マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

誰がチェックするの?

2010年08月20日 09時38分20秒 | ひとりごと
今日のニュースを見て恐れていたことが始まりつつあることに気づいたのは私だけではあるまい。
まずはニュースから。

「提供の臓器摘出、各地に搬送へ 移植終了は20日午前

 書面による臓器提供の意思表示がなく、家族の承諾で脳死と判定された男性からの臓器摘出手術が19日午後、男性が入院していた近畿地方の病院で行われた。
 摘出された臓器は各地の移植施設に順次搬送。心臓は東京大病院で40代の男性、両方の肺は大阪大病院で20代の男性、肝臓は京都大病院で40代の男性、片方の腎臓は神戸大病院で60代の男性、もう片方と膵臓は名古屋第二赤十字病院で30代の女性に、それぞれ移植される予定。
 日本臓器移植ネットワークによると、各施設での移植手術は臓器が到着し次第開始され、すべて終了するのは20日午前になるとみられる。
 今月9日に、臓器移植法の改正後初めて家族の承諾のみで脳死と判定された関東地方の男性は事前に家族に口頭で提供意思を伝えていたのに対し、今回の男性は、本人の意思が完全に不明で脳死判定と臓器摘出が行われる初めてのケース。」(引用以上)

このニュースでは家族の希望で、脳死した?男性の年齢、死因、病院等の情報は公表されていない。誰も何もわからない。臓器移植ネットワークの人たちが記者会見しなければ、まったくその事実さえ知ることはない。
これが党議拘束なしで採決された新しい臓器移植法案の真髄だったのである。みんな法案の中身を知っていて賛成したのだろうか。

これを認めると、あとは歯止めはかけようがない。現在はいちいち記者会見が行われるが、徐々に新聞にも載らなくなり、平然と当たり前にすべてが秘密のうちに移植が行われるようになるのではないか。
本人の意思が確認できなくとも、極端な話し、金で家族が買収されることも十分にありえるだろう。最低でも何らかの第三者が、脳死の判定が妥当だったかどうか、そして家族が本当に同意したのかの確認が必要なのではないのか。

日本の医療は越してはいけない川を越えてしまったような気がする。

私は人間の実体は脳ではなく腸にあると考えている。脳死が人間の死であるという定義は単に医師の方便で、脳死と判定された人も実は腹を立てているかもしれない。痛いよ、痛いよと悲鳴を上げながら、はらわたが煮えくり返っていても表現できないだけかもしれないではないか。もし、私の考えが正しければ、移植手術は立派な殺人である。医師たちは合法的に殺人を行っていることになる。私は脳死を以って死と判定することには反対する。心臓が停止したのを以って人間が死んだものと認めるものである。
本人が同意したなら他人がとやかく言う必要はないかもしれないが、人間には安らかに死ぬ権利があるのではないだろうか。家族にそれを妨げる権利があるとは思えない。