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憂楽帳:出発の春 毎日新聞 2013年03月15日 西部夕刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20130315ddg041070013000c.html 以下全文
憂楽帳:出発の春
毎日新聞 2013年03月15日 西部夕刊
春がきた。学生でも社会人でもない時期が長かった私にはゆううつな季節だ。人生の節目を迎えてウキウキした人々を尻目に、顔を伏せて歩いた日々を思い出す。
昨年100歳で亡くなった映画監督の新藤兼人さんは、「映画監督になりたい」という若者がいれば、やってみろ、と勧めるのを常としたという。
創造に富む華やかな仕事とはいえ、映画監督は不安定な職業である。「公務員などの堅実な仕事につけば」と再考を促すのが社会常識というものだろう。しかし、新藤さんは逆だった。
成功するか失敗するかは二の次、とにかく一度、情熱を傾けてみろ、と言うのである。「なりたいと思ったからとてなれるものでもない。やってみなければすべてわからないのである」とエッセー集「フィルムの裏側で」に書いている。
知り合いの40代の男性が地方公務員をやめる。有能な管理職だった。4月から、「漁師をやりながら、小説を書く」と言う。私は引き留めなかった。人生あっという間だから悩むひまはない。やってみなければすべてわからないのである。【米本浩二】
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つぶやき
↑ の記事にある「やりたいことをやる」など・・・当時の私はどうだったのかな?とさえ振り返る。今となりそんなことは考えたくもないが・・。
「やってみなければ分からん」・・・確かにそうだが?・・臆病な私は石橋を叩いて渡った。
それでも昭和60年代の激動の社会の変動に勤めたいた会社は多額の借入金の元に事業は縮小・・今は年間売り上げ3000億くらい?以前はよくHPをみていたが最近は見たことがない。
10年一昔・・・もうフタ昔も過ぎた。
それでも以前の仕事はよく聞かれる。適当に建築技術屋だったと答えているが・・・。
ときにホントに建築技術屋だったのかな?と自分で疑問に思う時もある。
一ついえることは入社当時は無我夢中だった。気が付けばデスク・ワークになっていた。
勤務していた頃の会社(船)はシッカリした大きな船だと思っていたが下船して周囲が初めて見えた。
周り(社会)の船と比べると自分の乗っていた船が余りに小さいのに絶句した思いが強かった。
船内に居ると外界(外海)が見えないし見る必要も感じなかった。
船長を信じ切っていた。
終身雇用制が定着していてその上に胡坐をかいていたようだ。
現在の社会では通用しない制度だったのでは?
勤めていたころ知り合いの息子さんが大学の建築科に入りオヤジさんは喜んでいたが1年か?2年後のある日 浮かぬ顔をして言った。
「息子がシェフになりたいと言ってフランスに行った」・・・・その後は聞いていない・・・
もう 30数年も前のことである。どうなったのかな~
今朝の気温は12度 然しそれ程 寒気は感じない。風がない所為か?
既に陽は高く庭には陽射しが強く陽に当たる頬が温かく感じられる。(午前7時)
追記 ↓
質問なるほドリ:TPPって何が目的なの?=回答・小倉祥徳 毎日新聞 2013年02月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20130224ddm003070099000c.html
人生の節目、・・・・・・。
詳しい説明から、伝わってきました。
昨年100歳で亡くなった映画監督の新藤兼人さんの話、・・・・・・。
惹かれました。
お知り合いの40代の男性が地方公務員をやめ、「漁師をやりながら、小説を書く」と、・・・・・・。
知り合いの息子さんが大学の建築科に入り、・・・・・・。
「息子がシェフになりたいと言ってフランスに行った」とか、・・・・・・。
結局、やりたいことに、チャレンジされたかったのですね。
悔いのないように、・・・・・・。
osamuさんの人生も、・・・・・・。
ご紹介、ありがとうございました。
昨日も、嬉しいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、深謝、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
私の人生って自分でもよく分からないようです。今は後期高齢者?いや~既に末期高齢者?自分の死も考えなければいけない時期が来ました。チューブ人間だけはなりたくないですね。 尊厳死の本も出ています。今 読みかけていますが・・・中々読み進みません。未練??