還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

つまらぬことを思いだした。

2010-06-09 06:22:53 | 季節
つまらぬことを思いだした。

もう直ぐに梅雨です。きょうは6月9日“三隣亡“

起きたのは5時前ですが既に外は明るいです。

人気ブログランキングへ

ただ道路は濡れていて、どうも昨夜から今朝方にかけて雨が降っていたみたい?

暦ではあさっての11日が“入梅”のようです。

神宮宝暦を見ると6月には、この月に限ってという“行事”はないようです。

そこでか?次のような記事がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出産より初誕生日までの行事を整理してみましょう。

この世に生を受けた新生児は産声(ウブコエ)をあげ、産湯につかり、産着(ウブギ)につつまれる。

親戚縁者に無事出産を通知したりお祝いに餅をついたりする。

生まれて三日目は「三つ目祝い」、五日目を「五夜目」と言って祝宴を張るところもある。

七日目は「お七夜」と言って新生児の名前を披露する儀式がある。

出生届は、生まれた日から十四日以内に市町村の役所に提出する。

生後三十日前後(土地により多少違う)「お宮詣」といって氏神様のところに行ってお祓(オハライ)をしてもらう。

百二十日前後の「お食初め」を終えて、一年目の誕生祝いになるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子育ては大変なのですね~。

我輩の田舎でも同じようなことはあるようですが、今は定かに覚えていません。

ただ亡くなりました叔母が一歳の誕生日に一升餅を背中に背負わされて歩かされた、と聞きました。

歩いた距離が何間(ナンゲン)くらいか知りませんが2~3間(3m~5m)は歩いたのでしょう。そこで叔母の話を少し・・・・。

この叔母は女学生の時(県立岩国女子中学)に神宮体育大会(昭和15年:代々木神宮運動場)に山陽代表(当時は中国地方を、そのように呼んでいました)として出場しています。

そして出場した神宮体育大会で女子三段跳びの種目で優勝をしています。

(優勝者の扁額には、その名前と出身が書いてあり出身は“山陽“となっていました)

私が上京してまもなく、そのことを叔母に聞きました。

「東京に行って何処を見てきました?」と聞きましたら、当時は男女の区別が厳しく

「東京見物など何処へも行っていない、ただ・ただ競技場と宿舎を歩いて通っただけだ」

「競技が終わると直ぐに汽車で帰ったよ」と言っていましたね。

その時に

「“槍投げ“ や ”砲丸投げ”に出ろ!」と言われて困ったとも・・・。

叔母は“槍投げ”や“砲丸投げ”などやったこともないし触ったこともないと言っていました。

それでも、にわか練習は夜遅くまでさせられたとか?

出場したか?どうか?はわかりません。

当時は出場する種目のエントリーは事前になかったのでしょうかね~?

セーラー服に優勝賞状を胸に持った写真がありましたが、何度も何度も転居するうちに紛失しまし今は手元にありません。

当時 その写真が中国新聞に掲載されたと聞きましたがわかりません。

えらい 昔のことを思い出しました。

秋でもないのに・・・・。

窓の外は曇って今にも雨が降りそうです。

きょうの午前中は太極拳の教室です。

膝が痛みますがほどほどに膝を鍛えることにします。

/////////////////////////////////////////////

昨日 訪問頂いた方々です。有難うございます。 ↓





最新の画像もっと見る

コメントを投稿