いつごろからか、野根山街道と称されている街道があります。奈半利町から東へ向かって野根山山系の尾根道を伝い、東洋町の野根に至る35KMの道です。
養老年間には官道として記録に登場していることからも、1200年以上の歴史がある古道なのです。もちろんこの古道が1200年以上も同じルートであったかどうかもわかりませんが、中芸地域から野根に至る山越えの道であったのです。
官道でしたから、官人・公人の通路であったのですが、長宗我部軍の四国制覇への軍略路でもありましたし、山内一豊の土佐入国の道で、さらに中岡慎太郎の脱藩の道でもありました。
現在の高知県の東部地域にとって、野根山街道は歴史の奥方に埋まってしまった道なのですが、時々遊歩道として利用する方々もいるようです。
私も何度か歩いてみましたが、運動不足の肉体はすぐに悲鳴を上げ始め、喉は乾いて情けないことになりました。しかしながら圧倒的な自然は、気力を高めてくれ、目標距離を歩きとおしたものです。
長い歴史の中に多くの伝説・逸話等、このままウもらせるにはもったいないような「お話」がありますから、少しずつ書いてみたいと思います。
街道は人・物の移動はもちろんですが、文化も運ばれてきたのです。
どこまで書けるかわかりませんが、視点をたくさん用意して書いてみようと思います。
養老年間には官道として記録に登場していることからも、1200年以上の歴史がある古道なのです。もちろんこの古道が1200年以上も同じルートであったかどうかもわかりませんが、中芸地域から野根に至る山越えの道であったのです。
官道でしたから、官人・公人の通路であったのですが、長宗我部軍の四国制覇への軍略路でもありましたし、山内一豊の土佐入国の道で、さらに中岡慎太郎の脱藩の道でもありました。
現在の高知県の東部地域にとって、野根山街道は歴史の奥方に埋まってしまった道なのですが、時々遊歩道として利用する方々もいるようです。
私も何度か歩いてみましたが、運動不足の肉体はすぐに悲鳴を上げ始め、喉は乾いて情けないことになりました。しかしながら圧倒的な自然は、気力を高めてくれ、目標距離を歩きとおしたものです。
長い歴史の中に多くの伝説・逸話等、このままウもらせるにはもったいないような「お話」がありますから、少しずつ書いてみたいと思います。
街道は人・物の移動はもちろんですが、文化も運ばれてきたのです。
どこまで書けるかわかりませんが、視点をたくさん用意して書いてみようと思います。