「私の中の障碍」と言うタイトルの記事の中にも書きましたが、私は学生時代に下記のようなスピーチを作成しました。
身体能力や思考回路、頑固さや頭の回転の速さなど、社会の中で生きていきにくくなる身体的、心理的、精神的、頭脳的要因は誰にでもあって、それはその人にとっては(法的に認定されていなくても)障碍である。
健常者として生活している人たちの、生きにくさの一つ一つを認識(要はいろんな人がいるんだよっていうことを理解しようということ)することで、お互いの特徴を受け入れてよりよい社会を作りましょう。
このスピーチは私が私自身を全くの「健常者」だと思って実体験をもとに書いたものなのだけど、最近私は自分自身が発達障害なのではないかと言う認識を強くしていて、そもそも私は障害者なのだから私がこのスピーチを作った事自体が根本的におかしいんだなと気付きました。
他の人が当たり前にできていることができなくて、ずっと「なんでだろう」と思い続けていた事が、まさか「障害」だなんて思いもしませんでした。
自分で言うのもなんですが、私は学校の成績も良かったですし、人よりも物事の理解が良くできる方でした。
それなのに一般社会でなんとなく「やりにくさ」を感じていたのは、私が他の人とは違かったからなんですよね。
発達障害の診断をしてみて、ものすごく納得しました。
そして少し楽にもなりました。
自分自身が何者なのか分かった気がしますし、それを受け入れて、寄り添って生きて行こうと思いました。
よくよく考えると母もそんな感じがする人なので、もしかしたら娘にも遺伝しているかもしれません。
私は自分が通ってきた道を知っていますから、娘の欠陥にもうまく付き合って行けると思います。
こういう事を知ることができて、インターネットがあって本当によかったと思いました。