今朝 起きたのが遅く居間に入るとやや寒い。
暖房器の設定温度を見ると25度・・・暖房器の示す室温も25度。温風は出ていない。
部屋の少し高い場所にかけてある温室計では室温27度・湿度60% (午前6時)
庭に降りて寒暖計を見ると15度・・空は曇っていてお日様は雲の中?全く陽は射していない。なんとなく薄暗い感じを受ける。風はなく少し寒い。
こういう日をなんと言うのだろうね?花は咲いていないが「花曇り?」
真冬の寒い日は室内暖房機が25度に設定してあれば部屋で寒いなど感じなかったが今はそれが寒く感じる。周囲(自然環境)が暖かくなった所為だろうか?体感温度が狂う?
寒暖感度が敏感になった?いや 反対?に身体の対応が鈍くなった?
あれこれ考えても寒いことは寒く変わらない。
それでも花の国のプールに行き膝のリハビリをしてきたが、普段よく合う方に私から話しかけてみた。
十分に話が通じ彼女から私の歳を尋ねられ昭和7年生まれと言うと彼女は「私は5年ですよ」と言われビックリした。とても そのように見えない。我輩より2~3歳は若く見えるのだ。
ご主人は大正生まれと聞き再びビックリ・・・。
プールから上がりロビーで見た岩崎恭子さんの水泳講習会のお知らせ?
以前 水泳協会の集会で彼女の講演を聞き、その時 持参した色紙に彼女のサインを数枚戴いたことがある。
宛名に親戚の子の名前を入れてもらったのだが「名前の無いほうがよかった」と言われましたたね。
名前があると値打ちが下がるとか?
オマケに我輩が書いた名前の漢字が違っていたのだ。色紙を戴くのも難しい・・・。
お昼は我輩の誕生日ということで何時ものお店で食事をした。お決まりのお店ですが
何故か?美味しかったな~食後のアイスクリームがよかった?
帰宅後 ブログを書き始めて疲れたので昼寝をしようと部屋の隅を見ると??
昼寝の場所をカミさんに取られた。
家が狭いと奪い合いはトイレだけでない
80歳のぼやきである
庭の寒暖計は17度であった。(17時)
//////////////////////////////////////////////////////////
牧太郎の大きな声では言えないが…:名前で呼ばれたい (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/maki/news/20120327dde012070055000c.html 以下全文
学生時代の友人と東京・新橋の烏森の居酒屋で落ち合った。
「3月末で完全リタイアだ」
「何年居たんだ?」
「今の研究所か? 2度目の天下りだから……4年かな。本庁に入ったのが、お前と同じ昭和42(1967)年だから、役人生活45年! 感無量だ」
「研究所も役人生活と言うのかい?」
「本庁の外郭団体だから……新聞が高級官僚の天下り先!と書くから役所なんだろ(笑い)」
「まあ、やっと血税を吸うシロアリ役人にオサラバするんだから喜べよ(笑い)」
「あははっ……新聞社には天下りはないんだ?」
「少しはあるよ。系列の地方紙とか、スポーツ新聞とか、印刷会社とか……役員になると再就職先が用意されてる。だから、上役にゴマをすって役員になる人間もいる」
「それじゃ、役人の天下り批判なんてできないよな」
「また新聞批判? 役所と民間の新聞社は違う。でも……プロパーがトップになるのを妨げているという意味では褒められないけど……。寿命はドンドン長くなる。なのに再就職先が見つからない。厳しいのは役所も民間も同じだな……ビールの後、冷酒にする?」
「ところで、お前、なんて呼ばれているの?」
「職場で、かい? 左巻きタロウなんて言われていないよ」
「覚えているの? あの頃は“左巻き”が流行語だったなあ。お前さんを“オツムが弱い”なんて思っちゃいなかったよ」
「当たり前だ!(笑い) “牧さん”だな」
「役職では呼ばれないの?」
「一時、“編集長!”と言われたことはあったけど……」
「羨ましいな。役所では役職で呼ぶ。30歳後半から課長!部長!と呼ばれて……最後は審議官!だよ。あの当時の部下は、いまだに“審議官!”と呼ぶんだ。天下りしたら“所長!”だよ」
「役人社会は呼び名が上下関係なのか?」
「そうなんだ。それがイヤでイヤで……。名前を呼ばなかった仲間がリタイア後も、付き合ってくれるかな?」
「……」
名前で呼ばれたかった? 出世競争の先頭を走り、退職金は僕のウン倍。天下り先に恵まれ、それでも……。
“悩み”はどこにでもある。(専門編集委員)
毎日新聞 2012年3月27日 東京夕刊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
私の勤めていた会社でも役員になれば関連会社に再就職できたようだが?詳しいことは知らない。毎年の社員名簿で関連会社の名簿に いつの間にか役員だった方の名前が載っていて分かるくらいだった。
平社員は定年後は自分で探す必要があった。
今でも思い出すのは私が現場勤務の頃であった ある日 現場事務所に見知らぬ方が突然見えて
「キミィ~・・○○君はいるかね?」と現場所長の在所を聞かれたことだ。
「どなたでしょう?」と聴くと「△△だが所長は?」と親しげに聞かれる。
「今 出かけていませんが?」と答えると「キミ~イ わしは こういう者だが この現場でこの○○を使ってくれないかね~?」と一枚の名詞とカタログとを出して建材の説明を始められた。瞬間 相手が何者か分からず処置に困った。
兎に角 「その建材は私の担当ではなく所長には伝えておきますので?」と答えて またのお越しを願ってお引取りを願ったものだ。
なにやら ぶつぶつ言いながらも その方は帰られた。
あとで所長に報告すると「△△さん?ああ 昔 私が現場員だった頃の所長だよ」
「じゃ~大先輩ですね」
「う~ん 困ったもんだね 今度 見えたら適当に頼むよ」・・この言葉には驚き、また愕然ともした。同じ会社での人のつながりとは?こういうものだったのか?
若しも私が社を離れることがあっても「商売ではこの社には決して来ないぞ」と心に決めた一瞬でもあった。
退社後 元役員の方からのお話である会社に私も就職したが 私の能力不足で1年で その会社を退社した。以来 遊んでいる。フーテンである。
暖房器の設定温度を見ると25度・・・暖房器の示す室温も25度。温風は出ていない。
部屋の少し高い場所にかけてある温室計では室温27度・湿度60% (午前6時)
庭に降りて寒暖計を見ると15度・・空は曇っていてお日様は雲の中?全く陽は射していない。なんとなく薄暗い感じを受ける。風はなく少し寒い。
こういう日をなんと言うのだろうね?花は咲いていないが「花曇り?」
真冬の寒い日は室内暖房機が25度に設定してあれば部屋で寒いなど感じなかったが今はそれが寒く感じる。周囲(自然環境)が暖かくなった所為だろうか?体感温度が狂う?
寒暖感度が敏感になった?いや 反対?に身体の対応が鈍くなった?
あれこれ考えても寒いことは寒く変わらない。
それでも花の国のプールに行き膝のリハビリをしてきたが、普段よく合う方に私から話しかけてみた。
十分に話が通じ彼女から私の歳を尋ねられ昭和7年生まれと言うと彼女は「私は5年ですよ」と言われビックリした。とても そのように見えない。我輩より2~3歳は若く見えるのだ。
ご主人は大正生まれと聞き再びビックリ・・・。
プールから上がりロビーで見た岩崎恭子さんの水泳講習会のお知らせ?
以前 水泳協会の集会で彼女の講演を聞き、その時 持参した色紙に彼女のサインを数枚戴いたことがある。
宛名に親戚の子の名前を入れてもらったのだが「名前の無いほうがよかった」と言われましたたね。
名前があると値打ちが下がるとか?
オマケに我輩が書いた名前の漢字が違っていたのだ。色紙を戴くのも難しい・・・。
お昼は我輩の誕生日ということで何時ものお店で食事をした。お決まりのお店ですが
何故か?美味しかったな~食後のアイスクリームがよかった?
帰宅後 ブログを書き始めて疲れたので昼寝をしようと部屋の隅を見ると??
昼寝の場所をカミさんに取られた。
家が狭いと奪い合いはトイレだけでない
80歳のぼやきである
庭の寒暖計は17度であった。(17時)
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牧太郎の大きな声では言えないが…:名前で呼ばれたい (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/maki/news/20120327dde012070055000c.html 以下全文
学生時代の友人と東京・新橋の烏森の居酒屋で落ち合った。
「3月末で完全リタイアだ」
「何年居たんだ?」
「今の研究所か? 2度目の天下りだから……4年かな。本庁に入ったのが、お前と同じ昭和42(1967)年だから、役人生活45年! 感無量だ」
「研究所も役人生活と言うのかい?」
「本庁の外郭団体だから……新聞が高級官僚の天下り先!と書くから役所なんだろ(笑い)」
「まあ、やっと血税を吸うシロアリ役人にオサラバするんだから喜べよ(笑い)」
「あははっ……新聞社には天下りはないんだ?」
「少しはあるよ。系列の地方紙とか、スポーツ新聞とか、印刷会社とか……役員になると再就職先が用意されてる。だから、上役にゴマをすって役員になる人間もいる」
「それじゃ、役人の天下り批判なんてできないよな」
「また新聞批判? 役所と民間の新聞社は違う。でも……プロパーがトップになるのを妨げているという意味では褒められないけど……。寿命はドンドン長くなる。なのに再就職先が見つからない。厳しいのは役所も民間も同じだな……ビールの後、冷酒にする?」
「ところで、お前、なんて呼ばれているの?」
「職場で、かい? 左巻きタロウなんて言われていないよ」
「覚えているの? あの頃は“左巻き”が流行語だったなあ。お前さんを“オツムが弱い”なんて思っちゃいなかったよ」
「当たり前だ!(笑い) “牧さん”だな」
「役職では呼ばれないの?」
「一時、“編集長!”と言われたことはあったけど……」
「羨ましいな。役所では役職で呼ぶ。30歳後半から課長!部長!と呼ばれて……最後は審議官!だよ。あの当時の部下は、いまだに“審議官!”と呼ぶんだ。天下りしたら“所長!”だよ」
「役人社会は呼び名が上下関係なのか?」
「そうなんだ。それがイヤでイヤで……。名前を呼ばなかった仲間がリタイア後も、付き合ってくれるかな?」
「……」
名前で呼ばれたかった? 出世競争の先頭を走り、退職金は僕のウン倍。天下り先に恵まれ、それでも……。
“悩み”はどこにでもある。(専門編集委員)
毎日新聞 2012年3月27日 東京夕刊
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つぶやき
私の勤めていた会社でも役員になれば関連会社に再就職できたようだが?詳しいことは知らない。毎年の社員名簿で関連会社の名簿に いつの間にか役員だった方の名前が載っていて分かるくらいだった。
平社員は定年後は自分で探す必要があった。
今でも思い出すのは私が現場勤務の頃であった ある日 現場事務所に見知らぬ方が突然見えて
「キミィ~・・○○君はいるかね?」と現場所長の在所を聞かれたことだ。
「どなたでしょう?」と聴くと「△△だが所長は?」と親しげに聞かれる。
「今 出かけていませんが?」と答えると「キミ~イ わしは こういう者だが この現場でこの○○を使ってくれないかね~?」と一枚の名詞とカタログとを出して建材の説明を始められた。瞬間 相手が何者か分からず処置に困った。
兎に角 「その建材は私の担当ではなく所長には伝えておきますので?」と答えて またのお越しを願ってお引取りを願ったものだ。
なにやら ぶつぶつ言いながらも その方は帰られた。
あとで所長に報告すると「△△さん?ああ 昔 私が現場員だった頃の所長だよ」
「じゃ~大先輩ですね」
「う~ん 困ったもんだね 今度 見えたら適当に頼むよ」・・この言葉には驚き、また愕然ともした。同じ会社での人のつながりとは?こういうものだったのか?
若しも私が社を離れることがあっても「商売ではこの社には決して来ないぞ」と心に決めた一瞬でもあった。
退社後 元役員の方からのお話である会社に私も就職したが 私の能力不足で1年で その会社を退社した。以来 遊んでいる。フーテンである。
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