東京新聞9月23日「小川勝の直言タックル」の記事で、「五輪と愛国主義」の表題で大変興味深い記事がありました。
1904年の第3回セントルイス大会まで選手は国の代表ではなく個人や所属チームの資格で参加していた。ー略ークーベルタンは五輪は国と国の競争ではなく個人の資格において参加するものだと考えていた。52年から72年まで会長を務めていたブランデージはIOC総会で再三表彰式の国家をファンファーレ変える提案をしていた。ー略ーモスクワ五輪のときには表彰式で五輪旗を掲げた選手がいた。ー略ー国がメダル獲得の目標をやってはならないことだ、。我々に出来ることは「予想」であって、目標を決めるkとができるのは結局のところ選手だけである。
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