意見。↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下「貧乏人は麦飯を食え!」の議会での発言の模様↓
1950年12月7日の参院予算委員会での発言です。のちに日本社会党の論客として知られることになる木村禧八郎氏(当時は労働者農民党)の米価値上げに関連する質問に対して、池田蔵相は次のように答弁したのです。
「御承知の通りに戰争前は、米100に対しまして麦は64%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそつたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」
PS:2 出展:http://www.news.janjan.jp/culture/0501/0501052334/1.php
なんだか?何を書きたいのか?分からなくなったのでここらで・・・・。
震度5の激震で我輩の脳味噌が倒壊したようです!
げにカミさんが怒ると怖い!
「おい!玄関 なんとかせい!」
きょうは午前中 散髪屋にゆく予定の日である。
そのためには自転車の電池を充電しなくてならない。
そこで朝早く自転車から電池を外すために玄関を出ようとしたら我輩の履物がない。
上がり框(カマチ)の下を足先で探るも無い。
仕方なく、しゃがんで床下に手を差し込みサンダルを探す。
かなり奥に散らかっていた。
「あんちくしょう奴!また我輩のサンダルを玄関の床下に蹴飛ばしたんだな?」
何時ものことなのだが、と、腹立たしく思いながらも我輩のサンダルを一つずつ床下から引っ張りだした。
引っ張りだした、ところにカミさんのサンダルがチョコンと行儀よく並ばれられていた。
これも腹が立つ。
我輩はサンダルを履いたところで、思い切ってカミさんの小さいサンダルを床下に蹴飛ばした。やや気持ちも収まった。
自転車から電池を外して居間に入りかみさんに
「おい!玄関くらいはきれいにしておけ!玄関はその家の顔だ!」
「綺麗にしているよ」
「綺麗ではない!」
「おれのサンダルがない!」
「・・・・・」へ理屈は承知の上だ!
なにも言わないのは心あたりがあるのかな?と・・・案外カミさんも、こうして勝手気侭な我輩の日頃の生活態度に対してストレスを発散しているのかな?とも邪推をする。
まァ いいか? お互い様だ。
・・・と・・・
「あんたも、たまには玄関くらい掃除したら?」思わぬ反撃を食らった!
「あ・あ・・うゥゥう~・・」 あじゃ~~
“アーウー宰相”ではないが瞬間 声がでない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この大平宰相「東京に三代住むと白痴になる」などといって物議を醸した。宰相でもある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに鳩が豆鉄砲を食らったようだ。
ビックリしたな~~“震度5”くらいの衝撃を受けた。
目呆けた眼も覚めた。
「まァ いい!綺麗にしておくとお客様も気持ちがいいだろう?」
訳の分からぬことを言ってごまかした。
こういう時は何時も座ったままで何もしない我輩は反撃できない!
これからはサンダルが見つからない時は黙って床下を探そう・・・・。
これもカミさんのストレス解消の手助けに案外なっているのかも?
案外カミさんも、こんな気持ちで何時も玄関に乱雑に履き捨てられている我輩のサンダルを見て
「また こんなに散らかして!」と、こんなサンダルは揃えることはない!とばかり、思いきって我輩のサンダルを床下に蹴っ飛ばしているのかな?
そして日頃の憂さをここぞ!とばかり晴らしているのかも?
カミさんが我輩のサンダルを蹴っ飛ばしている姿を想像すると、なにやら、その姿を見たい?でも見ることは決して出来ないだろう?カミさんはそんなドジはしない!
ここに何時もコメントをいただける沼じじさんの家ではこんなことは無いだろうと?と想像しながら・・・。(失礼 余計なことでした)
我が家のカミさんは、あれで結構 負けん気が強いのですよ・・・・。
勝っても、負けてもトンと気にしない我輩とは随分違います。
上がり框の下を板で貼り潰そうとも考えたが、これは案外「ローマの休日」
の“真実の口“?ではないが、これも、ストレス解消の洞穴の役目をしているのかも?と思い、そのままにすることにした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E5%8F%A3
家の中に、このような旦那の靴を、どこかに思い切り蹴っ飛ばすところがあるのも奥様にとっていいかな?
我が家の玄関の床下を「真実の口」とたとえるのは実に不謹慎だが?無教養なものとしてお許し願おう。
テーブルのすこし向こうの下で充電器にセットされた自転車の電池が点滅している。
充電は2時間かかる。
我輩の頭の中もなにやら点滅している。
PS:先ほど散髪屋さんから帰ったら(午前11時)庭の針金寒暖計は25度を示して居間の湿度は85%を示していた。肌が汗ばむ。
もう梅雨のようだ!空は昨日 同様にどんよりと曇っているが、このような日は外にでると肌の日焼けが凄い!
////////////////////////////////////////////////////////
かって、こんな方もいらした。↓ 我輩は貧乏人の所為か麦飯は好きだ。
今は麦も健康食として奨励されている。
今でもトロロを下ろした熱いご麦ご飯は大好きだ。堪らないよ~~~
旧日本軍(明治・大正時代?)は、陸軍は「銀飯が食えるぞ!」と銀飯で兵隊を募った。海軍は麦飯かパン食を用いた。(”白い航跡”吉村 昭 著?)だったか?
陸軍は台湾の氾濫掃討で4~5万の兵を脚気で失ったとか?海軍の軍人には脚気で死ぬものは無いことは無かったが、ほとんど居なかったという。
脚気がビタミン不足から来ることがまだ解明されていなかったからだ。当時の陸軍の軍医総監は森鴎外で脚気の原因は細菌説をとっていたとか?また、いい加減なことを書いた?調べてくださいね。うそかも?
上のHPからの抜粋です ↓森鴎外に関する医学上の記述です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛(及びイギリス医学)と対立した。自説に固執し、当時海軍で採用していた脚気対策の治療法として行われていた麦飯を禁止する通達を出し、さらに日露戦争でも兵士に麦飯を支給するのを拒んだ(自ら短編「妄想」で触れている)。但し当時の医学水準上(ビタミンの未発見)麦飯食と脚気改善の相関関係は科学的に立証されておらず、高木側は脚気の原因を蛋白質不足であるとしていた。ともあれ結果的に陸軍は25万人の脚気患者を出し、3万名近い兵士を病死させる事態となった(同時期、海軍では脚気患者はわずか87名。高木により食品と脚気の相関関係が予測され、兵員に麦飯が支給されたためである)。実に2個師団に相当する兵士が脚気で命を落とし、また戦闘力低下のために戦死した兵も少なくなく「(鴎外は)ロシアのどの将軍よりも多くの日本兵を殺した」との批判も存在している。日露戦争終戦直前、業を煮やした陸軍大臣寺内正毅が鴎外の頭越しに麦飯の支給を決定、鴎外の面目は失われることとなった
海軍の高木兼寛(海軍軍医総監)は脚気の原因はビタミン説だった。
一般医界も高木の脚気原因説と麦飯優秀説への反対が多く、国内で賛同を得るどころか、四面楚歌のような状況におちいった。もっとも、海軍は麦飯の支給をつづけた結果、脚気の「撲滅」に成功した(高木が主張した白米の中に大麦を混ぜた麦飯食で脚気を鎮めることが可能。ただし海軍の航海食は、脚気を予防するには麦の割合が低く、副食もビタミン不足を補えないため、高木が没した頃から脚気患者が増加し、12月に太平洋戦争が勃発した昭和16年には3,079人(うち入院605人)の患者が出た)。やがて高木の予防法が一部普及した[2]。海軍での脚気病患者の激減は、日清戦争と日露戦争で大量の脚気病患者とその死亡者を出した陸軍と対照的であった。
これらの功績により、明治21年(1888年)日本最初の博士号授与者(文学・法学・工学・医学各4名)の列に加えられ、医学博士号を授与された。さらに明治38年(1905年)には華族に列せられて男爵位を授けられた。この時、人々は親愛と揶揄の両方の意味をこめて彼のことを「麦飯男爵」と呼んだと伝えられる。なお、死去の直後に従二位の位と勲一等旭日大綬章が追贈されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PS:2 当時「貧乏人は麦飯を食え!」と言うタイトルで随分とマスコミをにぎわした。池田蔵相であった。流石 大蔵大臣?我が家の大蔵大臣も我輩同様に麦飯は好きである。ただ、幾ら麦飯を炊け!と言っても何故か?10%くらいしか混ぜないようだ?←ここは我輩の我が家の現状と我輩の意見。↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下「貧乏人は麦飯を食え!」の議会での発言の模様↓
1950年12月7日の参院予算委員会での発言です。のちに日本社会党の論客として知られることになる木村禧八郎氏(当時は労働者農民党)の米価値上げに関連する質問に対して、池田蔵相は次のように答弁したのです。
「御承知の通りに戰争前は、米100に対しまして麦は64%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそつたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」
PS:2 出展:http://www.news.janjan.jp/culture/0501/0501052334/1.php
なんだか?何を書きたいのか?分からなくなったのでここらで・・・・。
震度5の激震で我輩の脳味噌が倒壊したようです!
げにカミさんが怒ると怖い!
我が家では家内の室内履き(サンダル)が私の歩く邪魔している時は「躓いて転ぶでないか?」と言い、わざと蹴とばします。
「こんなので転ぶのは、家でゴロゴロしてるからよ」と老婆との口の体操が始まります。
そこで太極拳の動画見ながら足の動きだけを真似ていたら「何・それ・見てられない」と
ぬかしおった!
剣豪小説では、ここで「おぬし!なかなか、やるの~」と言うセリフがあるところです。
一番被害を受けているのは、イソップ物語ではありませんが?何の罪のないスリッパのようです。
太極拳の足運び動画から会得されましたか?最初は誰も同じです。背筋を伸ばして自然体でユックリ歩けばいいのです。
きょうは、少し風があり、やや肌寒い日でした。お昼の気温20度。水泳のあとパソコン教室に行きました。先ほど昼寝から起きて夕飯を済ませたところです。
昔は麦飯というもの食べました。
これ体によいとわかるまで日本人は遅れておりました。
人の、生活に批判する人はだめですね。
時々麦飯超えて、玄米パンなるものを食しております。
身体のため老化すると足腰弱りました。
太極拳は腰と膝が悪くては”辛い”ことが少し共感できたような気がしました。
”見るは安し 行うは難し”です。
お二人のお互いに交わされる会話には読みながら様子を想像し思わず噴出してしまいました。〔失礼〕
気の向くままの駄文をお読みいただき感謝いたします。麦をこして玄米パンですか?いいですね~。それに澄んだ空に綺麗な空気!羨ましい環境です。谷間の渓谷もまた緑が美しい!
ここ横須賀は東京から40Kmくらい離れていますが、とても田舎です。そして谷戸と呼ばれる谷あいの町です。平地の少ない町です。小さな我が家も小高い山の上にあります。
またのお越しをお待ちしています。本日はご訪問ありがとうございました。
私も今は踏ん張りが利きません。練習中でも時によろめきます。整形のお医者さんからも「転ばないでください」と何時も言われています。
沼じじさんも中々やられますね~。負けては居られません。私も昨日あたりから筆談になりました。