トイレに行くにもカミさんの手を借りる。このようになるのは嫌だな~と思う。
カミさんも嫌がることだろう。
自分のことは自分でする。自分で出来る。
「膝が痛く歩けない」と言いながらも未だ家の中は廊下が絨毯なので歩いても膝に響かないので歩くことに差し支えはない。
最近は衛生上の問題から床の絨毯は敬遠されているが我輩の場合は偶然であるが廊下の床が絨毯が幸いしている。(当時は何故か床の絨毯が流行っていたようだ)
先日 健康寿命なることをカミさんが言っていた。カミさん自身 気になるらしい?
カミさんが
「私はあんたの世話にはならないでゆくわ」など言い始めた。
「なに言ってんだ・・俺だってお前の世話になんか なるもんか?」
詰まらぬことでイサカイが始まる。
【健康寿命】男70・42歳、女73・62歳 厚労省が初算出、「延ばす」目標に
健康寿命
http://www.47news.jp/47topics/e/229924.php
////////////////////////////////////////////
上海交差点:大切なものは? =隅俊之
毎日新聞 2012年08月06日 13時49分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120806k0000e070237000c2.html 以下全文
「のしかかっていた重圧が消えていきました」。ロンドン五輪大会第1号の金メダルは中国の射撃女子エアライフルの易思玲(いしれい)選手(23)だった。湖南省の貧しい家庭の生まれ。練習代や高価な装備代を払えず、射撃をあきらめて出稼ぎに行こうと考えたこともあった。長い道のりだった。表彰台の彼女の頬には、はらりと流れる涙があった。
前回の北京五輪で史上最多の51個の金メダルを獲得し、初の世界一に躍り出た中国。何より国威発揚のため、最も多くの金メダルをとることは国家の至上命令だった。今回のロンドン五輪で、中国選手団の肖天(しょうてん)副団長は「過去5大会で開催国は次の五輪でメダル獲得数を減らしている」と控えめに語ったが、目下のところ中国の金メダル数はトップだ。
4年が過ぎ、中国は変わっただろうか。なるほどと思うことがあった。
女子シンクロ板飛び込みで、上海出身の呉敏霞(ごびんか)選手(26)は何姿(かし)選手(21)とのペアで優勝し、3大会連続の金メダルを得た。上海紙は、呉選手の父親が「余計な心配をさせたくない」と、母親の胸に腫瘍が見つかったことや、祖父母が亡くなっていたことを家族思いの彼女にずっと隠していたと伝えた。金メダルの重圧と闘う娘をおもんぱかっての親心だったが、必ずしも美談としては受け止められなかった。
. 中国版ツイッター「微博」にこんな書き込みがあった。「家族を思う気持ちと金メダルとどっちが大事だろう。成功はそれを犠牲にして得るべき名誉だろうか。これは国民の普通の価値観だろうか」
中国紙、中国青年報はロンドン五輪の開幕前、「私たちの金メダルへの道はゆがんでしまった。『千の銀メダルは一つの金メダルにも及ばない』という考え方まで出てきてしまった」との社会学者の意見を紹介。「金メダル至上主義」からの脱却を求めた。実は日本も金メダル重視だ。文部科学省が3月に作ったスポーツ基本計画では、夏季五輪の金メダルの数で「世界5位以上」を目指すと決めている。
何がなんでも金メダルとは思わない。でも目標に達するために何かを犠牲にすることは、私たちにもある。頂点を目指し、もがき努力する人には、その人にしか分からないドラマがある。だから正解はない。ただ五輪は、考える良い機会を与えてくれる。「私にとって一番大切なものは何か」ということを。(上海支局)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
「千羊の皮は一孤の腋(エキ)に如かず 」 凡人はいくら居ても一人の賢人に及ばない・・中国の故事にある。「千人の諾々は一士の諤諤に如かず」とも言われる。
上の記事を読みながら昔 習った漢文の一節を思い出した。考え方によりイロイロな見方がある。
これを聞いた時の学生時代の私は即座に「千羊の皮」を そのまま「物」と思い・・・
「狐の脇の少しの毛皮より千枚の毛皮のほうを貰ったほうがいいな」とトンチンカンなことを思ったものだ。先生の解説を聞いても、そういうものか?くらいだった。
ただ この言葉は印象に強く残った。漢文は何故か私の好きな時間だった。
漢文の先生の あざなは「ロッパ」と言った。
苗字が「古川 」だったのでイージーな あざなになったらしい?中学時代である。
* 狐腋=きつねのわきの下。
狐のわきの下に生える白い毛を集めて作った毛皮は貴重なものとして珍重される千金の裘(きゅう)は一狐の腋に非ず (ウイキペデアより)
カミさんも嫌がることだろう。
自分のことは自分でする。自分で出来る。
「膝が痛く歩けない」と言いながらも未だ家の中は廊下が絨毯なので歩いても膝に響かないので歩くことに差し支えはない。
最近は衛生上の問題から床の絨毯は敬遠されているが我輩の場合は偶然であるが廊下の床が絨毯が幸いしている。(当時は何故か床の絨毯が流行っていたようだ)
先日 健康寿命なることをカミさんが言っていた。カミさん自身 気になるらしい?
カミさんが
「私はあんたの世話にはならないでゆくわ」など言い始めた。
「なに言ってんだ・・俺だってお前の世話になんか なるもんか?」
詰まらぬことでイサカイが始まる。
【健康寿命】男70・42歳、女73・62歳 厚労省が初算出、「延ばす」目標に
健康寿命
http://www.47news.jp/47topics/e/229924.php
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上海交差点:大切なものは? =隅俊之
毎日新聞 2012年08月06日 13時49分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120806k0000e070237000c2.html 以下全文
「のしかかっていた重圧が消えていきました」。ロンドン五輪大会第1号の金メダルは中国の射撃女子エアライフルの易思玲(いしれい)選手(23)だった。湖南省の貧しい家庭の生まれ。練習代や高価な装備代を払えず、射撃をあきらめて出稼ぎに行こうと考えたこともあった。長い道のりだった。表彰台の彼女の頬には、はらりと流れる涙があった。
前回の北京五輪で史上最多の51個の金メダルを獲得し、初の世界一に躍り出た中国。何より国威発揚のため、最も多くの金メダルをとることは国家の至上命令だった。今回のロンドン五輪で、中国選手団の肖天(しょうてん)副団長は「過去5大会で開催国は次の五輪でメダル獲得数を減らしている」と控えめに語ったが、目下のところ中国の金メダル数はトップだ。
4年が過ぎ、中国は変わっただろうか。なるほどと思うことがあった。
女子シンクロ板飛び込みで、上海出身の呉敏霞(ごびんか)選手(26)は何姿(かし)選手(21)とのペアで優勝し、3大会連続の金メダルを得た。上海紙は、呉選手の父親が「余計な心配をさせたくない」と、母親の胸に腫瘍が見つかったことや、祖父母が亡くなっていたことを家族思いの彼女にずっと隠していたと伝えた。金メダルの重圧と闘う娘をおもんぱかっての親心だったが、必ずしも美談としては受け止められなかった。
. 中国版ツイッター「微博」にこんな書き込みがあった。「家族を思う気持ちと金メダルとどっちが大事だろう。成功はそれを犠牲にして得るべき名誉だろうか。これは国民の普通の価値観だろうか」
中国紙、中国青年報はロンドン五輪の開幕前、「私たちの金メダルへの道はゆがんでしまった。『千の銀メダルは一つの金メダルにも及ばない』という考え方まで出てきてしまった」との社会学者の意見を紹介。「金メダル至上主義」からの脱却を求めた。実は日本も金メダル重視だ。文部科学省が3月に作ったスポーツ基本計画では、夏季五輪の金メダルの数で「世界5位以上」を目指すと決めている。
何がなんでも金メダルとは思わない。でも目標に達するために何かを犠牲にすることは、私たちにもある。頂点を目指し、もがき努力する人には、その人にしか分からないドラマがある。だから正解はない。ただ五輪は、考える良い機会を与えてくれる。「私にとって一番大切なものは何か」ということを。(上海支局)
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つぶやき
「千羊の皮は一孤の腋(エキ)に如かず 」 凡人はいくら居ても一人の賢人に及ばない・・中国の故事にある。「千人の諾々は一士の諤諤に如かず」とも言われる。
上の記事を読みながら昔 習った漢文の一節を思い出した。考え方によりイロイロな見方がある。
これを聞いた時の学生時代の私は即座に「千羊の皮」を そのまま「物」と思い・・・
「狐の脇の少しの毛皮より千枚の毛皮のほうを貰ったほうがいいな」とトンチンカンなことを思ったものだ。先生の解説を聞いても、そういうものか?くらいだった。
ただ この言葉は印象に強く残った。漢文は何故か私の好きな時間だった。
漢文の先生の あざなは「ロッパ」と言った。
苗字が「古川 」だったのでイージーな あざなになったらしい?中学時代である。
* 狐腋=きつねのわきの下。
狐のわきの下に生える白い毛を集めて作った毛皮は貴重なものとして珍重される千金の裘(きゅう)は一狐の腋に非ず (ウイキペデアより)
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