昨年挿入した「ステント」の検査入院を月初めにした。
2泊3日の予定である。検査の結果は特に
「今すぐに命に関わる危険はない」ということで一先ずは安心するも、
「日常 朝 起きた時の血圧を測って下さい」と言われ、今朝程 6時に計ると、未だ検査の後遺症があるのか(?)180~120-68(脈拍)と感心しない。
今まで自分が覚えている数値は大体130~80-50でありその数値は前後(+)(-)10くらいの変化であった。
家での血圧測定は朝の決まった時間で食事の前がいいと指示を受けた
カテーテル検査中の時には200mmを超えた時もあったとか?
それに昨年のステント挿入手術の時には、なんら痛みや苦しさも感じなかったのに今回はカテーテル検査中に呼吸が苦しくなるやら、胸に不快感が生じたり散々だった。
ただ、カテーテルの検査時間は何故か短く感じたものだ。
カテーテル検査のみでステントを装着しないぶんだけ短く感じたのかも?
今回の病室は前回と違って同じ病院の別の新しい新館の病棟で非常に綺麗な5人部屋でありトイレ、洗面所が傍にあり中々よい部屋だった。
それに前回 同様に看護婦さんの親切なことには驚かされる。
我輩の耳が聞こえないことを最初に届ける。
看護婦さんも、その所為か耳元で「囁かれる(?)」お陰で綺麗な看護婦さんの声がよく聞こえる。
然し、手話を習っている為か(?)つい手話で答えてしまう。
「有難うございました」と声を出して言えばよいものを、つい、左手の上に右手を立てて2度上下さす。手話の「有難う」である。
「胸は苦しくないですか?」と聞かれると、右手を胸の前で掌を返す仕草がでる
(そうではありません)。など、イロイロな場面で手話の仕草がでる。
耳が聞こえなくなると何故か喋ることがなくなる。別に声が出ないという訳ではないが何故か発声を忘れる。
手話の方が簡単な意思表示となることが多いからかな?とも思う。
交代の看護婦さんが挨拶に見えた時にも思わず、左の腕の握り拳のうえで右腕の握り拳を2度上下さす(お疲れ様である)。
暇な病室のベットでは、そ~ォと 指文字の練習をしている手話の初心者でもある。指文字は大体覚えてはいるが直ぐに忘れる。
朝、晩の挨拶も自然と手話でしてしまう。今思うのは手話を覚えるのも大切だが声が出ない訳ではない。もっと声を出しながら手話も交えようと思っている。
昨日の「手話の会」では問題が自分の生まれた県とその地で育った時の思い出を手話で語ろうというものだった。
我輩は広島市で育った子供の頃に父と共に車で2時間くらい走ったある山に行きマツタケを沢山取りその採ったマツタケを手で裂き、その場で、それを七厘で焼いて醤油をつけて腹いっぱい食べた思い出を手話で語った。
その時に親父はマツタケを魚に酒を飲みご機嫌よくその場に眠ってしまった。と言ったときに教室に爆笑が起こった。
なんと我輩は「親父が寝た」の表現に両手を合わせて右の頬にあて眠る仕草をしたのだ。これは「死んだ」をあらわす。慌てて、右手で握り拳を右耳に当てて眠る仕草をするも爆笑はとまらなかった。まあ 親父はすでに故人である許して頂くことにすた。
質問は我輩が行った山は誰でも入れるのか?と言うものであったが、多分誰でも入れたのではないか?と答えたが、それは子供の時の思い出だから多分そう思う?と付け加えた。
質問者はややがっかりしていたようだ。
現在はそのような誰でも自由に入れる山はない。
今はマツタケも高価で食べられないと再度付け加えた。
今年はベンさんからカナダ産の最高級のマツタケを送られた話も付け加えようとしたが、手話が難しくなりそうで残念ながら止めた。
未だ我輩の手話は自由自在とまではいっていない。
会員の方の中には子供の時の辛い思いを語られた方も居られ思わず胸を打たれた。
この「手話の会」に入会して未だ1年も経っていない方のたどたどしい手話による小学校の時の思い出はその手つきを見るのも辛かった。
然し手の動きを見なければ分からない。
でも、その真摯な、おそらく今まで誰にも語らなかったと思える、その言葉には心を打たれるものがある。
手話は我輩 同様に余り上手くなくても真剣に自分の思いを伝えようとする時はなにかしら伝わるものだと感じた。
何方にも楽しいことや人様にいえぬ事があるようだ。でも、それを真剣に聞いて頂ける方も多い。
だから人は生きていけるのかも?
休憩時間に「江ノ島の饅頭」がお土産に配られて一口頂く、ふと黒板の前を見ると今日の手話の課題担当者の綺麗な方がなにやら手話で喋って居られる。
「今 休憩時間だよ」会長さんの手話の言葉がでた。
「分かってるわよ~。でも、今 皆さんに配った饅頭は私が昨日“江ノ島”に行ってお土産に買ってきたのよ」
「その饅頭 一ヶ10円なの・・・それで10個入りを3箱買ってきたのよ」
「えッ 一個10円?」みんな驚く!みんなの笑顔もいい~
「そう一個10円! でも箱代が30円で三箱を買ったら千円で10円のお釣りがあったわよ」
皆さん自分の右のほっぺたに右手の手のひらを2~3度軽く当てる。“おいしい”という手話の表現である。そして水平にした左手の上で右手を縦にして2度上下さす。
(有難う)の表現である。
江ノ島にそんなお土産があったのか?
我輩もよく行くが何時も車です~ゥ と通過するのみだ。
やはり歩くのが一番か?
足の弱った、この“くそ爺”には取って置きの江ノ島饅頭の話だった。
江ノ島と言っても広い。お店の場所を聞くのを例によって忘れた。
まァ いいか!歩いて探そうっと・・・・。
2泊3日の予定である。検査の結果は特に
「今すぐに命に関わる危険はない」ということで一先ずは安心するも、
「日常 朝 起きた時の血圧を測って下さい」と言われ、今朝程 6時に計ると、未だ検査の後遺症があるのか(?)180~120-68(脈拍)と感心しない。
今まで自分が覚えている数値は大体130~80-50でありその数値は前後(+)(-)10くらいの変化であった。
家での血圧測定は朝の決まった時間で食事の前がいいと指示を受けた
カテーテル検査中の時には200mmを超えた時もあったとか?
それに昨年のステント挿入手術の時には、なんら痛みや苦しさも感じなかったのに今回はカテーテル検査中に呼吸が苦しくなるやら、胸に不快感が生じたり散々だった。
ただ、カテーテルの検査時間は何故か短く感じたものだ。
カテーテル検査のみでステントを装着しないぶんだけ短く感じたのかも?
今回の病室は前回と違って同じ病院の別の新しい新館の病棟で非常に綺麗な5人部屋でありトイレ、洗面所が傍にあり中々よい部屋だった。
それに前回 同様に看護婦さんの親切なことには驚かされる。
我輩の耳が聞こえないことを最初に届ける。
看護婦さんも、その所為か耳元で「囁かれる(?)」お陰で綺麗な看護婦さんの声がよく聞こえる。
然し、手話を習っている為か(?)つい手話で答えてしまう。
「有難うございました」と声を出して言えばよいものを、つい、左手の上に右手を立てて2度上下さす。手話の「有難う」である。
「胸は苦しくないですか?」と聞かれると、右手を胸の前で掌を返す仕草がでる
(そうではありません)。など、イロイロな場面で手話の仕草がでる。
耳が聞こえなくなると何故か喋ることがなくなる。別に声が出ないという訳ではないが何故か発声を忘れる。
手話の方が簡単な意思表示となることが多いからかな?とも思う。
交代の看護婦さんが挨拶に見えた時にも思わず、左の腕の握り拳のうえで右腕の握り拳を2度上下さす(お疲れ様である)。
暇な病室のベットでは、そ~ォと 指文字の練習をしている手話の初心者でもある。指文字は大体覚えてはいるが直ぐに忘れる。
朝、晩の挨拶も自然と手話でしてしまう。今思うのは手話を覚えるのも大切だが声が出ない訳ではない。もっと声を出しながら手話も交えようと思っている。
昨日の「手話の会」では問題が自分の生まれた県とその地で育った時の思い出を手話で語ろうというものだった。
我輩は広島市で育った子供の頃に父と共に車で2時間くらい走ったある山に行きマツタケを沢山取りその採ったマツタケを手で裂き、その場で、それを七厘で焼いて醤油をつけて腹いっぱい食べた思い出を手話で語った。
その時に親父はマツタケを魚に酒を飲みご機嫌よくその場に眠ってしまった。と言ったときに教室に爆笑が起こった。
なんと我輩は「親父が寝た」の表現に両手を合わせて右の頬にあて眠る仕草をしたのだ。これは「死んだ」をあらわす。慌てて、右手で握り拳を右耳に当てて眠る仕草をするも爆笑はとまらなかった。まあ 親父はすでに故人である許して頂くことにすた。
質問は我輩が行った山は誰でも入れるのか?と言うものであったが、多分誰でも入れたのではないか?と答えたが、それは子供の時の思い出だから多分そう思う?と付け加えた。
質問者はややがっかりしていたようだ。
現在はそのような誰でも自由に入れる山はない。
今はマツタケも高価で食べられないと再度付け加えた。
今年はベンさんからカナダ産の最高級のマツタケを送られた話も付け加えようとしたが、手話が難しくなりそうで残念ながら止めた。
未だ我輩の手話は自由自在とまではいっていない。
会員の方の中には子供の時の辛い思いを語られた方も居られ思わず胸を打たれた。
この「手話の会」に入会して未だ1年も経っていない方のたどたどしい手話による小学校の時の思い出はその手つきを見るのも辛かった。
然し手の動きを見なければ分からない。
でも、その真摯な、おそらく今まで誰にも語らなかったと思える、その言葉には心を打たれるものがある。
手話は我輩 同様に余り上手くなくても真剣に自分の思いを伝えようとする時はなにかしら伝わるものだと感じた。
何方にも楽しいことや人様にいえぬ事があるようだ。でも、それを真剣に聞いて頂ける方も多い。
だから人は生きていけるのかも?
休憩時間に「江ノ島の饅頭」がお土産に配られて一口頂く、ふと黒板の前を見ると今日の手話の課題担当者の綺麗な方がなにやら手話で喋って居られる。
「今 休憩時間だよ」会長さんの手話の言葉がでた。
「分かってるわよ~。でも、今 皆さんに配った饅頭は私が昨日“江ノ島”に行ってお土産に買ってきたのよ」
「その饅頭 一ヶ10円なの・・・それで10個入りを3箱買ってきたのよ」
「えッ 一個10円?」みんな驚く!みんなの笑顔もいい~
「そう一個10円! でも箱代が30円で三箱を買ったら千円で10円のお釣りがあったわよ」
皆さん自分の右のほっぺたに右手の手のひらを2~3度軽く当てる。“おいしい”という手話の表現である。そして水平にした左手の上で右手を縦にして2度上下さす。
(有難う)の表現である。
江ノ島にそんなお土産があったのか?
我輩もよく行くが何時も車です~ゥ と通過するのみだ。
やはり歩くのが一番か?
足の弱った、この“くそ爺”には取って置きの江ノ島饅頭の話だった。
江ノ島と言っても広い。お店の場所を聞くのを例によって忘れた。
まァ いいか!歩いて探そうっと・・・・。
血圧心配ですね。私は130~80代で安定しています。外遊びが良かったのでしょう。いよいよ雪、室内外の寒暖の差が激しく血圧に要注意の季節です。
血圧が急に不安定になり精神状態もおかしくなりました。(^^♪ 明日は太極拳です。
一応出かけるかな?と思っています。
今日は暖かく18度もあり駐車場に長く置いた車の中はサウナのようでした。
明日から寒くなる予報です。
でも です。
いまではわすれてしまったのですが。。
手話だったら、万国共通の言葉が出来るんじゃないかなと思ってたんでですが、手話にも外国語があるとか聞いて驚いた記憶があります。
趣味の太極拳が終わるとストレスが解放され血圧も正常になることを願っています。
旭川はいよいよ雪になりました。
TVでは鎌倉の自然と長谷寺の美観を映していました。素晴らしい光景のライトアップ、見たいですね。
今度、会の方に詳しく伺ってきます。私もその点は知りたい事項です。何時も気にはなって居た事です。
アジアでは?ヨーロッパでは?・・・と?
今(168-113-57)でした。午前4時半です。少しづつ
下がって来たようですが?判りません。
太極拳をやると血圧がどうなるのか?まだ実際に計ったことが無いので判りません。今度、携帯用血圧計を買って計って見ることにします。私も関心があります。医師の方からも、その指摘はありました。
鎌倉 いいですね!近頃は歩かないので折角の名所もTVで見るだけです。勿体ない気がします。
昨日は気温が高くて暑く太極拳の教室も日差しが強くて暑く長袖を着た私は途中で着替えましたが半袖を持って行かなかったため、またまた汗に塗れました。
太極拳は行かれたのでしょうか?
手話は、「歌の振り付け」でいくつか覚えているだけですが、思わず手話で答えてしまうosamuさんは、きっとまもなく日常会話程度なら身につけられてしまうことでしょう。
先日、大会で娘たちに会っていただいたそうですね!
娘たちやAさんからお聞きしました。
大会役員の方数名に、「4月から、デビューしま~す!」と宣言してきてしまいました。
がんばります。
お母さんもさぞかしと想像しました。対局が出来る日が待ち遠しいようです。
会場でAさんから紹介されました。
この寅さん顔では直ぐにお分かりの事とおもいます。
私は1勝1敗で午後に帰りました。お昼は途中のお店ですまし一人敗因を深く反省しました。
太極拳は教室に行きました。総合太極拳です。もう習い始めて1年くらいですか?大まかには憶えた心算ですが、あくまで心算です。今、細かい部分の手直しと言ったところです。