マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

靖国参拝についての雑感

2010年08月18日 20時50分37秒 | ひとりごと
開き直ったと考えていただいても良い。多くの読者に訪問いただいているこのブログは、やはりある程度八方美人的にならざるを得ない。(どこが?といわれそうだけど、これでも遠慮しながら書いてきたのですよ・・・)
しかし、読者の顔を思い描きながら記事を書くことがどうも自分の本意ではないと思うのだ。たとえ批判を受けようが、多少の間違いがあろうが、その時の自分の思った事を素直に書くほうが自分らしい。
私はそれほど堅固な思想を持つものではない、その証拠に最初のブログから時系列でたどっていただければ、かなり考え方が変わってきているし、ぶれたと取られてもしかたがないところもある。それは人間だからしかたがない。それで私から離れる人もいれば、近づく人もいる。人間なんてそんなものだ。
こっちは賛成するが、そこだけは認めない?それで十分でしょう。普通はそうでしょう。100%一致する方がおかしいのですよ。

そんな中で、靖国問題は私自身、大いに悩んできた問題なのである。何度か書いたかもしれないが、いまだに一貫した考えには到達していない。
今日は、今日の時点での私の靖国に対する考え方を述べよう。色々な考え方があると思うし、それはそれでいいじゃないか、1億人の住む日本である。一億の考えがあっても良い。私は人の考え方を否定するつもりはない。ただ、自分としての考えを書いておく必要があると思い、ここに記す。皆さんの考えはコメントでいただければ幸いである。私は自分の考えが絶対だなんて思わない。だから皆様も自分なりの考えを一度考えてみたらいかがだろうか。

靖国神社に関してはずいぶん長いこと考えてきた。神社に参拝することは自由だし、それに対し中国や韓国からとやかく言われることに抵抗があった。しかし、小泉首相のように、わざと相手を挑発する意図を持って参拝する姿にはさすがに違和感を覚えた。これは相手を怒らせるためのやらせなのだと・・・。

この問題は、要はA級戦犯を合祀している靖国に参拝することは、多少の拡大解釈が入るが、サンフランシスコ条約をどのように考えるかという事であり、さらには東京裁判を認めないという意味になる事を忘れてはいけない。
そのような問題にしてしまったのはマスコミであるし、ある種の団体の意図的なプロパガンダである事はいうまでもない。しかし、現実にはそのようになってしまっているのだ。靖国神社がそれを望んだのか、望まなかったのかは私には判断はできない。

東京裁判に関して言えば、戦勝国が敗戦国を裁くことがいいのか悪いのか、そして戦犯で裁かれた人たちが本当に犯罪者だったのかどうか、異論が多いことは事実であるし、私も大いに不満が残る。
しかしながら、東京裁判を日本国は受け入れ、それを前提にサンフランシスコ条約が発効したのである。これによって日本は対外的な補償を免れたのである。この事実を認識しないことには何も進まないのだ。

このことをふまえると、中国、韓国が靖国問題で騒ぐのは、日本はサンフランシスコ条約を破棄する度胸があるのか?という事に尽きる。
もう一度日本の戦争犯罪を洗いなおし、天皇の戦争責任を問い、改めて東京裁判をやり直したいのか?という事なのである。
それを私は大いに歓迎する。しかし、そんなことが出来るはずなかろう。個人が、あるいは団体が、東京裁判は間違いである、無効であると騒ぐのは自由だし、私もそれには賛成である。しかし、国家としてそれをいう事は国際信義の問題になるはずである。

いまさら政府が本気になって第二次大戦の洗い直しをやるはずがない。もちろん、今なら少なくなったとはいえ、証人も証言も得られるだろうが、多くの人はそれを望まないはずである。

国家として、第二次大戦の結果としての東京裁判を受け入れた。今さらご破算には出来ない以上、サンフランシスコ条約を受け入れた事実を受け入れ進むしかないではないか。
内閣閣僚としての立場は国家を代表する立場である。この場合、個人の信条は関係ないのだ。靖国に参拝したければ閣僚を辞任して参拝するか、もしくは国際紛争になっても構わないという覚悟が必要になる。
菅内閣の閣僚が参拝しなかったことは妥当だし、反日工作員に付け入る隙を与えないという意味においてよかったと判断している。

もう一度言うが、私は東京裁判は無効だと思うし、やり直しが出来るものならやり直しして欲しい。しかし、その裁判を国家として受け入れたのだからもはや勝負あったなのではないのか。
日本国民としてはその時の内閣、そして閣僚達に文句を言うべきだが、今さら世界に対しては通らない理屈である。もちろんそうなれば、もう一度天皇の戦争責任に触れざるをえない。その覚悟があるのか?

筋論としても、天皇のために戦死したもののみを祀る神社である。靖国と国家に関連があるのかないのか、そして宮司が独断で合祀してよかったかどうか、そしてそれをことさら国際問題にしようとしたのは誰なのか?多くの問題があるのだが、天皇が参拝しない以上、この神社に祀られる意味がどれほどあるのかは私は疑問なのである。天皇を神とした神国日本が国民に、死んだら靖国で神として祀ると約束した。つまり、参拝すべきなのは天皇であり、閣僚ではない。

結論です。靖国に閣僚が参拝すべきだと主張する人は天皇の戦争責任を明らかにすべきだとする反天皇側の人間で、つまり左翼である。少なくとも閣僚は参拝すべきでないという主張をする人は天皇の立場を擁護する、いわゆる右翼の人間である。したがって、外宣車で東京裁判を無効だと主張しているのは右翼ではなく左翼であり、革新派に違いない。

私は事なかれ主義なので、いまさら天皇の戦争責任を問うのは止めて、アジア全体の平和を推進するため、天皇に王道を極めて欲しいと思っていますよ。なんといっても正当派の右翼ですから。

製麺機が壊れたよ・・・

2010年08月18日 20時09分19秒 | ひとりごと
来週の月曜日にうどん屋を新装オープンさせる予定である。別にいつでも構わないのだが、少しゆとりを持とうかなと考えたのである。
時間はたっぷりあるので今までなかなかできなかったレジの設定変更、食器の整理、うどん汁の味付けの変更、そして新しい備品の購入などなど、やることはいくらでもある。そんな中で昨日はお遊びできしめんを作ろうと思った。そして4.25kgだから、約40人分のうどん粉を練ることにした。(遊びにしては多いけども・・・、まあ、みんなに配ればいいや・・・と思ったんだけどね。)
お盆中休んでいたので久しぶりのコネ作業だった。気温は35度、塩度は17度、塩分が多いので加水率は約50%で・・・、とやりながら製麺機を眺めたら、やや!コンベアーベルトが破れているではないか。このコンベアーは薄く延ばした小麦粉をカッターに送る役目がある。うーん、困った。機械のメーカーは四国の香川にある。すぐに電話したがあいにく名古屋には駐在員はいない。大阪から派遣するという。まあ、たまたま時間はあるのでそれほど切迫するわけではない。オープンには十分に間に合う。しかし、当日練ったうどん粉を麺線にできない。実はチャコさんからおいしいきしめんが欲しいと言われていて、この際、完璧なきしめんを作るつもりだった。
コンベアーなしでも何とかなるのではないかという事で、無理矢理ローラーに押し込み作り始めた。結果は散々だった。きしめんあり、うどんあり、ひや麦ありと、あらゆる太さのうどんができてしまった。仕方がないのできしめん部分とうどん部分はチャコさんに送り、出来損ないを我が家の夕食にした。
今回のうどんはほとんど熟成させていないため、ゆでても透明感のない真っ白なうどんである。実はこれがおいしいのだよ、チャコさん。形は悪いけど、ゆでるとおいしいから、我慢して食べてね。

そんなことで、本日は修理に来てもらった。写真はわが麺打ち工房です。
修理業者は機械を見て呆然としている。「えー、どうしたんですか?」
「ええっと、この機械の製造年月日は?・・・平成11年ですよね・・・、10年経ってますよね・・・、えー?どうしてこんなにきれいなんですか?」
「そりゃあ、大事な機械ですから磨いてますよ。皆さんそんなに汚いですか?」
「10年使われて、こんなきれいな機械は見たことないですよ。まるで本社のショールームみたいですよ・・、よそは汚いですよ。カビだらけ、錆びだらけです。」、「いやいや、そんなおせいじを・・・、でも、掃除は手の届くところだけで中は粉だらけですよ。」、なんていいながらちょっといい気分。
「いやー、それにしても素晴らしい。機械を作った人が見たら感激しますよ。」・・・ほめられてしまった。でも、自慢の麺工房です。きれいでしょ。


この写真は見事にちぎれたベルト。原因はわからないが、まあ、耐用年数通りのようだった。


修理の所要時間は4時間半、なかなかたいへんでした。要した費用は部品込みで約6万円?しかたがないな・・・・、またもうけましょう。
写真は修理風景


そんなことでくたびれました。さあ、明日はもう一度きしめんでも作りましょうかね。
マヨ麺の欲しい方は遠慮なくお申し出下さい。明日はともかくとして、順番に送りますよ。

ふんぞり返るのは加害者?

2010年08月15日 05時30分46秒 | ひとりごと
今日は終戦の日、正しく言えば敗戦記念日。このように都合の悪いことは美称でもってごまかすところが国家の怪しいところである。年に一度形式的に反省することでもう二度と戦争はしませんと誓う儀式が行われる。
国家の命令で赤紙一枚で命を差し出した従順な国民の子孫として「国家として本当に反省してるの?」と真剣に確認したいものである。
それにしても平和ボケの国民は国家が戦争をする気になればいつだって戦争を起せる事を知らない。戦後、大本営発表がウソだらけだったと新聞や雑誌が書き立てていたが、それを報道したのは自分たちではないか。一番反省していないのが報道機関である。その体質がひとつも変わっていない以上、我々は絶対に報道を信じることはできない。

先の大戦、もちろん応仁の乱じゃないですよ、大東亜戦争、いわゆる第二次大戦は八百長戦争だった。これは私の最終結論でもう確定している。戦争を始める決断は天皇が下し、止める決断も同じ人がした。よって、戦争責任は天皇にある。
ただそれは形式的な責任であり、戦争責任とは負けた時点で消滅し、戦争をする事が罪でなかった以上、法的には処罰の対象ではない。ただし、降伏した時点で退位するのが普通だったんじゃないか。あえて戦後もその地位に留まったことが八百長戦争だった有力な証拠である。私は右翼か左翼か自分でもわからないが、右翼の中にも地位に固執し退位しなかったことを残念に思っている人も多いのである。日本人の美徳として当然であろう。

このブログでも何度も言っているが、世界でグレートゲームが始まり、日本だけがそれに参加せず平和に暮らせるはずがなかったのだから、私は戦争責任が天皇にあるとは思うが、避けられなかったことも事実だと思う。そして大アジア主義を掲げ、米英の陰謀に対抗しようとした勢力がたくさんいたのであり、日本に潜む米英の手先が時間をかけてそれらを放逐し、ワン・ワールドの思い通りにさせてしまった事を悔やむだけである。

昭和天皇は負ける事を承知で戦争を始め、いつか必ず報復せんと心に誓ったのである。アジアで多くの略奪を行い、結果、天皇は世界でも有数のお金持ちになったのである。その金を使って天皇はアメリカを屈服させることにした。
もともと八百長戦争だったから天皇が処罰されることはなかったし、略奪した大量の財宝も返還する必要はなかった。敗戦後の日本はその豊富な資金で世界を席捲した。そしてアメリカ国債を大量に入手することで、事実上アメリカを征服した。ほとんどの人は信じないが、アメリカは日本に逆らえない状態にある。つまり昭和天皇の執念は成し遂げられたのだ。
そして現在は最大の敵、いわゆるワン・ワールド、つまりベネチアの黒い貴族と対峙している。

私の歴史観からすれば、この戦いは古代まで遡り、やはり舞台はバグダッド近辺である。ここから枝分かれした二つの勢力が今でも世界を混乱させているのだ。ひとつが一神教であり、ユダヤ・キリスト・イスラムという衣を羽織り、いまだに八百長戦争を継続している。どちらも元を遡れば同じ部族から始まっている。いかにも対立し戦争が終らないように見せているが、自作自演の公共事業であり住民はいい面の皮である。
今ひとつがご存知ツランで、海の民、ヒッタイト、スキタイがどのように関連するのかが研究材料であるが、西欧諸国が夜も眠れないほど恐れたフン族のことである。
私から言わせれば韓半島も日本もフン族の国であり、支配層は共通である。もちろん国民とは関わりのないことだが・・・。
フン族とはほぼスキタイであり、無国籍・無宗教の遊牧民族である。彼等は男子継承の皇統を守るが、エジプトから女王を娶り王統をも手にしたのである。私のお種理論はこのスキタイの研究から始まったが、彼らフン族、匈奴、チンギスなどの歴史が謎に包まれるのも、ヨーロッパにとって非常に都合の悪い話ばかりだからであろう。スキタイが歴史を残さないのをいい事に、自分たちを善人として歴史を作ったからである。

戦争反対を叫ぶのはもちろん必要だが、戦争を始めるきっかけはいくらでも作り出せるため、それを阻止することは事実上不可能である。一番良い方法は、マヨちゃんの八百長理論を広め、どんな状況もやらせであると笑い飛ばし、報道の意図を打ち破ることだと思うがどうだろう。

毎年行われる被災者への慰霊は被害者に対するお詫びの印のはずである。もちろんお詫びするのは国家であり、遺族に対し深く哀悼の意を表するのである。言うまでもなく遺族が上座であり、加害者は下座より土下座して「二度と過ちは繰り返しません」と誓うはずである。よもや、上座にふんぞり返るのが加害者ではあるまい。

お疲れのお盆旅行でした。

2010年08月14日 20時17分22秒 | ひとりごと
帰ってきました。二泊三日、走行キロ数は約700km、払った通行料は約1万円?(ETCだから、あまり痛みがない。)。今日は1000円打ち止めの日なのですこしは安く済んだ。やっぱしうれしいな。

とりあえず初日は朝6時に出発し、ひたすら長野を目指した。200kmあるので100kmで走行すれば2時間で着くじゃん!という事で、なるべく速度を保ったものの、途中の休憩を計算に入れなかったので9時に長野に着いた。
そこからが結構たいへんだった。長野市街地は大渋滞。道がわからないためカーナビに従ったんだけど、目的地の戸隠神社へは善光寺のそばを通る。そこまでが混むんだな・・・。たぶん他に道があるのだろうけど、仕方がない、急がば回れとか言うし・・・。
何とか10時過ぎには最初の目的地、戸隠神社の宝光社についた。前に見える階段にいやな予感がしたが、登るしかない。が、後から思えば、もう少しゆっくり登ればよかった。これで膝が笑い出してしまった。
恐怖の階段・・・なめてはいかんぜよ。

宝光社は神社とはいうもののお寺の本殿の趣である。やはり、明治の廃仏毀釈で神社に変わっただけでもともとは神仏習合の寺院だったのだ。
中社を参拝し、さあ奥の院である。

中社の写真。ここもあまり神社らしくない。

案内板


奥社入り口のそばやさんで・・・盛り付けはかっこいいよ。

奥社入り口

途中の杉並木・・・天気が良ければね・・・


12時に近かったので入り口横にある人気そばやさんで戸隠そばをいただく。大ざるを注文。驚くほど細切りできれいに盛り付けしてある。正直なところ味はそれほどでもなかった。つゆの味が薄いな。好みの違いかな?
さあ、奥社へ向かう。が、雨がかなり激しく、本当なら涼しく楽しい参拝になるはずが、まるで難行苦行そのものである。
上り坂をはあはあ言いながら約45分、ようやく奥社に到着。しかし、思ったより小さい。雨で休むところもなく、しかたがないので参拝してすぐに引き替えす。汗と雨で楽しむゆとりは全然なし。
それにしても参拝者が多く、まるで縁日みたいだ。
最近はパワースポットに注目が集まり、若い女の子がよく来るのだそうだ。目のやり場に困るような若い子が多く、神社を見るより目の保養になったかも・・・。
これがやっとたどり着いた奥社、意外と小さかった。


あまり知らなかったが、この戸隠神社は九頭龍社が本体のようである。九頭龍とは言うまでもなく「コグリョウ」のことで高句麗である。
そこで憶測・・・。この山奥に追い込まれた高句麗軍団はここを秘密の隠れ家にしていたが、寺社勢力に屈服し神仏習合の戸隠寺となった。天海との関係はいまだに解けないが、江戸時代は天台宗の保護下にあったというから、恐らくここで修行した高句麗軍は幕府の隠密として日本中に散っていったのだ。(憶測だよ。)
もっとも寺紋の鉤十字は隠れキリシタンのようでもあり、簡単に高句麗とするのはまだ早いかもしれない。まだまだ結論は出してはいけない。

それにしても京都に対する大江山衆のように、善光寺に対する戸隠の位置関係が妙に気になる。そばぐらいしか収穫できない貧農の地に多くの修験者がこもり何をしようとしていたのか、歴史家ならずとも興味がわくのではないだろうか。
一日目の宿は千曲川のほとり、戸倉上山田温泉という更埴インターから少々下った温泉である。「しげの屋」という8部屋しかない小さな旅館で、若くて美人のお上が印象的だった。「お上、若くておきれいですが、ひょっとして現役の女子大生ですか?」って聞いたら喜んでくれてうちわをくれた。
お湯は少し硫黄の匂いがする濃厚な美人のお湯で、これですっかり体中のガン細胞を放出できた。三年は長生きできるな。
うちわをもらったお礼にブログで宣伝するねと約束したので紹介しておきます。ここをクリックしてね。もし行かれたらお上によろしく。

長くなったな・・・、後はあまり伝えることがないけど・・・、次の日は上田をかすめ、海野宿を散策した。この海野は以前真田との関連を指摘したが、真田はわざわざ海野家を継ぐために選ばれたのであり、鳩山が笹川を継ぐこと、家康が松平家を継ぐことなどと同じで「お種」の保存法の一つである。これが理解できないと日本史はなかなかわからないだろう。

海野宿の町並み・・・よく保存されている。


さて、この海野宿の入り口にある福嶋屋という店で食べたそばはうまかった。久しぶりにおいしいそばをいただけた。二八そばというが、友粉は恐らく強力粉だと思う。個人的には中力粉のほうが良いのにとは思うが、まあ、これほどのそばもなかなかお目にかかれない。さすが信州はそば処である。

二日目の宿は例年通り天竜峡の峡泉である。もうここに泊まって6年間。毎年同じ部屋に泊まる。こちらは少量のラドンを含む単純泉で、小さいけれど、とてもよい旅館だ。料理旅館だから食事も絶品。
ご主人、来年も行くからね。

そんなことで、何の話題もないお盆の旅行でした。とりあえずご報告まで。お粗末。
旅行中お勉強は出来ませんでした。眠くて眠くて・・・・。

お盆のお休みをいただきます。

2010年08月11日 19時21分11秒 | 古代史
さて今日からお盆休みに入り、明日から二泊三日で信州へ旅行に行くことにしている。ネット環境のないところへいくので、しばらくはネットから隔離されることになります。たまには良いことですな。
信州へ行くといっても別に格別目的地があるわけでなく、たまたまパリが旅館を予約したからそこへ行くのだ。しかし、せっかくだからあこがれの戸隠神社へぜひ立ち寄りたいと思っている。名古屋から五時間ぐらいで着けると思うので早朝に出発すれば、戸隠そばを昼ごはんに食べれるかな・・・。

いよいよお盆中にうどん屋の改装をすませ、23日から新しいスタッフでうどん屋を開店させる。新しいスタッフといっても店長の変わりに私がやるだけのことで、おばちゃん達はみんな継続である。年齢は45歳から55歳ぐらいで、みんな意欲もあるし本当によく働いてくれる。ただ、うどん屋はカフェと違い腕力がいるので女だけではやや無理だ。本当はカフェのほうが好きなのだけど健康にはうどん屋のほうがよさそうだ。実はここ一ヶ月で3kgもダイエットできた。とにかく盛大に汗をかくので水分も大量に補給する、そのおかげで腎臓結石はどこかへ消えてしまったようだ。万歳!

ここで秘密のメニューを公開しよう。今回の改装のポイントはメニューを大幅に減らし、商品を絞り込むことである。つまり、売り上げを減らしても良いから効率をよくし、なおかつ単品で勝負できる品質を保つことである。
麺は厚み、太さ、熟成度すべてチェックした。そして自慢のカレーうどんも完璧にしあげた。味、量、価格、すべて準備OK!


さあ、お盆中に心身ともにリフレッシュし、九月からいきなり黒字を目指します。それでは皆様、少しお休みをいただきます。