マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

野中さんを見直してしまう

2009年11月21日 10時29分42秒 | ひとりごと
今日は土曜日、あと半日働けば連休だ、やれやれ、お祭りのおかげで休みなし営業だった。少々お疲れ気味・・・・。さっきDVDの「ラストエンペラー」が着いたから、明日はゆっくりそれを見よう。そして、その原作である「紫禁城のたそがれ・・・(上下巻)」も読みたいし・・・・。連休は助かるな。

さて、昨日、どこかのサイトでほめてあった「差別と日本人」(野中広務・辛淑玉の対談)角川・税別724円・・・とは、在日とは、なぜ差別は続くのか? という帯の付いた本を買ってきてもらい、早速読むことにした。
内容はまだ途中なので後日にするが、正直を言うと、私は、この野中さんや、鈴木宗男、綿貫、亀井・・・みんな自民党時代は非常に嫌いな政治家たちだった。強持てで、権力を振りかざし、彼ら自体が国家権力そのもののように見えたものである。しかし、現在では鈴木氏や亀井氏などは表情も穏やかで、発言も実に的確に思え、あの頃のあの人たちは一体なんだったんだろうと考え込んでしまうのである。
野中さんも今、この本で説明を受けてみると、やはりマスコミが描いていた野中像とははっきり違っている。なぜ彼は小泉に引導を渡され、政界から引退する羽目になったのかはわからないが、少なくとも鈴木・野中の両巨頭がいる限り、一連の小泉改悪がやりにくかったことだけは間違いない。つまり、抵抗勢力が正しい人たちとは言わないが、自民党の良識でもあったのだろう。

さて、差別の代表である在日とという、タブーの真っ只中にいる二人の遠慮のない対談は、まさに日本人が一度は読んでおくべき重大な示唆を含んでいる。
私を在日と決め付けブログでレッテル貼りをする人もいるが、私は別になんとも思わない。私がそれを否定すれば相手の思う壺だし、論評すること自体、差別を生み出しかねない。
そのレッテルを貼った人も、そしてそれを読んでそう決め付ける人も、今に自分の心に潜む差別願望に気づき寂しい思いをするに違いないのだ。人にレッテルを貼り、自分はそうではないと優越感に浸るのだろうか、誠に寂しい根性である。

私は子供の頃から腕白坊主で、いつも生傷が絶えない問題児だった。しかし、我々の子供時代、弱いものいじめは絶対にしてはならないといわれて育った。「強きをくじき、弱きを助ける」のが男なのだ。日本は、少なくとも昭和の時代は、大きいものは節度を守り、弱きものに配慮する国だった気がする。自分たちの領域を定め、細かいことは小さな会社に残してくれたのである。
ライオンですら満腹になれば敵を襲わないし、他の動物達に少しは獲物を残しておいてくれるのだ。現代の弱肉強食時代は、まさに野獣のようといえば野獣が怒り出すほど弱いものいじめがひどい。親の総取りはだめだよ・・・・・。

「日本軍に入った朝鮮人が、一度も日本の土地を踏んだこともないのに、シベリアへ抑留され、興安丸に乗せられ舞鶴に着いたとき、功労のあった日本軍人として待遇されると思ったら国籍条項でその待遇には何の裏づけもなかった。」
同じ条件の日本人は恩給として8千万ぐらいはもらえただろうという。

こんな話がいっぱい詰まった本なので、あまり楽しくはないが、日頃から差別発言のお好きな人たちにぜひ読んでいただき、反省を促すものであります。それにしても野中さんという人を見直してしまった。