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http://mainichi.jp/opinion/news/20130917k0000m070081000c.html 以下全文
発信箱:停止する街=大治朋子(エルサレム支局)
毎日新聞 2013年09月17日 00時43分
イスラエルの中でも、特にユダヤ人の多く住む西エルサレムに住んで、半年になる。
この時期はちょうど新年にあたり、14日は一年間の「罪」を静かに反省して神にざんげするユダヤ教の祭日、ヨム・キプール(しょく罪の日)だった。
前日の日没から当日の日没まで断食し、労働が禁じられているので空港も国境も閉鎖され、テレビやラジオも放送されない。町全体が沈黙の闇の中に落ちたように静まり返った。
これほど「完全停止」ではないが、ユダヤ人地区では毎週金曜日の日没から土曜の日没にかけて、シャバット(ヘブライ語で「休む」の意味)というユダヤ教の安息日があり、店やレストランはほぼ閉まり、公共交通機関もストップする。
労働しないので必然的に人々は自宅やシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)に集まり、結果的に、家族だんらんや親戚、友人との交流が深まるという。
東京という、年中無休の「眠らない街」で生まれ育った私にとって、社会全体がほぼ完全停止するこういう状況は、当初はかなり耐え難く、抵抗を覚えた。
社会が休みを強制しているようだし、休日だというのに、遊びに行く場所もなく、散歩ぐらいしか楽しみがなくなるからだ。
だが最近、日本でいえばお正月のような、社会がほぼ停止する日がもっと日常的にあっていい、と思うようになってきた。
「交代で休みを取る」という発想は、裏を返せば仕事を優先させ、その動きや流れを止めないために、プライベートの時間を犠牲にするということでもある。
イスラエルのような完全停止は無理だし、する必要もないが、「ほぼ全員が休む日」はもっとあっていい。停止する街、も悪くはない。
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つぶやき
社会活動が完全停止・・・変じて家族団欒 この現代に於いて「停止」ということは想像もしていないことですが惹かれますね。 今の日本に一番 欠けていると思えるのは家族団欒です。
学校教育が変わったのもさる事ながら家の中に子供の個室が造られたことが大きいと思っています。
子供の個室のない家・案外ここらに昔の家族制度の基本的なものが存在していたのかも? そんなことは関係ないとおっしゃる方も居られることでしょうが戦前・戦後を生きてきた老人には強く感じられます。
家の造りと言えば最近は耐震のみならず竜巻など風害・水害 等も考慮を要する時代になったようだ。
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