何時もの場所の日の出
昨日見つけた「日の出」のポイントを頭に入れて今朝は先ず何時もの「日の出」の場所でデジ映像を撮り何時もはノッタリ・ノッタリと歩くのをノタ・ノタと急ぎ次のポイントに行く。
途中で膝が痛くなるが少し休み再びノタ・ノタと急ぐ。
何時もの場所よりかなり日の出の様子がいい。
雲があり未だお日様の姿は見えず、それでも、まァまァ 日の出らしき写真を一枚撮り少しタイミングを待つ。
日のでは早い。ちょっと目を離すともうかなり陽は上る。
日の出のアルバム
日の出を求め・・・
公園から見えた「ドーマ」と「越屋根」のある洒落た家
公園には何方も居られない。
ここで日の出を拝み 太極拳を一曲 舞うのも一興かな?
きょうは いいお天気になりそうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午前8時15分はTVで見る原爆記念碑の前の広島の皆さんとともに祈らせてもらう。
若しも亡父が昭和16年に外地に転勤しなければ、そのまま大手町に居たことだろう?
我輩が9日に姉を探しに広島の女学校に寄ったが女学校は防火壁が2箇所立っているだけで校舎も無く其処は綺麗サッパリ何も無くなくなっていた。
仕方なく大手町の昔 我輩の家族が住んでいた場所に行くも、そこも完全に焼け野原となっていた。
焼け野原なら焼けた残材があるはずなのに何もないのだ。
小さな防火用水槽?が点在するだけだった。
姉に関する手がかりは何もなく誰か人に聞くにも付近には誰もいない。
真に不思議な光景だった。市役所の前を歩き紙屋町に出て広島駅に向かった。
私の同級生も多く亡くなった。幸いに生き残った方も数年後 幽冥ことにした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8時15分 TVに見る参列者とともに黙頭をささげた。
菅総理の言葉には相変わらずその場の思いつきみたいな言葉が羅列してある。
福島の放射能は未だ広がりを見せている。
このような無責任と言ってよい厚顔無恥な総理は百害あって一利なしだ。
午前中は眼科の病院に出かける。お盆が近いのでどの病院も休みに入る。
お天気がよく強い陽射しに少し歩いただけで汗が出る。
その後 本屋により何やかやで家に帰ったのは午後1時半を過ぎていた。
身体をそれほど動かしたわけでもないのに身体が疲れている。
だるい。身体が重い。 部屋の空調は28度にしている。外気温と同じである。
それでは窓を開ければいいのだが、外は湿気の所為か?ムッとする。
習慣の昼寝も眠りが浅いようだ。目が覚めても身体が動かない。
この記事は朝 上げた心算だったが先ほど見てないので驚いて修正してアップする。
呆けたな~~~・・・・
////////////////////////////////////////////////////////////
8月6日 (産経新聞)
2011.8.6 03:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110806/stt11080603140001-n1.htm
以下全文
どうやら民主党の唱える政治主導は、国民の「主(あるじ)」だと勘違いした政治家が、官僚や民間会社のトップに責任を押しつけて「引導」を渡す意味だったらしい。海江田万里経産相は、原発事故や原子力安全・保安院の「やらせ」問題のけじめとして経産省首脳3人を更迭した。
▼事故発生後の次官をはじめとする3人の働きぶりが素晴らしかったとは言い難く、責任は免れない。しかし、政治主導というなら責任を真っ先にとらねばならぬ政治家が少なくとも3人いる。
▼まずは、海江田経産相だ。菅直人首相夫人から「泣くような人に大臣は務まらない」と蔑(さげす)まれても辞めようとしない。男のプライドがあるなら、さっさと辞表をたたきつけるべきだ。
▼2人目は北沢俊美防衛相だ。地震当日に奈良を旅していた東電社長が、あわてて帰京すべく名古屋から自衛隊機に搭乗したところ、何が気に入らなかったのか途中で引き返させた。おかげで東電はトップ不在のまま運命の3月12日を迎えた。
▼真打ちは、もちろん菅首相だ。大惨事を食い止められるかどうかの瀬戸際にあった福島第1原発に震災翌朝に乗り込んで、混乱に拍車をかけただけでも政治家失格だ。さらに放射能汚染の予測を隠蔽(いんぺい)し、福島県民をはじめ国民に正確な情報を伝えなかった罪は万死に値する。
▼自分の責任は棚に上げ、すべて他人のせいにする情けない人物しか民主党にはいないのか。子供1人当たり月2万6千円をばらまくマニフェストという毛針は、ようやく引っ込めたが、まだまだ反省が足りない。まずは百害をばらまいている首相を即刻辞めさせ、改めて国民に信を問うのが筋だ。それができぬのなら政治主導の看板をすぐ下ろしなさい。
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昨日見つけた「日の出」のポイントを頭に入れて今朝は先ず何時もの「日の出」の場所でデジ映像を撮り何時もはノッタリ・ノッタリと歩くのをノタ・ノタと急ぎ次のポイントに行く。
途中で膝が痛くなるが少し休み再びノタ・ノタと急ぐ。
何時もの場所よりかなり日の出の様子がいい。
雲があり未だお日様の姿は見えず、それでも、まァまァ 日の出らしき写真を一枚撮り少しタイミングを待つ。
日のでは早い。ちょっと目を離すともうかなり陽は上る。
日の出のアルバム
日の出を求め・・・
公園から見えた「ドーマ」と「越屋根」のある洒落た家
公園には何方も居られない。
ここで日の出を拝み 太極拳を一曲 舞うのも一興かな?
きょうは いいお天気になりそうである。
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午前8時15分はTVで見る原爆記念碑の前の広島の皆さんとともに祈らせてもらう。
若しも亡父が昭和16年に外地に転勤しなければ、そのまま大手町に居たことだろう?
我輩が9日に姉を探しに広島の女学校に寄ったが女学校は防火壁が2箇所立っているだけで校舎も無く其処は綺麗サッパリ何も無くなくなっていた。
仕方なく大手町の昔 我輩の家族が住んでいた場所に行くも、そこも完全に焼け野原となっていた。
焼け野原なら焼けた残材があるはずなのに何もないのだ。
小さな防火用水槽?が点在するだけだった。
姉に関する手がかりは何もなく誰か人に聞くにも付近には誰もいない。
真に不思議な光景だった。市役所の前を歩き紙屋町に出て広島駅に向かった。
私の同級生も多く亡くなった。幸いに生き残った方も数年後 幽冥ことにした。
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8時15分 TVに見る参列者とともに黙頭をささげた。
菅総理の言葉には相変わらずその場の思いつきみたいな言葉が羅列してある。
福島の放射能は未だ広がりを見せている。
このような無責任と言ってよい厚顔無恥な総理は百害あって一利なしだ。
午前中は眼科の病院に出かける。お盆が近いのでどの病院も休みに入る。
お天気がよく強い陽射しに少し歩いただけで汗が出る。
その後 本屋により何やかやで家に帰ったのは午後1時半を過ぎていた。
身体をそれほど動かしたわけでもないのに身体が疲れている。
だるい。身体が重い。 部屋の空調は28度にしている。外気温と同じである。
それでは窓を開ければいいのだが、外は湿気の所為か?ムッとする。
習慣の昼寝も眠りが浅いようだ。目が覚めても身体が動かない。
この記事は朝 上げた心算だったが先ほど見てないので驚いて修正してアップする。
呆けたな~~~・・・・
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8月6日 (産経新聞)
2011.8.6 03:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110806/stt11080603140001-n1.htm
以下全文
どうやら民主党の唱える政治主導は、国民の「主(あるじ)」だと勘違いした政治家が、官僚や民間会社のトップに責任を押しつけて「引導」を渡す意味だったらしい。海江田万里経産相は、原発事故や原子力安全・保安院の「やらせ」問題のけじめとして経産省首脳3人を更迭した。
▼事故発生後の次官をはじめとする3人の働きぶりが素晴らしかったとは言い難く、責任は免れない。しかし、政治主導というなら責任を真っ先にとらねばならぬ政治家が少なくとも3人いる。
▼まずは、海江田経産相だ。菅直人首相夫人から「泣くような人に大臣は務まらない」と蔑(さげす)まれても辞めようとしない。男のプライドがあるなら、さっさと辞表をたたきつけるべきだ。
▼2人目は北沢俊美防衛相だ。地震当日に奈良を旅していた東電社長が、あわてて帰京すべく名古屋から自衛隊機に搭乗したところ、何が気に入らなかったのか途中で引き返させた。おかげで東電はトップ不在のまま運命の3月12日を迎えた。
▼真打ちは、もちろん菅首相だ。大惨事を食い止められるかどうかの瀬戸際にあった福島第1原発に震災翌朝に乗り込んで、混乱に拍車をかけただけでも政治家失格だ。さらに放射能汚染の予測を隠蔽(いんぺい)し、福島県民をはじめ国民に正確な情報を伝えなかった罪は万死に値する。
▼自分の責任は棚に上げ、すべて他人のせいにする情けない人物しか民主党にはいないのか。子供1人当たり月2万6千円をばらまくマニフェストという毛針は、ようやく引っ込めたが、まだまだ反省が足りない。まずは百害をばらまいている首相を即刻辞めさせ、改めて国民に信を問うのが筋だ。それができぬのなら政治主導の看板をすぐ下ろしなさい。
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