きょうはいいお天気でした。外気温は12度です。(15時)
午前中は花の国プールで過ごし帰宅後はブログの原稿書きです。
パソコンの動きが急に悪くなった。何か?あったのかな?
このパソコンも歳をとったようだ。
カミさんは午後から絵の勉強に行っている。帰って来るのは夕方だと思うが・・・。
ユックリとくだらない本でも読むか?
マルは無いがヒマはタップリとある。
タップリあるヒマで萎びた脳が逆立ちしてマヒしないように・・・。
洒落にもならぬか?
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近聞遠見:「大きな議論」に欠ける 毎日新聞 2012年12月01日 東京朝刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20121201ddm004070017000c.html 以下全文
近聞遠見:「大きな議論」に欠ける
毎日新聞 2012年12月01日 東京朝刊
喧噪(けんそう)のなか、政治が見えにくくなっている。離合集散はかつてなく目まぐるしい。どうしたら票が釣れるか、ただの<票こじき>になりかけているようにもみえる。ここは、古い話から−−。
三木武夫元首相が脳内出血で国立病院医療センターに入院したのは1986(昭和61)年、翌年三井記念病院に転院、88年11月14日、膵臓(すいぞう)がんで死去した。81歳。
この間、岸信介元首相は2度、3度と三木の病床を訪れている。ズケズケが身上の睦子夫人が、
「岸先生、あなたは持論と反対じゃありませんか。義理は欠けって……。もうあなたより若い病人のことなんか心配しないで、ご自身のことだけ考えてらしたら」
と言っても、岸は、
「いや、私は暇でしょうがないから来てるんですよ」
と笑っていたという。
「年取れば、転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」
という岸の持論は当時から有名だった。しかし、見舞った岸のほうが三木より早い87年8月7日、90歳で亡くなっている。
この2人の関係、戦後保守とは何か、を考えるうえで、注目に値する。岸首相が警職法改正を強行しようとした時、三木経済企画庁長官は灘尾弘吉文相、池田勇人国務相とともに反対し、抗議辞任した(58年12月)。
また、岸が命運をかけた日米安保条約の改定を採決する衆院本会議(60年5月)を、三木はボイコット、抗議している。岸にとって、三木は肝心なときに反目する。いわば政敵だった。
睦子夫人は、
<竹下登さんが気配りの政治というけれども、岸さんはそれ以上の気配りの人だった>
と書き残している(「信なくば立たず−−夫・三木武夫との五十年」)。睦子によると、三木は最後まで岸に敬意を表し、
「端倪(たんげい)すべからざる人物だ」
と言っていたという。
この話を思い起こしたのは、衆院解散からまもなく、引退を決意した鳩山由紀夫元首相が、野田佳彦首相と会い、
「もっと包容力を持って行動してもらいたい」
と注文した時だった。野田は鳩山を切ったが、岸は三木を排除しようとしなかった。気配りというより包容力だろう。かつての自民党が長期政権を維持できた秘密の一つと言っていい。
なにしろ、三木が戦前の42(昭和17)年、非推薦で衆院選に立候補、当選した時、岸は東条内閣の商工相、翌年は国務相・軍需次官に就いている。
戦後、岸はタカ派保守の総帥、三木はリベラル派の代表格として、自民党内の潮流を二分してきた。この違いは、野田と鳩山の比ではなく、対立・抗争も繰り返したが、分裂することはなかった。保守の粘着力である。
岸の退陣から52年、三木の退陣から36年が過ぎた−−。
岸の孫である安倍晋三が再び自民党総裁に選ばれ、副総裁に旧三木派の流れをくむ高村正彦を起用した。
「なぜ高村副総裁か」
と尋ねると、安倍は、
「日中関係もあるし……」
と短く答えた。対中強硬派の安倍が、日中友好議員連盟会長として、中国と親交のある高村と組み、バランスをとったということだ。
だが、それだけとも思えない。高村は高村坂彦・近衛文麿首相秘書官の四男。坂彦は55年、衆院旧山口2区に日本民主党から出馬、佐藤栄作、岸についで3位当選。三木の側近を貫き、岸が自民党総裁選に立候補すると、
<戦争責任者の一人だから自重すべきだ>
という書簡を発表して反対した。硬骨漢である。岸と三木、安倍と高村、は一種の因縁を感じる。
何が言いたいか。睦子は、
<岸さんとは考えが違ってぶつかりあったが、日米安保について言えば必要だとお互いに認め合っていたんです>
と書いている。かつての政治リーダーはケンカをしても、何が国と国民の利益かという奥深いところで理解し合っていた。
昨今は小競り合いだけで、大きな議論がない。安倍が登場すると、民主党は右傾化と印象批判を強め、
「われわれは中道だ」
と繰り返す。ひとしきり中道論争が続いたが、実りがない。最長老の中曽根康弘元首相は、
「民主党は<中道>を自らの逃避の場所に使おうとしている。大義名分を堂々と示さなければ<第二自民党>に堕するだけだ」
と叱った。もっともだ。
第三極のあわただしい離合集散劇も、大きな議論が欠けている。脱原発を細分化してどうするのだ。岸、三木のスケールに学んでほしい。(敬称略)=第1土曜日掲載
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岩見隆夫ホームページhttp://mainichi.jp/opinion/column/iwami/
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つぶやき
岸さんって凄い方だったのですね~。三木さんも・・・。
今の政界では罵り合いだけのようだが?案外 裏で繋がっていたりして・・・。
むしろ そうならいいのだが?
「白い犬も黒い犬も日本のためになるなら いい犬だ」といいたい。
川向こうではこれをネコと言っていたが・・・。
もっともこの言葉は向こうの方が先に仰ったのですがね~
今やネコでなく ど偉い暴れ孫悟空となっている。
嗜め 緊箍(きんこ)を掛ける三蔵法師がいないようだ。
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政治家とは商売人であってはなりません。国を本当に思う信念の人でなければなりません。
しかし昨今の状況はふざけた『新党』が乱立し、夜店の屋台のようです。
これでは激動する亜細亜情勢に翻弄されるばかりです。なんとか日本を維持したいという思いから、osamuさまの知恵をお借りしたいのです。
戦争を知らない世代が親となり、爺になります。日本を再生する方法はあるのでしょうか。
お元気ですね
今日は少し冷える様です
のんびりと過ごします
インフルエンザの予防接種は済ませました
やはり年齢と共に弱く成ります
同窓会。。あんな田舎から(150人卒業)関東地方に7人出て来ています
皆さん未だに頑張ってられます
安人は皆さんに着いて行くだけで精一杯です(笑)・
(o^-^o) ポチ
有難う御座いました
いつもコメント&応援 有難うございます。
同窓会・・・高校の関東支部がありますが出たことがありません。不精なのですね~私は東京まで出るのが億劫なのです。
コメント&応援有難うございました。