マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

柏崎の情報

2009年11月10日 09時21分46秒 | 小説
先日、原発が話題となったとき、柏崎原発を思い出した。柏崎といえば例の地震で大変な目にあったところである。そこにあるピストンリングの工場、リケンが製品を出荷できないため、日本中の自動車会社の生産がストップしたという。それほどこの会社のシュアは圧倒的なのである。
ところでこの理研というのは大河内正敏が作った会社で、WIKIに寄れば「旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。のち旧三河吉田藩の子爵大河内家の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。学習院初等科時代は、大正天皇の御学友であった。第一高等中学校を経て、東京帝国大学工学部造兵学科に入学。」ということで、なかなか奥の深い人なのだ。
Goldwarriorsに角栄が登場するが、彼を金持ちに育て上げたのは実はこの大河内氏である。
終戦末期、角栄は大河内の指令で韓国へ渡り、ピストンリングの工場を作るはずであった。工場建設の代金を朝鮮銀行で金塊に変えた後、工場を作る直前に終戦になった。そして帰国したが、混乱の中その金は返す必要がなくなってしまったのである。つまり丸儲け!だったんだ。
その金を自民党に寄付し、彼は代議士になったのである。
以前、角栄はサンカだといったが、まさに大河内氏は大江山衆の親分衆であり、角栄が大江山衆だったとは思いませんか?私はそう考えている。つまり、小沢氏はその一番弟子である。当然ながら、彼も・・・・・。

さて、以前、大本教を検索していて面白いHPにであった。
「新潟県柏崎市(正確には柏崎市刈羽郡荒濱村)と言えば創価学会の初代会長、牧口常三郎の出生地だが、この常三郎とココでは何かと話題に挙がった京都の大本の上田喜三郎(後の出口王仁三郎聖師)が腹違いの兄弟だという説がある。(w」
って話し。
まあ、この常三郎は留置場で死に、戦後に改めて出来た創価学会との関係は不明だが、ここら辺に大本教と創価の接点があるのだ。
ネットでアンチ創価を叫ぶ方々、よく調べてくださいね。それを知らずにアンチ創価を叫ぶ右翼は天にツバかもしれませんよ。もちろん私は宗教に興味はないのでほめも批判もしませんが。

また、以前、光秀と天海を調べていて、久能山東照宮と日光東照宮、上野寛永寺、世良田の東照宮などを結び、ダビデの紋章を書いたことがある。なぜかその頂点のひとつに柏崎だったのだ。(戸隠神社も線上に乗ってくる)

今日は何の結論もないけど、新潟の柏崎にこれだけの情報が出てくるのは偶然ではない。つまりここは何かの歴史が始まった場所だと解釈してもいいのではないかな。
大河内氏をもう少し調べる必要がある。