何度もメディアで聞いたことのある言葉だと思ってたけど、意味が分からなくって、思い切って調べてみたら「要る情報を探し、見つけ、選択し、活用する能力」ってんで、情報ってのはそもそもそーゆーもんじゃないんですか、って考え直すと、そういやこうしたブログみたいな情報は、取捨選択するのなら「捨てる情報」のほうで、ネット読んでる限りはこうした雑な情報の寮ばかりが増えてるってのは確かだな、と言えるかも。
ラジオで「情報リテラシー」について語ってた人が言うには「都会では情報リテラシーがうまくいきにくいんです」と。理由は無駄情報の絶対量もまた多いんだって。一方、地方の方がいっそそういった情報の扱いに「敏感で勘の利く」人がいて、世界に打って出られるくらいの勝負のできる一途さがあるって言ってたのを聞き、さもありなんと感服する。
実際都会は便利そうでいて、維持費のかかる割に、娯楽と雑さも利便性を上回る量があるから、都会を使い回す気心のある人以外は、おおむね都会そのものに振り回されるケースもままあると感じる。
情報リテラシーの考え方はあくまでも個人の側に事態のイニシアティヴが握られてるんだ、という気負いのある、しっかりとした人にはいい感覚かもしれないけれど、いささか人為的すぎる発想がぷんぷんして、「知ってるものだけ、好きなものだけをたっぷり」みたいになりかねない人もまた、こういった発想から生まれるよなー、とか無責任にかんじましたとさ。はい。
ラジオで「情報リテラシー」について語ってた人が言うには「都会では情報リテラシーがうまくいきにくいんです」と。理由は無駄情報の絶対量もまた多いんだって。一方、地方の方がいっそそういった情報の扱いに「敏感で勘の利く」人がいて、世界に打って出られるくらいの勝負のできる一途さがあるって言ってたのを聞き、さもありなんと感服する。
実際都会は便利そうでいて、維持費のかかる割に、娯楽と雑さも利便性を上回る量があるから、都会を使い回す気心のある人以外は、おおむね都会そのものに振り回されるケースもままあると感じる。
情報リテラシーの考え方はあくまでも個人の側に事態のイニシアティヴが握られてるんだ、という気負いのある、しっかりとした人にはいい感覚かもしれないけれど、いささか人為的すぎる発想がぷんぷんして、「知ってるものだけ、好きなものだけをたっぷり」みたいになりかねない人もまた、こういった発想から生まれるよなー、とか無責任にかんじましたとさ。はい。