春の日の花と輝く

中小企業で働く女性の日記です。
ぼんやり子づくり→治療開始→なんとか出産

お知らせ

「独身実家暮らし会社員のしせいかつ」はタイトル変更しました。

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【ネタバレ】『贖罪』(上/下)(イアン・マキューアン)

2008年08月30日 21時52分55秒 | 読書感想文
 いつも空想の中にいるような夢見がちな妹が誤解から姉の恋人を告発し、彼は犯罪者となる。姉は家族を捨てて家を出る。恋人は出所後兵隊となり、孤独なまま戦地へ赴く。

 大人になり小説家となった妹の視点から、60年という長い期間を描く物語。

 mixiのレビューを見ていたら、前半(上巻?)が読みにくいという感想が多かったけど、上巻の細やかな心理描写が醸し出す繊細な雰囲気に私は恍惚となった。

 思い込みが引き起こす過ちと、保身に走るあまり他人を犯罪者に仕立て上げる傲慢、過ちを犯した他者を許せない人間の頑なさには鳥肌が立つ。

 人間が犯しがちな過ちがぎっしりと詰まっていて、とてもリアルだ。

 そして、最後はとても救われない。

 今年の四月から日本でも映画版が公開されていたようで…。出会うのがちょっと遅かった模様。

 結構好きなタイプの小説だったので、アマゾンでマキューアンの小説を大人買いしましたよ。初期の作品から読んでいるけど、『贖罪』とはだいぶ毛色が違っていて面白い。

東京湾周遊

2008年08月30日 21時28分15秒 | 日記

 総武快速から横須賀船に乗り入れて、終点の久里浜まで行き、東京湾フェリーで千葉県の金谷港へ。そこから内房線に乗り、千葉駅で総武線に戻りました。

 毎日総武快速で通勤していたら、どうしても終点まで行きたくなった。 この2週間、仕事がきつかったので電車に乗って旅がしたかった。

 総武快速沿線は横浜や鎌倉など、魅力的なスポットが多くて、途中下車したい誘惑にかられたけれど、今回は終点まで行くと決めていたので久里浜までノンストップで行きました。

 ビールを飲みながら行きたかったけど、さすがに電車内で一人缶ビールを傾ける勇気はなく、銀座カクテルを持って乗車。最寄駅から久里浜まで1時間半近くかかるので、退屈するかとおもったけど、景色を見ていたらあっと言う間でした。

 久里浜駅前からバスに乗って東京湾フェリー港へ。



 食堂で溜まり醤油をベースにした美味しくない「黒船ラーメン」を食べて、乗船。



 船内では氷結レモンを飲みました。

 東京湾フェリーはガラガラで、カップルの姿はあまりなく、若い同性のコンビやグループ、子連れ夫婦が多い。…誰も酒なんか飲んでやしねえ。



 フェリーから横浜港や東京港が見えるかと思ったけど、広い東京湾の外側を通る航路からはまったく見えなかった。仕事がきついと言いながら、ガントリークレーンを探している自分が変な感じ。

 金谷港について、お土産屋さんで干物を買おうとしたら、今日は盆踊りのため早々に店じまいしていました。そういえば昔、体育の日に保田に行ったら旅館から何から全部運動会のため休んでいたことがあったけど、スローライフな土地柄のようです。

 やることがないのでちょっと海を眺めてから内房線に乗ろうとしたら、一時間以上電車が来ないことが発覚。来る客来る客みんなが電車の本数の少なさを嘆いていた。

 駅前の売店で昼寝している猫を撮影したり、港に戻ったりして時間をつぶした。



 内房線は(も?)ガラガラ。



 お酒も回っていたので、ちょっと寝たり景色を眺めたりしたものの、千葉駅までは長かった!!いやー千葉って広いのね。

 総武線に乗り換えてから、船橋で途中下車してデパートやらロフトやら冷やかして帰りました。

 朝10時から19時半くらいまでの旅でした。

 今度は横須賀船途中下車の旅をしよう。


東京湾

2008年08月23日 22時21分53秒 | 日記
 東京湾、という言葉はかなり小さい頃に覚えたはずだ。けれども、東京に海があるという事実が体になじむことはなかった。

 4月に再就職をして、職場が海の近くになった。
 就職した業界がちょっとだけ海に関係していた。
 2週間ほど前に自転車を衝動買いして、湾岸を何度か走った。

 四半世紀以上東京に住んでいるのにちっともわかなかった東京湾への親しみが、この数カ月で鰻のぼりに上がっている。

 橋って美しい。
 海沿いにそびえ立つ、何に使うかわからない重機ってカッコいい。
 海は広い。

 こんなに素晴らしいものたちが、今まで見えていなかったなんて。

 文字通り地獄の一週間を終えて、今日は思いっきり走りたかったけど、残念ながら雨。勝鬨橋と豊洲をちょっと走って帰ってきました。

買っちゃった

2008年08月17日 21時39分58秒 | 買い物

  

 ボディショップのホワイトムスクシリーズ、オードトワレとボディーローションをネットで買ってしまいました。

 昔知人がつけていたんだけど、とても好きな香りです。

 今週の金曜日の夜に届く予定。

 今週は、私の教育担当をしている人が火曜日から夏期休暇を取るため、その人が持っている結構重い仕事を引き継がなければならないうえに、同じチーム(チームは4人制)の別の人が手術のため水曜日にお休みをするので、その人の仕事(これまた結構重い)もしなければならない。

 本当にシャレじゃなく重いので、手術をする人は「手術が終わってから歩けたら会社に来る」とかいうビックリ発言をする始末。

 …そんなことをさせるわけにはいかないので、気合いを入れて頑張ります。

 そして金曜日の夜にはホワイトムスクの香りに満たされて熟睡してやります!


記憶のコマンド

2008年08月16日 22時35分03秒 | 日記
 なんとなく気になる人もできつつ、過去の嫌な記憶は払拭されただろうかと、忘れたい記憶とは切っても切れない曲ばかりが詰ったCDを聴いてみた。

 何度となく実行された「消去」というコマンドは頼りなくて、フラッシュバックによって、ある日突然記憶のリカバリが行われることがある。

 やっぱり一番強いコマンドは「上書き」。

 進展のない恋愛感情でも、記憶は多少上書きされたようで、歌を聴いて涙を流す羽目には陥らずに済んだ。

あの青春の輝きがこの頃は憎たらしかった

2008年08月15日 22時47分08秒 | 日記
 学生時代に所属していた部活の後輩から、OB/OGが部活に対して持っている熱い思いを文章に書いて欲しいという依頼が来た。

 学生時代は勉強も家庭も顧みずに熱く部活に燃えていた私だけれど、卒業して五年、何の感慨も浮かばない。

 あまりにも社会(会社)にどっぷりと漬かってしまっていて、あまつさえその状態を「楽しい」と感じている。いまさら過去には戻れないのだ。

 私が所属していた部活は学術的な活動を主に行っていて、そこから研究の世界へ旅立っていくOB/OGは少なくない(むしろ多い)。でも、私は対極にいる。

 私の人生は部活を通して大きく変わったけれども、2年前に体験した世紀の大失恋(大袈裟)は、もっと大きな転機を私にもたらした。

 人生ってわからないものだ。今、私が後輩に言えるのはただそれだけ。

ギャンブル

2008年08月12日 21時41分39秒 | 日記
 就業時間中の電話で事務的な要件しか話さない相手の心を揺すぶりたい衝動に駆られた。

 「…なんで…なんで…」と繰り返した単語の間に、相手の緊張を感じて一日満足していた。

 途中から相手の反撃があったような気がするけど、どう返したかあんまり覚えていない。

 カッコ良くないな。

 相手のことをよく知りもしないのに、こんなことしてどんな展開になるんだか。

写真

2008年08月10日 00時00分09秒 | 日記
 家の近所の土手に、サイクリングロードだかジョギングロードだかが整備されているのをふと思い出し、ママチャリに乗って河口までの片道4キロサイクリングに出発した。

 サンデーサイクルライダーやサンデーランナーが結構たくさんいる中、ママチャリはやや浮気味だったものの、玉の汗をかきながら風を切るのが気持ちよかった。

 「河口」と書かれた看板の500メートルほど先で行き止まりとなっていたけど、まだまだ海は遠い感じがした。

 コンクリートで固められた河川敷(河口より海寄りだから河川敷とは言わないのか?)では、走るのをやめて一人水に向かっている人がたくさんいた。河口にでたら写真を撮ろうとおもっていたけど、あまりにも気持ちよくてカメラを出す気にはならなかった。

 夜は大学の先輩の結婚パーティに出席。
 結婚するなんて思ってなかった個性的な先輩は、留学中にあっさり恋に落ちて早々に入籍してしまった。
 文章にするのは難しいのだけど、私が今まで見た中で、一番うらやましいカップルとなった。
 写真なんか撮る気になれなかった。

 いい写真を撮ってみたいという気持ちはあるのだけど、カメラを持つことによってさえぎられる感情の流れを思うと、写真を撮れない事だらけになる。

「昔、消防署があった通りですね」

2008年08月05日 23時26分18秒 | 日記
 消防署がなくなったのは15年以上も前だ。

 私の家は幹線道路から少し離れて入り組んだ場所にあるため、タクシーで帰る時に道の説明をするのにちょっと困る。
 苦労して説明をしたあと、タイトルのセリフを言われることがとても多い。

 そう、そう言ってしまえば簡単。「昔、消防署があった通りです」。

 でも15年前という現実が、私にその説明を憚らせる。

 はたしてこの人は、かつてその通りに消防署があったことを知っているだろうか、と。

 15年という時の長さがどんなものかを考える瞬間。